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[環境ルネサンス]自然案内人(1)参加者と磨く“人間力”

 ◇No.55
 能登半島は一周約300キロ。行く手には山岳地帯と入り組んだ海岸線という厳しい自然が待ち構える。今年8月、自炊しながら、12人の小中学生が、マウンテンバイクで一周走破に挑戦した。パンクあり、ころんでケガありの毎日だったが、国立能登青少年交流の家(石川県羽咋市)にゴールした参加者は全員、黒い顔に真っ白な歯を見せて何度も「万歳」を叫んだ。「やったあ」、ひときわ明るい笑顔を見せていたのが、東京からサポート役として参加していた多賀光枝さん(19)だった。
 同交流の家が主催する自然体験キャンプ「チャレンジ能登一周」は、不登校やひきこもりがちな少年を、大学生ら11人の青年が支えながら1週間かけてゴールを目指す。早朝からの行動、連日50キロ余を走り抜ける体調の維持、そして仲間とのコミュニケーション――いわば生きるための「人間力」を身につけさせるプログラムだ。そして多賀さんは、「恩返し」のため参加したのだった。
 東京の下町育ち。小学校高学年から中学にかけて、学校になじめない歳月が続いた。たまたまでかけた国立妙高少年自然の家(新潟県妙高市)の自然体験キャンプで、不登校から脱却するきっかけをつかんだからだ。日の出、日没を見つめ、満天の星の下で過ごす生活。そして「どんなことがあっても大丈夫。私が信じているから」。サポート役の大学生にかけられた一言に、たたずんでいた心は優しく背中を押された。
 「この体験がなければ私の不登校はもっと続いていたと思います」
 今春、創価大学文学部に入学、今度は自身で子どもの自然案内人役を務めようと考えたのだ。しかし小柄な多賀さんは不安でいっぱいだった。
 「完走できるのか体力的にも自信がない。まして子どもたちに何と声をかけたらよいのか……」。不安はスタート直後から的中した。無口な子どもにかける言葉を失い、長距離走行の疲れも加わり、心身共に疲れ果てたのだ。救いの手は、毎晩のスタッフミーティングで、仲間らからさまざまな意見、アドバイスとして差し伸べられた。
 青少年交流の家の職員に加えて、臨床心理士、看護師、そしてサポート役の青年ら20人近くが一緒に行動する。参加青年には、現職教師や社会人などもおり、平均年齢22歳。「そのままの自分を出せば良いんだよ」。こうした交流が多賀さんを支えたのだ。
 一方、子どもたちも日々、変わっていった。迷えばみんなで地図を読んで道を決め、炊事も協力し合う。無口な子も自身の意見を主張し、苦痛や喜びを率直に表すようになった。
 「帰宅後も自身で計画を立てて行動したり、積極的に人に話しかけるなど、心身の成長に驚きました」。キャンプ後に寄せられた親たちの感想からは、その変化が見事によみとれる。
 そして多賀さんも、大きく成長した。「子供をサポートするつもりで来たのですが、私自身が学んだことが予想以上に大きかった」
 同交流の家所長の渋谷健治さん(55)は、筑波大大学院で野外教育を専攻、自然体験教育一筋の案内人だ。そしてこう語った。
 「少年、青年双方にとって人間力を磨く好機を提供したい、これが能登一周キャンプの狙いなのです」(編集委員 小出重幸)
     ◇
 先端技術に支えられた便利で快適な生活は、ともすると私たちの五感を鈍化させ、生命力を失わせかねない。心身の健康を取り戻す優れた処方せんとしていま、自然体験が注目されている。体験案内役の多彩な活躍を紹介する。

