|
[環境ルネサンス]自然案内人(1)参加者と磨く“人間力”
◇No.55
能登半島は一周約300キロ。行く手には山岳地帯と入り組んだ海岸線という厳しい自然が待ち構える。今年8月、自炊しながら、12人の小中学生が、マウンテンバイクで一周走破に挑戦した。パンクあり、ころんでケガありの毎日だったが、国立能登青少年交流の家(石川県羽咋市)にゴールした参加者は全員、黒い顔に真っ白な歯を見せて何度も「万歳」を叫んだ。「やったあ」、ひときわ明るい笑顔を見せていたのが、東京からサポート役として参加していた多賀光枝さん(19)だった。
同交流の家が主催する自然体験キャンプ「チャレンジ能登一周」は、不登校やひきこもりがちな少年を、大学生ら11人の青年が支えながら1週間かけてゴールを目指す。早朝からの行動、連日50キロ余を走り抜ける体調の維持、そして仲間とのコミュニケーション――いわば生きるための「人間力」を身につけさせるプログラムだ。そして多賀さんは、「恩返し」のため参加したのだった。
東京の下町育ち。小学校高学年から中学にかけて、学校になじめない歳月が続いた。たまたまでかけた国立妙高少年自然の家(新潟県妙高市)の自然体験キャンプで、不登校から脱却するきっかけをつかんだからだ。日の出、日没を見つめ、満天の星の下で過ごす生活。そして「どんなことがあっても大丈夫。私が信じているから」。サポート役の大学生にかけられた一言に、たたずんでいた心は優しく背中を押された。
「この体験がなければ私の不登校はもっと続いていたと思います」
今春、創価大学文学部に入学、今度は自身で子どもの自然案内人役を務めようと考えたのだ。しかし小柄な多賀さんは不安でいっぱいだった。
「完走できるのか体力的にも自信がない。まして子どもたちに何と声をかけたらよいのか……」。不安はスタート直後から的中した。無口な子どもにかける言葉を失い、長距離走行の疲れも加わり、心身共に疲れ果てたのだ。救いの手は、毎晩のスタッフミーティングで、仲間らからさまざまな意見、アドバイスとして差し伸べられた。
青少年交流の家の職員に加えて、臨床心理士、看護師、そしてサポート役の青年ら20人近くが一緒に行動する。参加青年には、現職教師や社会人などもおり、平均年齢22歳。「そのままの自分を出せば良いんだよ」。こうした交流が多賀さんを支えたのだ。
一方、子どもたちも日々、変わっていった。迷えばみんなで地図を読んで道を決め、炊事も協力し合う。無口な子も自身の意見を主張し、苦痛や喜びを率直に表すようになった。
「帰宅後も自身で計画を立てて行動したり、積極的に人に話しかけるなど、心身の成長に驚きました」。キャンプ後に寄せられた親たちの感想からは、その変化が見事によみとれる。
そして多賀さんも、大きく成長した。「子供をサポートするつもりで来たのですが、私自身が学んだことが予想以上に大きかった」
同交流の家所長の渋谷健治さん(55)は、筑波大大学院で野外教育を専攻、自然体験教育一筋の案内人だ。そしてこう語った。
「少年、青年双方にとって人間力を磨く好機を提供したい、これが能登一周キャンプの狙いなのです」(編集委員 小出重幸)
◇
先端技術に支えられた便利で快適な生活は、ともすると私たちの五感を鈍化させ、生命力を失わせかねない。心身の健康を取り戻す優れた処方せんとしていま、自然体験が注目されている。体験案内役の多彩な活躍を紹介する。
2006年9月26日 読売新聞
[環境ルネサンス]自然案内人(2)限界に挑み答えつかむ
◇No.56
どこかに足場はないか。せめて、片手をかける小さなくぼみでもあれば――。清水剛さん(34)は夢中で手探りを続けた。
神奈川県丹沢山系、玄倉(くろくら)川源流。高さ6メートルの滝の途中にしがみつく清水さんを支えるのは、1本のロープだけだ。切れるように冷たい水流が容赦なく顔や体をたたきつけ、目も開けていられない。
ふと、生後5か月の長男の顔が脳裏に浮かんだ。滝のごう音と、途切れ途切れに聞こえる仲間の声援が、一瞬静まりかえったように思えた。
滝の上までよじ登ることができたのは30分後。かじかんだ手足はすっかり感覚を失っていたが、滝の下で見守っていた仲間たちに笑顔で手を振った。
東京のIT企業に勤める清水さんが参加したのは、「日本アウトワード・バウンド協会」(OBS)の野外体験活動だ。要領の良さや効率を求める日常社会とは違う世界に飛び込んでみたくなり、参加を決めた。
活動には3日間から21日間コースまであり、8人のグループで沢登りや登山、クライミングなどに挑戦する。対象は10〜30歳代。自然の中で限界に挑み、精神的な成長や他人との協調性をはぐくむのが狙いだ。
なぜ自然が舞台なのか。「自然の真っただ中では逃げ場所がない。自分で決断し、行動するしかないからです」と、協会の佐藤知行さん(42)は説明する。
英国生まれのOBSが初めて日本に紹介されたのは1974年。当時、日本青年会議所の青少年委員会メンバーだった稲澤宏一弁護士(72)(現OBS理事長)が、しごきや精神論ばかりが目立つ青少年教育に物足りなさを感じ、導入に奔走した。89年に協会を設立。今年1月に財団法人となっている。
