黄金のひばりたち

感動なき人生に興味なし・・・真っ向勝負人生を綴ります。

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  ラークスでは、毎年、その一年のテーマ、年度スローガンを決めています。

  今年は、首脳陣も入れ替わり新生ラークスということで、初心に帰り初心を貫くという

  考えから、永遠のチームスローガンをそのまま年度スローガンとしています。

  『感謝 人間力野球』

  このスローガン・・・・

  自分自身の生き様の中でも使えないかと考えました。

  毎年、一年の始まりに「マイスローガン」を決めてそれに邁進する。

  ということで、2010年度  マイスローガンは


    『 変態 』


  字のごとく「へんたい」と読みます。

  こいつやっぱりおかしいと思われた人・・・

  私、普通が嫌いなんです。

  この『変態』は、

  奇人になるとか、変人になるとか、そんな意味ではなく

  
  自分の生き方をかえる

     性格をかえる

     考え方を変える

     生活習慣を変える

     趣味を変える

     態度を変える

     そんな感じの意味を持つスローガンです。


  このスローガンは、会社朝礼でも発表しましたし、ラークス選手団にも発表しました。

  『変態』 あんまり胸を張って公表できるようなスローガンではないと思っていますが、

  今の私にとって、この言葉はピッタリだと思っています。


   私は基本的に「自己否定」しながら生きています。

  徹底的に自己否定をしてから他人の10倍も20倍も事に対して考えつくしてから答えを

  出す癖を持っています。だから、悩み事は悩み事でもそれはひとつの答えを出すための

  過程だと捉えています。

  そんなことも含めて、生き方を変えてみる。

  それには、考え方を変えなくてはいけないし、それには、性格を変えなくてはいけない。

  それには、生活習慣を変えなければいけないし、趣味も変えたほうがいいのかも・・・

  そうして、態度が変わったときに他人から見てどのように変わったのか

  自分では『変態」に対して努力をしても、その結果は他人の評価で決まる。

  人はそんな簡単には変われない。人の性格なんて代わり様がない。


  私はすべて変えることができると思っています。

  40歳。 野球歴 30年 。

  人生の大部分を野球と共に暮らしてきたまさに野球馬鹿。

  でも、野球をとったらただの馬鹿ではいけないと思っている。

  それは、自分のためではなくこれからの野球人のために、そして野球自身のためにも

  立派に世間から認められる「人」にならなくてはいけない。


  野球を通して人間形成されたならば、社会に通用することを証明しなければならない。

  ラークスを立ち上げた当初、

  最初の信念を曲げたからこそ出来上がったチーム

  考え方を曲げ態度を変えたからこそ今がある。

  それはどういうことか


  自分の体験した野球人生を否定している

  そう考えなければ今のラークスのような環境にはなっていない。


  私が否定しているのは私自身に対して否定をしているのです。

  環境に甘えていた自分自身に対しての腹立たしさ

  野球から離れてはじめて気付くこと・・・たくさんありました。


  「変える必要もないし、変えられない、あるいは変えるのが臆病だということになったら

   そのときは、野球界から引退するときだ。まだ、変えられるうちは頑張れる」

   徹底して自分の野球人生の反省と間違いだと思ったことをラークスの運営に生かすために

   自分自身を否定するところから始めました。


   プライドとかカッコつける余裕はありません。

   野球人としてではなく社会人として監督を務めることに意識を集中しました。

   自分を否定しているわけだから、すべて理想とは逆の発想を持って経験を生かさず

   組み立てをしていきました。

   選手のタイプから、戦術まで・・・・・

   我慢することが監督の仕事かと思えるぐらい徹底してきました。



   ラークスが都市対抗に出場し活躍できたのも

  もう二度と着ることがないだろうと思っていた野球のユニフォームに袖を通したとき

  変わらなきゃと思い「変化」を試みたことへの神様からのご褒美だったと思っています。


  人間は「変化」出来なくなったら終わりだと思います。

  人は日々成長します。

  年を重ねるたびに知識も経験もはるかに増えていきます。

  ところが、人生 40年も生きていると、あるときふっとその知識や経験にカビが生えている

  ことに気付くんです。

  老化とともに体力や思考力が衰えてくるのは仕方がないとしても、本来衰えるはずもない

  経験や知識までもが腐っていることに気付くのです。

  しかも、悔しいことに一番腐っていたのが自分の一番大好きな野球の経験だったんです。