2006年9月26日 読売新聞



[環境ルネサンス]自然案内人(2)限界に挑み答えつかむ

◇No.56
 どこかに足場はないか。せめて、片手をかける小さなくぼみでもあれば――。清水剛さん(34)は夢中で手探りを続けた。
 神奈川県丹沢山系、玄倉(くろくら)川源流。高さ6メートルの滝の途中にしがみつく清水さんを支えるのは、1本のロープだけだ。切れるように冷たい水流が容赦なく顔や体をたたきつけ、目も開けていられない。
 ふと、生後5か月の長男の顔が脳裏に浮かんだ。滝のごう音と、途切れ途切れに聞こえる仲間の声援が、一瞬静まりかえったように思えた。
 滝の上までよじ登ることができたのは30分後。かじかんだ手足はすっかり感覚を失っていたが、滝の下で見守っていた仲間たちに笑顔で手を振った。
 東京のIT企業に勤める清水さんが参加したのは、「日本アウトワード・バウンド協会」(OBS)の野外体験活動だ。要領の良さや効率を求める日常社会とは違う世界に飛び込んでみたくなり、参加を決めた。
 活動には3日間から21日間コースまであり、8人のグループで沢登りや登山、クライミングなどに挑戦する。対象は10〜30歳代。自然の中で限界に挑み、精神的な成長や他人との協調性をはぐくむのが狙いだ。
 なぜ自然が舞台なのか。「自然の真っただ中では逃げ場所がない。自分で決断し、行動するしかないからです」と、協会の佐藤知行さん(42)は説明する。
 英国生まれのOBSが初めて日本に紹介されたのは1974年。当時、日本青年会議所の青少年委員会メンバーだった稲澤宏一弁護士(72)(現OBS理事長)が、しごきや精神論ばかりが目立つ青少年教育に物足りなさを感じ、導入に奔走した。89年に協会を設立。今年1月に財団法人となっている。
 OBSがこだわるのは2点。強制せず本人ができるまで待つことと、危険な冒険は決してやらせないこと。野外活動の指導者育成にも力を入れ、約200人が育成コースを卒業している。常に訓練を積んだインストラクターが引率し、協会設立以来、事故は1件も起きていない。
 その教育効果に着目し、山梨県南アルプス市は今年、不登校の児童・生徒を参加させた。大手運送業「佐川急便」など、OBS活動を社員研修に取り入れる企業も増えている。「きちんとした理念の下に説得力のある体験プログラムを作っている」(冒険家・石川直樹氏)と、アウトドアのプロたちも一目置く存在だ。
 滝を登るという同じ困難に直面しても、解決法は人それぞれ異なる。清水さんのように最も激しい流れに愚直にこだわる人、手際よく足掛かりを見つける人、前の挑戦者の道筋を要領よく覚える人……。正解はない。参加者はやがて、それが日々の生活で直面する様々な困難への処し方と同じであることに気づく。
 精密機器メーカーで秘書を務める小西愛さん(25)は、「自分自身ときちんと向き合いたい」と考えて参加した。清水さんに声援を送りながら、「いったん下に戻ればいいのに」と何度も思った。一休みして体力を回復してから再挑戦した方がうまく行く。でも、清水さんは一度も振り返らなかった。
 不意に、これまでの人生が頭をよぎった。言い訳を探して楽な道を選んでいないか。人間関係が面倒で真正面から立ち向かうのを避けたことはないか。
 「こういうやり方もあるんだ」。激流でもがく清水さんの背中が、残像のように小西さんの目に残った。(地方部 高倉正樹)

2006年9月27日 読売新聞



[環境ルネサンス]自然案内人(3)根っからの野外人、育て


◇No.57
 欧米の自然体験学校で学び、ガイドになりたい――と願った北海道の青年がいた。しかし「情報も金もない」。もがきながら結局、自身で学校を立ち上げてしまった。北海道南富良野町でNPO「どんころ野外学校」を運営する目黒義重さん(55)は、独立独歩、徒手空拳で活動を積み上げてきた。
 生まれは道東、美幌町の山の中。高校卒業後、港ではしけの荷物運びなど肉体労働で稼ぐ傍ら、世界を放浪し、29歳のとき釧路市で石油関係業界紙の記者に。35歳で「脱サラ」し、開拓の手が最も届かなかった南富良野町で、町営牧場の跡地(700ヘクタール)を借りた。
 教員住宅の古材を5万円で買い取り、独力で妻と娘3人が住む家を建てた。続いて巨大なログハウス建設に挑戦。ツーリング中に立ち寄ったバイクライダーら、見ず知らずの人たちが作業を手伝い、中にはそのまま一緒に住み込む人まで出てきた。そして1983年に「どんころ野外学校」の看板を掲げたのだ。
 どんころとは、開拓時代の北海道弁で木の根っこのこと。しかし、アウトドアブーム以前の時代。生徒も集まらず、貧しかった。経験を生かしてログハウスなど家を建てる仕事に飛び回った。近くの牧場でも働き、春は有刺鉄線張り、夏は牧草刈りに追われた。そんな中でも「野外活動を手伝いたい」というスタッフは次々と集まってきた。
 北海道の分水嶺(れい)、狩勝峠の山すそに学校はある。敷地内には、研修棟、自炊棟、スタッフの宿泊棟、浴場など自分たちで造った建物10棟が点在する。
 「自分が楽しくないと、お客も楽しくない」が信条で、登山やハイキングを手始めに、カヤック、犬ぞり、マウンテンバイクなど、お客がやりたいという種目に次々挑戦。生徒と共にスタッフも育ってきた。
 アウトドアブームを迎えた北海道では最近、ガイドの需要が急増。経験不足のガイドも目立ち、野外活動の事故も増えている。北海道庁は2001年、日本では初めての「北海道アウトドア資格制度」をスタートさせた。合格率は3割程度と難関だが、どんころスタッフの大半はラフティング、カヌーガイドの資格を取得。目黒さんたちは両部門の審査員を務めるという実力者でもある。
 川からポンプで水をくみあげ、幅5メートル、長さ50メートルのカーリング屋外リンクを作り上げたのは13年前。自身のカーリングチームも全国2位を達成した。同時に育てた三女の萌絵さん(21)、寺田桜子さん(22)らは、女子日本代表「チーム青森」のメンバーとして、今年2月のトリノ五輪で日本中を熱狂させた。
 現在のどんころスタッフは20人。年間3000人の利用客が訪れるが、全員に十分な給料を払えるわけではない。犬ぞりも、餌代などを考えれば赤字だ。同行した釧路川ツアーでは、何とお客4人にスタッフが4人。ぜいたくなツアーだった。だから、スタッフらはアウトドア以外の特技を生かした仕事をしたり、農家に出稼ぎに行ったりして生計を立てている。
 最古参の元自衛官は、60歳を超えた今も、ガイド、丸太小屋造りとして活躍する。ほかにもカヌーが得意な大工、川の水質調査の専門家、観光地の焼きグリ屋台店主、ステンドグラス造り……。多彩なメンバーが大きな丸太小屋で共同生活し、分担して食事を作り、一緒のテーブルに向かう。
 英語指導助手の傍らガイドとして参加しているカナダ人のセバスチャン・ノーさん(31)は、こう言った。
 「ここはアウトドア・コミューンだ」(北海道編集部 吉木俊司)
 
