黄金のひばりたち

感動なき人生に興味なし・・・真っ向勝負人生を綴ります。

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昨日、書き込んだ、タイトル;鮮ど市場東部店の中で取り上げた

  OB 佐伯 真貴について

  すべてを伝えられないもどかしさで昨晩ずっと考えていました

  彼の球の道を確実に振り返るため、

  社会人野球の総合情報誌「グランドスラム」を読み返しました


  2008年11月に発行された癸械温罎鉾爐瞭箪元事が載っていたので

  掻い摘んでご紹介したいと思います



  特集タイトル

    佐伯 真貴 「コーチ権捕手 熊本ゴールデンラークス」

   『神様を連れて来る渡り鳥』


  さえき まさたか☆1975年生まれ、熊本県出身  173cm78kg 右投左打

   九州学院から熊本工大(現・崇城大)を経て、97年にニコニコドーへ入社

   99年にいすゞ自動車に転籍、その年限りで活動休止が決まっていた2002年の

   都市対抗で優勝を果たした。翌03年に富士重工業へ移ると、06年日本選手権の

   優勝をはじめ、全国の舞台で上位進出を続ける。08年からラークスで活躍・・・

   昨年、09年をもって現役を退き、現在 株式会社 鮮ど市場に勤務。



  2007年9月1日、都市対抗野球大会。富士重工業は、準々決勝で鷺宮製作所に3−5で

  敗れた。指名打者として出場した主将の佐伯は、これが最後の東京ドームと決めていた。

  当時、32歳だった。05年に父親が脳内出血で倒れていた。好きにさせてもらった恩返し

  もある。日に日に、熊本へ帰ろうという思いが募っていた。


  富士重工業の監督には、現役引退も含めて事情を話していたから、日本選手権ベスト8で

  終えた後、熊本に帰ることを決意した。もう野球は終わり。新しい職を探そう・・・

  そんな時に、九州学院の先輩である熊本ゴールデンラークスの監督から電話があった。

  「よければ、手伝ってくれないか」

  迷った。富士重工からも、コーチへの就任を打診された経緯がある。自己都合による退社

  なのに、誘いに飛びつくのでは筋が通らない。義理人情を重んじる佐伯に対して、富士重工

  の監督は励まし背中を押してくれた。

  こうして佐伯は、熊本ゴールデンラークスのコーチ兼捕手として、08年のシーズンを迎える

  ことになった。ラークスは、佐伯が社会人になって4つ目のチームだ。4チームに在籍した

  例は稀で、事実、第79回都市対抗野球大会の登録選手を見ても、佐伯ただ一人である。

  波乱万丈の野球年表といってもいい。


  佐伯が育ったのは熊本市内。家は、ラークス監督(当時)と近所で、通った小・中学校も同じ。

  九州学院時代は、3年夏のベスト4が最高。ちなみに、星陵高校の松井秀喜の5打席敬遠が

  大騒ぎになった92年である。

  熊本工大(現・崇城大)時代は、93年〜95年と大学選手権出場が3度。卒業後は、熊本に

  本社を置くスーパーマーケットチェーンのニコニコドーに入社した。都市対抗に3度出場、

  佐伯が入社した97年も日本選手権でベスト8に進んでいる。だが・・・98年度限りで、

  野球部の休部が決まった(ニコニコドーは02年に経営破たん)