OBSがこだわるのは2点。強制せず本人ができるまで待つことと、危険な冒険は決してやらせないこと。野外活動の指導者育成にも力を入れ、約200人が育成コースを卒業している。常に訓練を積んだインストラクターが引率し、協会設立以来、事故は1件も起きていない。
その教育効果に着目し、山梨県南アルプス市は今年、不登校の児童・生徒を参加させた。大手運送業「佐川急便」など、OBS活動を社員研修に取り入れる企業も増えている。「きちんとした理念の下に説得力のある体験プログラムを作っている」(冒険家・石川直樹氏)と、アウトドアのプロたちも一目置く存在だ。
滝を登るという同じ困難に直面しても、解決法は人それぞれ異なる。清水さんのように最も激しい流れに愚直にこだわる人、手際よく足掛かりを見つける人、前の挑戦者の道筋を要領よく覚える人……。正解はない。参加者はやがて、それが日々の生活で直面する様々な困難への処し方と同じであることに気づく。
精密機器メーカーで秘書を務める小西愛さん(25)は、「自分自身ときちんと向き合いたい」と考えて参加した。清水さんに声援を送りながら、「いったん下に戻ればいいのに」と何度も思った。一休みして体力を回復してから再挑戦した方がうまく行く。でも、清水さんは一度も振り返らなかった。
不意に、これまでの人生が頭をよぎった。言い訳を探して楽な道を選んでいないか。人間関係が面倒で真正面から立ち向かうのを避けたことはないか。
「こういうやり方もあるんだ」。激流でもがく清水さんの背中が、残像のように小西さんの目に残った。(地方部 高倉正樹)
2006年9月27日 読売新聞
[環境ルネサンス]自然案内人(3)根っからの野外人、育て
◇No.57
欧米の自然体験学校で学び、ガイドになりたい――と願った北海道の青年がいた。しかし「情報も金もない」。もがきながら結局、自身で学校を立ち上げてしまった。北海道南富良野町でNPO「どんころ野外学校」を運営する目黒義重さん(55)は、独立独歩、徒手空拳で活動を積み上げてきた。
生まれは道東、美幌町の山の中。高校卒業後、港ではしけの荷物運びなど肉体労働で稼ぐ傍ら、世界を放浪し、29歳のとき釧路市で石油関係業界紙の記者に。35歳で「脱サラ」し、開拓の手が最も届かなかった南富良野町で、町営牧場の跡地(700ヘクタール)を借りた。
教員住宅の古材を5万円で買い取り、独力で妻と娘3人が住む家を建てた。続いて巨大なログハウス建設に挑戦。ツーリング中に立ち寄ったバイクライダーら、見ず知らずの人たちが作業を手伝い、中にはそのまま一緒に住み込む人まで出てきた。そして1983年に「どんころ野外学校」の看板を掲げたのだ。
どんころとは、開拓時代の北海道弁で木の根っこのこと。しかし、アウトドアブーム以前の時代。生徒も集まらず、貧しかった。経験を生かしてログハウスなど家を建てる仕事に飛び回った。近くの牧場でも働き、春は有刺鉄線張り、夏は牧草刈りに追われた。そんな中でも「野外活動を手伝いたい」というスタッフは次々と集まってきた。
北海道の分水嶺(れい)、狩勝峠の山すそに学校はある。敷地内には、研修棟、自炊棟、スタッフの宿泊棟、浴場など自分たちで造った建物10棟が点在する。
「自分が楽しくないと、お客も楽しくない」が信条で、登山やハイキングを手始めに、カヤック、犬ぞり、マウンテンバイクなど、お客がやりたいという種目に次々挑戦。生徒と共にスタッフも育ってきた。
アウトドアブームを迎えた北海道では最近、ガイドの需要が急増。経験不足のガイドも目立ち、野外活動の事故も増えている。北海道庁は2001年、日本では初めての「北海道アウトドア資格制度」をスタートさせた。合格率は3割程度と難関だが、どんころスタッフの大半はラフティング、カヌーガイドの資格を取得。目黒さんたちは両部門の審査員を務めるという実力者でもある。
川からポンプで水をくみあげ、幅5メートル、長さ50メートルのカーリング屋外リンクを作り上げたのは13年前。自身のカーリングチームも全国2位を達成した。同時に育てた三女の萌絵さん(21)、寺田桜子さん(22)らは、女子日本代表「チーム青森」のメンバーとして、今年2月のトリノ五輪で日本中を熱狂させた。
現在のどんころスタッフは20人。年間3000人の利用客が訪れるが、全員に十分な給料を払えるわけではない。犬ぞりも、餌代などを考えれば赤字だ。同行した釧路川ツアーでは、何とお客4人にスタッフが4人。ぜいたくなツアーだった。だから、スタッフらはアウトドア以外の特技を生かした仕事をしたり、農家に出稼ぎに行ったりして生計を立てている。
最古参の元自衛官は、60歳を超えた今も、ガイド、丸太小屋造りとして活躍する。ほかにもカヌーが得意な大工、川の水質調査の専門家、観光地の焼きグリ屋台店主、ステンドグラス造り……。多彩なメンバーが大きな丸太小屋で共同生活し、分担して食事を作り、一緒のテーブルに向かう。
英語指導助手の傍らガイドとして参加しているカナダ人のセバスチャン・ノーさん(31)は、こう言った。
「ここはアウトドア・コミューンだ」(北海道編集部 吉木俊司)
写真=釧路湿原の塘路(とうろ)湖でカヌーツーリングをガイドする目黒義重さん(右)
2006年9月28日 読売新聞
|