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忘れないようにメモする。
対人関係においての気になる点。
・相手の話を聞いた時に"同調""聞いているというメッセージ"などで、
どう答えたら適切かどうかがわからない。
→前の飲みの席でのやり取りを思い出す。
・ほめられた時に、どう返答するべきかわからない。
→いわゆる"批判的な話し方"となる。
→そこには"自己肯定感"が絡んでいるような気がする。
→自己開示が難しい。
→無言のメッセージについての勉強が必要。
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対人・視線恐怖症
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昔から同じようなことを何回も書いてはいますが、個人的に再認識したこと。
視線恐怖症者の人って、なんかこう「理想像」からはみだしたくないっていう願望があるんじゃないかと。 5年前の私は、自分の自尊心を守ること、自分の立場を守ることで精一杯だった。 それを守るためには、どうすればいいかっていうと、「理想の自己像に近づくこと」。 こういうと聞こえはいいけれど、実際のところは「理想の自分をいかに演じるか」これに尽きる。 だから、自分がどう思うかというのは無意識に切り捨てて、「いかに自分をみせるか」ということになる。 …それを無自覚にやってる可能性が高いんですよね。 だから、世間的に「人間の負の部分」と言われる部分である「自分が持つ他人への怒り」やら、 「他人に持つ不快感」を、合理化して自分の中でどっかにやっちゃうわけですが、 …それは感じていないわけじゃない。実際は感じているのに、無視しているだけなのだと思います。 理想の自分というのがこういう人間になってくると、理想像からはみだしたくないが為に、 我慢ばかりして、結果的に八方美人の自己主張できない人になっていきがちです。 その無視した自分が悲鳴をあげるまで我慢し続け、ついに我慢が限度を超した時。 その「無視し続けた自分」を見られたくない意識が周りの視線に恐怖を感じ始める。 …個人的に悩み続けて感じている現在の視線恐怖症の原因はこんな感じだと思います。 演じるから、他人の前でボロを出すのが怖い、自分が変でないか疑うのです。 「あなたは怒っているの?あなたは泣いているの?あなたは嬉しいの?」 こういう自分の中にある感情を、私は素直に受け取れません。 私自身、素直に感情表現することを良しとしないとっかかりを自分の心の内面に感じています。 歪んでいるんだと思います。 自分はどう思うのか、他人に批判されようが、自分の内面にばかり原因や怒りを求めず、 自分の内面に感じている感情をしっかりと見つめる。 こうしていくことで、他人との関係の中で自分の内面ばかりに向けていた怒りの感情を、 ある程度は違う形で消化できるようになる気がするんですよね。 「自分を疑っている」から、その場にいることすら苦痛なわけで。 そういう不安定な状態だから、自分そのものが曖昧で、他人と自分は違うということすらわからない。 この病気の根の深さは、相当なものがあるような気がします。とはいえ、本当にもう少しだと感じています。 |
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以前から、"防衛機制"という単語をよく見かけます。
防衛機制というのは、ざっくりいうと「自分の心を守るためのココロの動き」だったと記憶してます…。
以前も何かで見たような気がしたのですが、神経症というのはこの防衛機制のさらに先…。
最終手段なのだそうです…ココロの中の大統領が、核を撃っちまったわけです。
防衛機制というのはそもそも、自分の自尊心を守る為にあるようなものだそうなのですが、
悪く言うと現実逃避をして心の状態を安定に保つために、神経症に自分で逃げ込んでいる状態だとか。
私はカウンセリングルームのHPの記事をみてこれをしりましたが、このページによると…、
防衛機制には種類があるそうで、
「抑圧」 「否認」「同一化」「投影」「合理化」「置き換え」
「反動形成」「分離(解離)」「復元、打消し」「昇華」「退行」などなど。
これらというのは、自分の「欲求」と密接に絡んでいるようなのですが、
これらを見ると神経症というのは、自我の崩壊を食い止める最終手段と言うことになるのでしょうか。
防衛機制というのは、ほとんどが「抑圧」によって引き起こされているとか。
ようは「抑圧」した意識が表面化するのをおそれ、それをカモフラージュした状態なのです。
また、これらと「夢」との関係についても深いつながりがあるようで、
夢は「自我が抱いている欲望の成就」となるそうです。
心理をかじったことがあればこのへんを知っている人は多いのではないでしょうか。