  このことに気付かせてくれたのは今の職場である鮮ど市場なんです。

  まったく野球の知識は必要ではなく、自分の野球のプライドの小ささに気付かされ、朝早くから

  長靴を履いてしもやけの手を労わりながら市場へ出かけ、体調を悪くしても簡単には休めない。

  社会の常識と人間の生活の有り方。こんな当たり前のことが、野球の環境がバリアを張って知る

  術もなかった。 愕然としました。


  「変化」は長い人生の中で必然であり、必要なことだということを

  野球とまったく触れ合うことのない期間に社会で教わったことです。


  ラークスでは、大きな変化をもって独自の理念を掲げ、野球の戦略も本来の経験とは

  真逆の発想で取り組んできました。

  有りもしない答えを先にだして後から理論を付け足す。かなり、いいかげんな思いつきで

  練習してきたこともありました。

  選手の中にラークスを誇りに思えるような選手が出てきたので、私は一足先に社会で野球が

  通用するのかチャレンジをするためにラークスを卒業したのです。

  そして2010年 『変態』をマイスローガンとして掲げ

  野球にこだわらず野球のない世界でどこまで野球で育ってきた自分が通用するのか

  変えれるものは意識して変えていくつもりです。


  すでに変わったもの・・・

  日刊スポーツ・スポーツニッポン・サンケイスポーツ・西日本スポーツなどなど

  毎日欠かさずにすみからすみまで見ていた生活の中の定番アイテム スポーツ新聞

  すべてを一切見なくなりました。というより見る必要も無く、自分の中からその存在が

  消えてしまいました。今では見ても経済新聞へと変わりました。



  一番大きく変わったこと・・・それは

  現在、手を動かしているパソコン

  今年になって、パソコンを購入

  インターネットなんてほとんどやったことも見たことも無く

  パソコン自体今までまったく必要のない存在でした。

  そんなの無くても知らなくても40年、無事に生きてこられてる といったように

  逆に、会社の中では否定的なものとしてみていました・・・が

  ある程度のことは、全部他人にセットしてもらって何とか今こうして使えています。

  私自身にとっては劇的な変化です^^


  同時にカメラも購入

  いつも持ち歩いています。

  今まで気にもしなかった風景や街角にもふっと目が行くようになり感じる世界が変わってきました。

  そして、このブログ。

  先月の1月 16日が誕生日で約4週が過ぎたころですが

  今まで見たこともないし、ブログという言葉は聞いたことあるという程度

  そんなもんと馬鹿にしていたかもしれません。≪申し訳ない≫

  ただ、変わるの一心で興味の無かったものへのチャレンジを通して生活習慣を変えていくという

  目的があったのでトライしてみました。

  だいぶんと慣れてきて、ネタを求めて生きているような日々を過ごしています。

  また、初日から今日まで分からずに迷惑をおかけしている方がいたら申し訳ございません。

  まだ、パソコン自体いじるのが駆け出しなもので、

  何かありましたらお知らせください。


  まだ、ブログというものがどういうものなのか明確ではありません。

  何のためにあるのか。人それぞれに目的を持ちあるいは生活の一部としてあるのかもしれません。

  私の場合は、生活習慣を変える、興味の無いものへの挑戦といった意味できっかけとは

  なりましたが、続けていくうちに

  ここから、一歩づづ スポーツを元気にする。企業を元気にする。

  スポーツ振興に少しでも協力できたらと思うようになってきました。

  見て楽しむだけではなく、応援したくなる。

  スポーツを「する」ことと「見る」ことは、強いつながりがあると思います。

  楽しさや苦しさがそして日常の様子が想像できる分だけ、

  実際に見てみると感動できるのではないかと・・・

  ここでは、小さな一歩かもしれませんが

  何もしなくても今のスポーツ界の向上はなかなか進みません。

  大きくは、スポーツを通して明るく豊かな社会を形成して人々の相互理解を深め、

  平和の構築に貢献する。


  オリンピックなどを見てもみんな感動が出来ます。

  4年に一度のオリンピック

  一日一回のブログへの書き込み

  何が変わるか分からない、何も変わらないかもしれない

  初心者だからこそ、勝手にこのブログに夢を乗せています。

  単に閲覧者を増やすことだけを目的とせず、

  ここから、人々の生活のあらゆるシーンに貢献できたらと思っています。

  ただ、結果速報を流すだけではなく、情報の提供だけでなく

  選手と応援する人との互いの思いをやりとりする、

  そのお手伝いをすることで

  選手の励みとなり

  応援する方々の心の豊かさを生み出すお手伝いが出来ればと思います。


  ラークスの発展とすばらしい未来を信じて・・・

  企業スポーツ界が輝く未来をつかめるように・・・

