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[環境ルネサンス]限界集落に生きる(3)間伐不足で「死んだ水」

◇No.148
 戦前、氷もあまりなかったころ、山村の余能(よのう)集落(高知県仁淀川(によどがわ)町)で海の幸といえば、イワシの干物とチリメンジャコだった。
 藤原君子さん(80)は魚をあまり食べない。が、昔からジャコは「毎朝、ご飯に乗せて食べる」という。
 そのジャコの原料、シラス漁に異変が起きている。
 余能近辺の沢は、数々の支流とともに仁淀川の本流にぶつかり、最後は土佐湾へと流れ込む。
 「上流から死んだ水が流れてくる」
 河口にある春野町漁協の岡崎雄幸組合長は、危機感を募らせる。「栄養のある、ええ水が川から流れて来んようになって、魚が集まらなくなった。海と川が交わる河口あたりは、一番の好魚礁やったが……」
 1977〜80年ごろ、春野町漁協では年3億円を超す水揚げ高があった。シラスが取れすぎて加工が追いつかず、泣く泣く捨てたものだ。しかし、平成に入って水揚げが激減し、収益も5分の1以下になった。
 川のアユ漁師も同じような異変に気づいている。
 仁淀川は、水が透き通り、上流から下流まで、川底の石の一つ一つがきれいに見える。しかし、その支流で長年、投げ網漁をしている細川治雄さん(68)は「そういえば最近、岩が滑るんよ」と言う。川底にコケではなく泥が積もっている。おかげで、よく転ぶようになった。緩やかな流れの中を歩くと、その泥が浮いて、水が濁る。
 余能集落から車で25分。小川(こがわ)川で、細川さんのアユ漁を見せてもらった。勢いよく放り投げた網はきれいな弧を描き、手繰り寄せると、15センチの小ぶりのアユが白い腹をくねらせた。30分の釣果は4匹。ひと投げで20匹以上かかったこともあったが、4、5年前からめっきり取れなくなった。
 川よりまず山が変わったというのが、趣味で狩猟もする細川さんの説だ。「スギ・ヒノキの間伐が不十分で、地面に日が当たらないから、下草が全くない。惨たんたる死の世界やね。雨が降れば、山の泥がだーっと川に流れ込む」
 下流の春野町でも、アユ漁は壊滅的だった。
 「昔は簡単に大小30〜40匹は取りよったが、今は2時間やっても1、2匹。ゼロの時もある。5匹取ったらえらいもんじゃ」と証言するのは、60年来の川漁師、深瀬早夫さん(72)だ。ここ10年で、川底にごろごろあった直径10〜20センチの石がすっかり消えた。急激な増水で押し流されたのだろうか。砂利や小石ばかりだから、アユの餌となるコケが生えない。以前は一面のコケで茶色だった川底が、今は真っ白だ。
 「最近のアユは細いきね、30センチの大物はめったにお目にかからなくなった」
 農林水産省のまとめでは、仁淀川流域のアユの漁獲量は74年の550トンをピークに減少が続き、2005年は100トンに落ち込んだ。
 高知大の深見公雄教授(生物海洋学)の調べでは、仁淀川の栄養分は、窒素やケイ素に比べてリンが不足し、バランスを欠いているという。異変の原因究明はこれからだが、「上流域で山の手入れができなくなったことが影響しているのは間違いない」とみる。
 05年秋、川全域を管轄する仁淀川漁協の組合員40人が、上流の仁淀川町の山林で間伐作業に汗を流した。今年も参加者を募り、山に入る。「山がようならなければ、川もようならない。漁師もできることをやろうと思いまして」と、麻岡博組合長は話した。
 小ぶりになったと嘆く深瀬さんのアユを、宿泊先の近くの料理店で塩焼きにしてもらった。締まった身が、ほんのりと甘かった。(高倉正樹)

