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気仙沼の南部、本吉町小泉の水仙ロード。
後ろにあるJR気仙沼線の高架の上まで津波は達している。
この生命力には、心引かれた。
現地の方々が大事に育ててきたのか・・・何かを発信しているように思う
石巻市避難所になっている小学校を訪問
宮城県岩沼市災害ボランティアセンターを訪問 活動登録
石巻市災害ボランティアセンターを訪問 活動登録
東京から来た3人組の青年団、地元の若夫婦、初挑戦女性二人組み、雲雀とひばりっこ41号
雲雀がリーダーを務め、初めて出会った9人で、61歳夫婦のお宅で床下の泥だし清掃支援
強風が吹き荒れる中のがれき撤去は大変でした。ヘドロは黒々していて重かったです。
床下からの泥だしは、クワでかき出し素手で土嚢へ詰める作業・・・重労働でした。
作業終了の報告をするためにセンターへ書類提出
いつも良くしていただいている関係会社を訪問したが、無人で立ち入り禁止のテープが貼られていた。壁は壊れ、津波の爪痕が残っていた。
「負けないで!もっと一生懸命売らせていただきます。」名刺に記して残してきました。
松島保育所
福島県南相馬市 社会福祉協議会を訪問
施設内に約100名の被災者が避難生活していました。
饅頭を98個?寄贈してきました。
相馬市災害ボランティアセンターを訪問
ボランティア活動で使ったスコップとゴーグルを寄贈
ベースボールアンダーシャツ50枚寄贈
相馬市ボランティアチームのスローガン
いただきました!
募金もしてきました。
仙台市を拠点にして、北は宮城県気仙沼市から南は福島県南相馬市まで
津波の被害に遭った、三陸海岸を走破
気仙沼市・・・気仙沼港に打ち上がった大型漁船に目を奪われ、町並みは戦争跡のように壊滅していた
南三陸町・・・海岸線から広がる瓦礫の山、一面に大破した車が転がっていて目を覆ってしまった
女川町・・・高台の病院が避難所兼治療所になり、そこから見下ろす景色には唖然とした
石巻市・・・製紙工場から住宅地まで津波の爪あとが残り、現地の人々が黙々と復旧作業をしていた
東松島市・・・松林に海を重ねる景色はとても穏やかだった。後ろを振り返ると観光地の面影はなかった
塩釜市・・・町のいたるところに船が横転。港の水揚げ場には漁師さんたちの魂が宿って見えた
多賀城市・・・海沿いは住宅密集地で被害甚大、大通りでは復興へ向けて住民らの元気な掛け声が聞こえた
仙台市・・・内陸部のいたるところで地震による倒壊が見られた。海岸部とはちがう雰囲気だった
名取市・・・海岸線がはっきり見えるほどほとんどの建物が流されてなくなっていた
岩沼市・・・大型の工場が破壊されていた。大企業の看板が目立ち、復旧どころか静けさが目立った
仙台空港・・・滑走路は瓦礫なく、飛行機が離着陸。建物は機能せず、機械も不良、人の手で業務を再開していた。簡易トイレが一箇所、待合室も一箇所で吹きさらしで寒く、ひざ掛けとホッカイロが配られていた
亘理町・・・ボランティアをボランティアが支援する姿が印象的だった。若い子が受付にすわり、アットホームだった山元町・・・自衛隊員の姿が目立った。瓦礫撤去した集約場の瓦礫の山が目を引いた
常磐自動車道を走行中、気づいたら福島方面へ向かう車は我々の車だけだった。前後に一台も走っていなかった。対向車線は通常並に車が走り、この違いに違和感を感じた。宮城県では半数以上の車のナンバーが県外のものだったけど、福島では、自衛隊・災害支援車以外はすべて福島ナンバーかいわきナンバーだった
相馬市・・・ボランティアセンターが機能充実していた。人員も多く見られ、チームワークのよさを感じた
南相馬市・・・市の一部が非難指令区域であり、そのためか一気に静けさが増した。人の集まりは見えず、避難場所に控え、自宅待機している状況が外からも分かった。海岸部以外はさほど景色はいつもどおりに見えたが・・・目に見えない放射能汚染の恐怖・・・その暮らしの状況を目の当たりにし緊張感が増した
時間の許す限り、できることを!限界を作らないあきらめない!