  野球界をはじめとしてすべてのスポーツ界が人々に平和を与えますように・・・


  ちょっと、話も脱線しながら長々と書いてしまいました。



  とにかく、『 変態 』で2010年突っ走ります。

  宜しくお願いいたします!


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  鮮ど市場 植木(うえき)店は、熊本市のとなり、県の北部にある鹿本郡植木町にあります。

  直営グループ 12店舗目のお店です。

  福岡方面へと続く国道3号線沿いにあります。


  植木店には、2名のラークス選手が勤めています。

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  背番号 23  川 成晃 (かわさき なりあき)  3年目

  ≪球歴≫鹿児島商業高校〜福岡大学

  鹿児島県出身  182cm 83kg 外野手  右投右打  B型


  中学時代までバスケットボールを掛け持ちしていたという変わり種

  高校時代から評判と成り、大学では1年春から活躍、盗塁王にベストナインと

  下級生時代は活躍していた。上級生になって壁にあたり、力が発揮できないまま卒業


  ラークス入団当初からその身体能力はずば抜けていて、レギュラーを獲得。

  一年目からチームの中心選手として、他のチームからも警戒されるようになった。

  都市対抗ではホームランも放ち、全国の舞台でアピール。恵まれた体格とばねの利いた

  脚力、走攻守バランスの取れた選手として一躍ドラフト戦線に名乗り出た。

  昨年、補強選手として東京ドームで活躍。ドラフトを期待をして待ったが指名されず。

  今期、最後の勝負としてかける意気込みは昨年の数倍もアル。50m 5.6秒の脚力に

  野球の走塁技術と努力による自信が備わればプロからの指名もあるだろう。



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  背番号 20  前田 武蔵 (まえだ むさし)  4年目

  ≪球歴≫真栄ビクトリー〜東海大学第四高校付属中学〜東海大四高校〜東海大学

   北海道出身  184cm 85kg  投手 右投右打  A型


  大学3年時、首都大学リーグにてMVPに輝くなど実績を持つ選手

  投手としてはとても器用なテクニッカルピッチングが持ち味

  4年目を向かえまだラークスでの目立った実績はないが、

  直向きに努力を重ねる姿にいつしか輝くシーンが来ると待ち遠しく思う。

  昨年秋に、本来の投げ下ろすピッチングフォームへ変更

  変化球を駆使してチームの柱へと成長を願う。


  武蔵君、写真がありません。活躍を・・・あしからず




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  今日のラークスは

   7時出社〜12時までの勤務   14時から練習です。

   合志市総合運動公園 野球場にて


   朝から土砂降りだった雨模様も、今現在(12時)は若干曇り空ながら晴れ間も見えています。

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   合同でのトレーニングに個人練習のメニューです。


  本部の一階にある鮮ど市場 本店


  ちょいと覗いてみると


  背番号31 植田選手が パック詰めの作業をしていました。


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  食品日配コーナーでは 背番号5 深見選手が


  今日のお買い得商品をアピール


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  「らくのう」の低脂肪乳が一リットル98円です。


  今日も鮮度抜群の商品群

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  12時になり深見選手に「張り切って行ってらっしゃい!」と声をかけると

  「今から会社の歴史の勉強です」と切り替えしてきた。

  「何だそれ?」 店長から「試験に備えて勉強をしておく必要がある」といわれたそうだ。

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  よって、深見選手と植田選手は練習には遅れる予定です。

  ラークスではこのようなことが日常茶飯事に起きています。


  でも、すべてはシーズン真っ只中のときは野球に集中できるようにするための社会的準備。

  損でもないし、間違いでもない。

  頭の中で野球のことを真剣に考えているだけで上手くなるものよ。


  今しか出来ない事。しっかり勉強に励んでください。

  今日の全体メニューは強制されなくても一人でも出来るでしょうから・・・

  24時間人間皆平等!