2007年 9月21日 読売新聞


[環境ルネサンス]限界集落に生きる(4)豊かな農作物、販路なく

◇No.149
 「なーんもない田舎ですきね」というのが、余能(よのう)集落(高知県仁淀川(によどがわ)町)の住人の口癖だ。でも、一つだけ、自慢できるものがある。
 「香りが高く、コクもある」。20年以上も前、余能のお茶が町の大衆食堂で評判になった。仕入れ先を聞きつけ、余能まで茶を買いにやってくる人もいた。
 余能の急斜面に、青々とした茶畑が連なる。その畑の間の石段を抜け、藤原君子さん(80)の家で、自家製の冷たいお茶をいただいた。のどに残る独特の渋みが心地いい。「余能は朝から晩まで日当たりがいいけぇ、おいしいの」と言って、君子さんはまぶしそうに青空を見上げた。
 スイカは目に染みるような鮮やかな紅色。ニンニクも強烈なにおいがする。農作物のほとんどが自家消費だと聞いて驚いた。
 「農協さんが車で集めたころは、みんな売りに出しよりましたけどねえ」
 地元の池川町農協(現・コスモス農協)は1990年、高知市内に店を開き、集荷車で各農家を回って集めた農作物を売った。しかし、3年前、事業は中止された。「辺境の地に2時間かけて1、2パック分の野菜を取りに行くのは効率が悪い」と農協は言う。
 「自分の名前と住所を書いて、きれいに包装して、売値の札をつける。毎日、それが楽しみでねえ」。君子さんは残念がる。価格を100円と決めれば、25円は農協で、75円が君子さんの取り分。ジャガイモ、ニンジン、キャベツ、ニラ……。何でもよく売れた。
 農協は茶も買いつけていたが、これもやらなくなった。6軒あった余能のお茶農家は今、2軒だけ。当時からの「お得意様」の個人注文に細々と応じている。
 最近、君子さんは自宅で食べきれないタイモ(里芋)を野菜作りの堆肥(たいひ)に回すようになった。
 8キロ離れた町中心部。国道439号沿いに、野菜の無人直売所がある。20か所に仕切られた棚のうち、キュウリやピーマンが並ぶのは5、6か所だけ。直売所ができた15年前には、棚は連日埋まっていた。農家の人々が年を取り、野菜をここまで運べなくなった。
 直売所の近くにある地元最大のスーパー「Aコープ池川店」の野菜コーナーをのぞいた。群馬産キャベツ、長崎産ジャガイモ、香川産タマネギ。同じ町内の余能でも作っている野菜が並ぶ。遠くから運ばれた野菜を客が買い求めていく光景は、どこか奇妙だ。
 同じ高知県の四万十町十和地区(旧十和村)はシイタケ栽培で知られる。余能のように山に囲まれているが、車で走ると若者の姿が目につき、雰囲気も明るい。
 50年代、農家の現金収入源として、地元農協はシイタケに目をつけた。組合長自らが大阪や神戸に赴き、販路開拓に奔走した。国の拡大造林政策に抵抗してナラを伐採せずに残し、シイタケ菌を植える「ほだ木」にした。
 「現金収入の道を守ったおかげで、若い後継者が村を出ずに済んだ」。シイタケ農家の安藤精馬さん(83)は言う。十和地区に、限界集落はない。
 仁淀川町も地元産の茶のブランド化を模索する。「手をかけて作る少量のお茶がスローフードの時代に合うのではないか」(片岡広秋・町企画課長)。生産者組合を交えた検討も始まった。
 その動きは余能に伝わっていない。「茶作りは楽しいですよ。釜で炒(い)って、赤ちゃんの肌のような柔らかい葉をもんでね。でも足も悪いし、そろそろやめようかなあ、思うてるんです」と君子さんは打ち明ける。
 限界集落の振興は、時間との戦いでもある。(高倉正樹)


2007年 9月22日 読売新聞

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拝見しました。チラ見ですみません。

しつれいします・・・

2008/7/2(水) 午後 1:22 [ ☆みーちゃん☆ ]

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上関原発建設計画:中電が町に6億円を寄付 /山口

上関町で原子力発電所建設計画を進める中国電力はこのほど、同町に6億円を寄付した。中電が町に寄付するのは07年8月以降5回目で、計24億円となった。

町によると、中電からの寄付金は一般会計の歳入に組み入れ、剰余金を「町ささえあい基金」などに積み立てて、子どもの医療費やお年寄りのバス運賃の補助などに充当している。

2010/12/29(水) 午後 8:19 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]


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