被災者自宅清掃、泥出しに、がれきの撤去、激励訪問、支援物資の差し入れ、支援金募金・・・・
走行距離 約1000キロ
計画的に行動していたら、どうだったのだろう・・・
行った先々でアンテナを立て、必要とされる場所で必要とされる活動をしたい
本当の人間力、マンパワーは人の心が成せる業
計画では制限されては身動きできないのが今の人間社会の常識
感想・・・動けば変わる。「何も分からない、迷惑かける」などと消極的発想の皆様へ
行けば、必ず必要とされている場所が山ほどあります。それも今すぐに!計画的行動も否定しませんが、
顔を見せて触れ合う中での支援活動が、復興への早道だということを確認できました。
復興の前に復旧作業だけでも相当かかる
現地の方々には日常生活を取り戻す努力が出来る環境を与え、
それ以外の手数が必要な苦しいことをお手伝いすることをボランティア活動で!
手となり足となり・・・が今必要だと感じました。
それと、いろいろあるのでしょうが、早く義援金を配ること。
全国の皆さんの善意のお金を被災した方の手元に配布することが今すぐ必要です。
公平性や平等ルールに時間をかけて論議しても、正解は出てこない。
被災に大小はありません。
比較して喧嘩している場合ではありません。
不公平という声が挙がったらそのときに対応策を考えるとして、とりあえずお金を渡しましょう。
そしたら、衣食は満たされると思います。そして心も若干の穏やかさを持ち返すと思います。
住に関して、復興は大きな問題だけど、復旧には人の手が必要なだけです。
泥だしや瓦礫の撤去
とても重要な活動だと思いました。
まずは清掃!
復興への道は、それから創られます!
今まで生きてきた中で、感じたことのない様々な感情が渦巻いたボランティア活動
現実を目の当たりにして叫びたいのは、募金活動の継続と現地ボランティアの活動継続
被災者の気持ちを察っする心の継続
これ以上ないギリギリの日々の生活
ずっと支援の手を緩めてはいけない
感性を閉じ込めてはいけない
ボランティアで自宅支援に行った61歳のご夫婦からいただいたお菓子
「こんなんしかないけど、・・・・」
そして、一杯のお水をいただいた。
飲食は自分で用意していたものの、その善意に断ることはできず
ありがたく頂いたが、口に入れることはできずに持ち帰ってきた。
家には何もない
壁は泥色・・・
津波ですべてをさらわれてしまって、一回は窓すらついてない。
支援活動の一日前にやっと水が復旧しトイレが使えるようになったと嬉しそうに話してくれた。
貴重な一杯の水
言葉が出ない・・・・
頑張ってくださいとは口が裂けても言えない
近くに避難所があるのに、
このご夫婦は泥にまみれた施錠のないこの家の二階で暮らしている。
時間に限りがあり、活動を終わらせたことが悔しく自分を責めてしまう。
お母さんが大切に育てていた野菜畑も泥とがれきで見る影なし
みんなで泥をかき出し、元の姿を捜し求めた
時間が終わりに近づいたときに、お母さんが言った。
「だいじょうぶだ 気長にやっから!」
わずかに泥の中から顔を見せた、たまねぎの球根が輝いて見えた
お母さんの顔が少しやさしく微笑んだように見えた
絶対にわかることはできない日々の苦労とガマン
想像を絶するものに違いない
そんな中にあっても明るく接していただいたお気持ちに
こちらこそありがとうございます
「きっとまた来ます」心の中でつぶやいた
五泊六日の復興支援の旅を終えて 今日、熊本に戻ってきました。
明日の朝起きた瞬間からスイッチを切り替えなければ
元気良く明るくスタートすること
ずっと被災地を思いながら世に役立ち社会に貢献することを誓う
『ONE FOR ALL ALL FOR ONE』
動いて良かった
あらたな人との出会い、記憶する景色
あらたな目標「何のために」
決してぶれない腹ができた
これからの生き方が変わり、もっともっと充実する気がする
明日もまた生きていることを実感しながら歩いていく
最後に
自衛隊の皆様、警察の皆様へ
長渕剛が言っていた「みんなは日本の誇りだ!」
わたしもそう思います。
被災地復興の最前線で懸命に頑張っている姿に感動しました。
お体ご自愛の上、健闘を祈ります。 |

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