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昨日、書き込んだ、タイトル;鮮ど市場東部店の中で取り上げた

  OB 佐伯 真貴について

  すべてを伝えられないもどかしさで昨晩ずっと考えていました

  彼の球の道を確実に振り返るため、

  社会人野球の総合情報誌「グランドスラム」を読み返しました


  2008年11月に発行された癸械温罎鉾爐瞭箪元事が載っていたので

  掻い摘んでご紹介したいと思います



  特集タイトル

    佐伯 真貴 「コーチ権捕手 熊本ゴールデンラークス」

   『神様を連れて来る渡り鳥』


  さえき まさたか☆1975年生まれ、熊本県出身  173cm78kg 右投左打

   九州学院から熊本工大(現・崇城大)を経て、97年にニコニコドーへ入社

   99年にいすゞ自動車に転籍、その年限りで活動休止が決まっていた2002年の

   都市対抗で優勝を果たした。翌03年に富士重工業へ移ると、06年日本選手権の

   優勝をはじめ、全国の舞台で上位進出を続ける。08年からラークスで活躍・・・

   昨年、09年をもって現役を退き、現在 株式会社 鮮ど市場に勤務。



  2007年9月1日、都市対抗野球大会。富士重工業は、準々決勝で鷺宮製作所に3−5で

  敗れた。指名打者として出場した主将の佐伯は、これが最後の東京ドームと決めていた。

  当時、32歳だった。05年に父親が脳内出血で倒れていた。好きにさせてもらった恩返し

  もある。日に日に、熊本へ帰ろうという思いが募っていた。


  富士重工業の監督には、現役引退も含めて事情を話していたから、日本選手権ベスト8で

  終えた後、熊本に帰ることを決意した。もう野球は終わり。新しい職を探そう・・・

  そんな時に、九州学院の先輩である熊本ゴールデンラークスの監督から電話があった。

  「よければ、手伝ってくれないか」

  迷った。富士重工からも、コーチへの就任を打診された経緯がある。自己都合による退社

  なのに、誘いに飛びつくのでは筋が通らない。義理人情を重んじる佐伯に対して、富士重工

  の監督は励まし背中を押してくれた。

  こうして佐伯は、熊本ゴールデンラークスのコーチ兼捕手として、08年のシーズンを迎える

  ことになった。ラークスは、佐伯が社会人になって4つ目のチームだ。4チームに在籍した

  例は稀で、事実、第79回都市対抗野球大会の登録選手を見ても、佐伯ただ一人である。

  波乱万丈の野球年表といってもいい。


  佐伯が育ったのは熊本市内。家は、ラークス監督(当時)と近所で、通った小・中学校も同じ。

  九州学院時代は、3年夏のベスト4が最高。ちなみに、星陵高校の松井秀喜の5打席敬遠が

  大騒ぎになった92年である。

  熊本工大(現・崇城大)時代は、93年〜95年と大学選手権出場が3度。卒業後は、熊本に

  本社を置くスーパーマーケットチェーンのニコニコドーに入社した。都市対抗に3度出場、

  佐伯が入社した97年も日本選手権でベスト8に進んでいる。だが・・・98年度限りで、

  野球部の休部が決まった(ニコニコドーは02年に経営破たん)