  99年、いすゞ自動車へ転籍。だが、02年に経営再建策の一環として、いすゞも休部を

  発表する。ニコニコドーに続き、なんと不運なことか。

  「とにかくこの一年を頑張るしかない・・・・・・」

  ところが、27歳になっていたこのシーズン。佐伯によると

  「何かが乗り移っていたとしか思えない、神がかり的な年」になる。


  都市対抗神奈川二次予選、日石三菱(現・新日本石油ENEOS)との第二代表決定戦。

  この年は、神奈川からは2代表。つまり負ければいすゞの歴史がほぼ終わる。



  2点を追う9回裏、いすゞは佐伯の2ランで追いついて、試合は延長戦へ。

  15回、日石が1点を勝ち越したが、その裏、佐伯がまたも2ランを放つ。

  都市対抗出場を決めるドラマチックな逆転サヨナラ弾だった。

  負けたら終わりの試合で、これ以上切羽詰った場面はない。まさに神がかりだ。

  
  この年、最後の都市対抗に進出したいすゞは 14回目の出場にして初優勝を飾った。


  03年、富士重工に転籍。3チーム目である。

  佐伯が入部したその年に都市対抗でベスト8。06年の日本選手権では、25年ぶり

  2回目の優勝を果たすことになる。 そして・・・


  4チーム目がラークスだった。

  スーパーマーケット『鮮ど市場』で売り場に立ちながら野球をする。

  正真正銘の”社会人野球”だ。惣菜売り場でコロッケを揚げる選手も、鮮魚売り場で魚を

  さばく選手もいる。佐伯は食品売り場 「マイクを使ってお客さんを呼び込むのは、最初は

  恥ずかしかったですね。環境は、名門に比べたら確かに厳しい。ただ若い選手たちは、ほかを

  知りませんから、社会人野球とはこういうものだと感じている。それは大きいと思います。

  環境を言い訳にすることがありませんから」

  春季キャンプといっても、地元を離れるわけではない。練習時間こそたっぷり取るが、キャンプ

  期間中には出勤日もある。 「売り場で”見たよ見たよ、新聞。頑張ってね”と声をかけられ

  るんです。社外の人にそうやって声をかけられるのは、初めての経験」と佐伯が言うように

  市民に密着したチームとなり得るのだ。


  チーム唯一のベテラン選手。チームの若さを姿で見せて引っ張っている。

  谷本選手は「チームに何が足りないかを当たり前のように指摘して、練習に取り入れてくれ

  るんです」と絶大な信頼を寄せている。


  春先のラークスはなかなかエンジンがかからなかった。4月の岡山大会では、日産自動車に

  6点差を逆転される。ここで、チームを引き締めたのが佐伯だった。

  「若さゆえ、乗っているときは簡単。ただ、落ちるのも早いんですよね。チームの白星より

  自分の感情が優先し、視野が狭くなる。試合に出られなくなるとイライラして声も出なくなる。

  エラーしたり、打てないと下を向く。だから、春先は勝てなかった。そうじゃない。自分を

  犠牲にしてでも走者を進め、結果としてチームが勝てばいいのが野球。自分がまず、そういう

  姿を見せることでチームが落ち着けばいい」


  5月の徳山大会をきっかけとして自分たちの野球を取り戻し、九州大会では、新日石の田沢

  (現・メジャーリーガー)から9回に4点を奪って逆転勝ちするなどベスト4.そして6月の

  都市対抗九州二次予選で2年連続のドーム切符を手に入れた。

  日産自動車九州との第二代表決定戦。9回4−3、エース香月が打ち込まれ一点差。なおも

  2死1,2塁。持ち味のストレートを渾身の力で投げ込む香月。変化球で打たれたら悔い

  が残ると真っ直ぐを要求する佐伯。タイミングがだんだん合ってきている。投げる球がない。

  7球、8球、ファールがバックネットに突き刺さる。香月は低目を狙った。投球はワンバウンド

  監督でさえ「負けを覚悟した」場面だが、体で止めにいった佐伯の右脇の下に、ボールが挟まった。

  すかさず二塁へ送球。飛び出していた走者を刺し、ゲームセット。


  すべての力を出し尽くして、もう手がない。誰もが負けを感じる中、誰もが想像しなかった

  閉幕の瞬間。また、奇跡が起こった。

  「あれも、神がかりでした。いすゞ時代の第二代表決定戦と並んで、強く印象に残るゲーム

   です・・・・・」


  というわけで佐伯は、一度は別れを告げた東京ドームに帰ってきたのだ。ラークスの選手として。


  

  09年を最後にユニフォームを脱いだ。

  現在、鮮ど市場で店長になるための修行をしている。

  いずれ、彼の野球の道は開かれるだろう。


  野球の神様の仕業によって・・・・・・





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