また、神経症に関して「固着への退行」が原因とあります。
うつ病や統合失調症は、この「固着への退行」の「退行する固着の場所」が違うそうです…なんのこっちゃ。
このへんはまだ全部読んでませんので、読んだらきっと理解できるでしょう。
私の主観に過ぎませんが、職場にいる鬱の人もどこか「愛情を満たされていない」のではないかと思うような、
どこか子供っぽいところがありますが、鬱の「無気力感」というのは、退行と関係があるものなのかもしれませんね…。
また、精神分析学では「人の性格形成は3歳頃までに終了する」「それら性格形成の大部分は無意識で行われる」とのことで、この後の文章を読んでいっていくと、無意識をなだめるのが「自我」だそうで、自我が弱いと、快楽優先の無意識をうまくコントロール出来なくなる…などなど、ちょっと読んでみて読み込むのに時間がかかりそうな内容ではありますが…。
私の神経症の原因は、この固着への「退行」によるものだということです。
上手くいかなかった時の不快感とか、そういったものはすべて、このへんとつながっていそうです。
また、自分の成長が「止まっている」と感じる違和感も、このへんを見ると説明できそうです…。
前提として「無意識」というものが存在するっていう考え方を信じないといけなかったから、ここまで辿りつくのに時間がかかってしまったが、やはりフロイトさん、ユングさんは偉大だと言わざるをえない。
自分の感じていたことを、フロイトさん、ユングさんあたりの理論で全部説明できてしまいそうです。
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心屋さんの本の感想のようで、実は自分の考えとのすり合わせになっちゃっとるけれども。
「自己実現」「自分を認める」の真理というか、そういうことについて、言及があります。 ジョハリの窓じゃないですが「自分の見える部分、見えない部分」というもの以外にも「隠したい自分」「認められない見えないフリをした自分」というものが存在すると、私は考えます。 私みたいな視線恐怖症の人は一概には言えないけれども、光と影があったら、光だけを見て足元の影は見えないふりをするような部分があるんじゃないかと思うのですよね。 しかし、光があって影がなければそこに存在するあなたは中身の詰まった三次元の「私」ではなく、光が当たる部分だけ、つまりは見せかけの部分だけを作ったいわばハリボテのようなものなのです。 影を自分と認めることの重要性を心屋さんも書いていますが、私も同感です。「ダメな自分」になっていくことが、本当の意味での自己実現と書いてありますが、自分で「影」を認めることで他人に対しても「自分を認めてほしいが、自分を表現出来ない=隠したい自分がある状態」から脱出出来る。 自分のマイナス面を他人がどう思うかを気にするあまり、他人にマイナス面を見せないこと=他人への不信感の根本の原因だと考えます。 視線恐怖症には、こういった「強い不信感」・・・もとをたどると「自分を受け入れて欲しいという願い」と、それをさせてもらえなかった過去が複雑に絡んでいるように思えて仕方がありません。 |
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まわりの人と「うまく付き合えない」と感じたら読む本
書店で小説を買おうと思ったら、入口に並んでて思わず・・・心屋さんは今でこそ「性格リフォーム心理カウンセラー」なる肩書きを持っているようですが、最初の本を出した時と比べて随分有名になったような気がします。 携帯からの投稿なので長文は書けませんが、この本も今見てみると、かなり真理に迫っているんじゃないかと個人的には思います。 私の視線恐怖症も「いい人でいること」が原因なわけだと考えているわけですが、推測だと心屋さんも意識と無意識という部分は学んだりしたんじゃないかと。 で、「嫌われたくない=愛情飢餓」という部分とか、「我慢=感情、自分の抑圧」というような部分とか、とにかく自分が最近考えていたことと一通り同じなんです、正直ビックリしましたよ。 この方は何か法則性みたいなものを他にも書いていて、一見オカルトチックに見える部分もあるけれども、私としては非常に本を読んで納得する部分が多い、まだ全部読んでないけど(苦笑) 私のように、本心を隠して周囲との摩擦を減らしてきた人間は、バッサリ言うと逃げてきたとも言える。 人間は不思議なもんで、無意識が本当にあるとしたら、本心が自分の関係ないとこで爆発して、他人に対しの不信感を募らせてる。 それが目に現れて、他人の行動が自分の評価と繋がってしまったのが視線恐怖症だと思うのですよね。だとしたらやはり、切り離された本心を「自分」に統合すれば、あるいは病気は感知するんではないかと、自分は思うのですよ・・・。 |