  99年、いすゞ自動車へ転籍。だが、02年に経営再建策の一環として、いすゞも休部を

  発表する。ニコニコドーに続き、なんと不運なことか。

  「とにかくこの一年を頑張るしかない・・・・・・」

  ところが、27歳になっていたこのシーズン。佐伯によると

  「何かが乗り移っていたとしか思えない、神がかり的な年」になる。


  都市対抗神奈川二次予選、日石三菱(現・新日本石油ENEOS)との第二代表決定戦。

  この年は、神奈川からは2代表。つまり負ければいすゞの歴史がほぼ終わる。



  2点を追う9回裏、いすゞは佐伯の2ランで追いついて、試合は延長戦へ。

  15回、日石が1点を勝ち越したが、その裏、佐伯がまたも2ランを放つ。

  都市対抗出場を決めるドラマチックな逆転サヨナラ弾だった。

  負けたら終わりの試合で、これ以上切羽詰った場面はない。まさに神がかりだ。

  
  この年、最後の都市対抗に進出したいすゞは 14回目の出場にして初優勝を飾った。


  03年、富士重工に転籍。3チーム目である。

  佐伯が入部したその年に都市対抗でベスト8。06年の日本選手権では、25年ぶり

  2回目の優勝を果たすことになる。 そして・・・


  4チーム目がラークスだった。

  スーパーマーケット『鮮ど市場』で売り場に立ちながら野球をする。

  正真正銘の”社会人野球”だ。惣菜売り場でコロッケを揚げる選手も、鮮魚売り場で魚を

  さばく選手もいる。佐伯は食品売り場 「マイクを使ってお客さんを呼び込むのは、最初は

  恥ずかしかったですね。環境は、名門に比べたら確かに厳しい。ただ若い選手たちは、ほかを

  知りませんから、社会人野球とはこういうものだと感じている。それは大きいと思います。

  環境を言い訳にすることがありませんから」

  春季キャンプといっても、地元を離れるわけではない。練習時間こそたっぷり取るが、キャンプ

  期間中には出勤日もある。 「売り場で”見たよ見たよ、新聞。頑張ってね”と声をかけられ

  るんです。社外の人にそうやって声をかけられるのは、初めての経験」と佐伯が言うように

  市民に密着したチームとなり得るのだ。


  チーム唯一のベテラン選手。チームの若さを姿で見せて引っ張っている。

  谷本選手は「チームに何が足りないかを当たり前のように指摘して、練習に取り入れてくれ

  るんです」と絶大な信頼を寄せている。


  春先のラークスはなかなかエンジンがかからなかった。4月の岡山大会では、日産自動車に

  6点差を逆転される。ここで、チームを引き締めたのが佐伯だった。

  「若さゆえ、乗っているときは簡単。ただ、落ちるのも早いんですよね。チームの白星より

  自分の感情が優先し、視野が狭くなる。試合に出られなくなるとイライラして声も出なくなる。

  エラーしたり、打てないと下を向く。だから、春先は勝てなかった。そうじゃない。自分を

  犠牲にしてでも走者を進め、結果としてチームが勝てばいいのが野球。自分がまず、そういう

  姿を見せることでチームが落ち着けばいい」


  5月の徳山大会をきっかけとして自分たちの野球を取り戻し、九州大会では、新日石の田沢

  (現・メジャーリーガー)から9回に4点を奪って逆転勝ちするなどベスト4.そして6月の

  都市対抗九州二次予選で2年連続のドーム切符を手に入れた。

  日産自動車九州との第二代表決定戦。9回4−3、エース香月が打ち込まれ一点差。なおも

  2死1,2塁。持ち味のストレートを渾身の力で投げ込む香月。変化球で打たれたら悔い

  が残ると真っ直ぐを要求する佐伯。タイミングがだんだん合ってきている。投げる球がない。

  7球、8球、ファールがバックネットに突き刺さる。香月は低目を狙った。投球はワンバウンド

  監督でさえ「負けを覚悟した」場面だが、体で止めにいった佐伯の右脇の下に、ボールが挟まった。

  すかさず二塁へ送球。飛び出していた走者を刺し、ゲームセット。


  すべての力を出し尽くして、もう手がない。誰もが負けを感じる中、誰もが想像しなかった

  閉幕の瞬間。また、奇跡が起こった。

  「あれも、神がかりでした。いすゞ時代の第二代表決定戦と並んで、強く印象に残るゲーム

   です・・・・・」


  というわけで佐伯は、一度は別れを告げた東京ドームに帰ってきたのだ。ラークスの選手として。


  

  09年を最後にユニフォームを脱いだ。

  現在、鮮ど市場で店長になるための修行をしている。

  いずれ、彼の野球の道は開かれるだろう。


  野球の神様の仕業によって・・・・・・





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