 写真=釧路湿原の塘路(とうろ)湖でカヌーツーリングをガイドする目黒義重さん(右)


2006年9月28日 読売新聞

[環境ルネサンス]水都再生(4)水辺復活、気温下がった!

◇No.48 
 猛暑が続く8月のソウル。オフィス街の光化門から若者の街・東大門に流れる清渓川(チョンゲチョン)は、水遊びに興じる子どもや、腰を下ろして涼むカップルらでにぎわう。道路にふさがれていたこの水辺は昨年10月、約半世紀ぶりに復活した。国立環境研究所(茨城県つくば市)の一ノ瀬俊明・主任研究員(43)ら5人はいま、ソウル市の関係者らと共に、この川の周辺で気象観測作業を続けている。
 ヒートアイランド現象の研究をしていた一ノ瀬さんが、韓国気象庁から観測調査協力を依頼されたのは2002年。日韓合同の調査団は03年6月から、同川周辺で定期的に気温や風力を観測してきた。
 市内を歩きながら、気温、湿度などから「快適度」を測定するアメニティーメーター、約3メートルの高さの超音波風速計などを歩道に設置し、定期的に計測する。若者の人気スポット、映画館「ソウル劇場」。そこでも清渓川から風が通ると、アメニティーメーターは「不快」から「暑い」に下がった。同市治水課の崔晋碵(チェジンソク)チーム長は「自然な姿を取り戻し、市民がくつろげる場を作るのが目的だったが、周辺の温度を下げる効果も期待できそうだ」と話す。
 清渓川は李氏朝鮮時代から、ソウル市民の洗濯や川遊びの場だった。そこがコンクリートでふたをされたのは1958年。都市開発の進んだ76年には、その上に高架道路が建設され、川はすっかり忘れ去られた。
 しかし李明博(イミョンバク)・前ソウル市長が河川の景観復活を訴え、03年から高架道路を約6キロにわたって撤去、再び自然の川へと戻したのだ。総工費420億円、世界でも例のない大がかりな河川復元工事は、河川が都市のヒートアイランド現象をどれほど緩和させるか、世界で初めて実証する場としても関心を集める。
 道路が河川へと姿を変え、「排熱源」は「吸収源」に切り替わった。ソウル市がこの夏行った予備調査では、清渓川近くの気温は周囲より3度近く低かった。今年の観測データはまだ集計されていないが、一ノ瀬さんは「清渓川は(ソウルの西の)黄海から吹く風の通り道。川の復活で、周辺市街地にもヒートアイランド緩和効果が出るのではないか」と見ている。
    ◇
 一方の東京は、年平均気温がこの1世紀で3度上昇。都心は郊外に比べると夏の最低気温が3〜4度高く、熱帯夜の日数も30年前から倍増している。
 土木研究所(茨城県つくば市)の想定実験によると、河川や池などを増やして都心の水面積割合を現在の5%から10%に拡大した場合、最大で気温が平均0・5度下がるという。
 一ノ瀬さんのグループは、さらに思い切ったアイデアを提唱する。
 海洋深層水を長さ50キロのパイプでくみ上げて東京湾に送り込み、都心に流れ込む生暖かい風を涼風に変えようという大胆な発想だ。夏の東京湾の水温は28度もあるが、深層水は20度。海側の水温が下がれば陸地との温度差が生じ、吹き込む風も強くなる。屋上緑化や道路の保水性舗装などの緩和策より、はるかに安上がりで済むという。
 元東京都副知事の青山ヤスシ・明治大学大学院教授(都市政策)は、「抜本的な解決策になりうる面白い提案。これからの都市づくりに必要な視点は効率ではなく快適さ。そのためにも、川や海など水辺空間の再生は欠かせない」と話している。(ソウル支局 中村勇一郎、地方部 高倉正樹)


2006年8月11日 読売新聞



[環境ルネサンス]水都再生(5)魚も人も憩う古都の「顔」


◇No.49 
 京都・四条大橋近くの鴨川。流れの中で、投網が丸く広がった。たぐり寄せられた網目から、アユが身を輝かせると、橋上の観光客らから思わず歓声が上がる。「こんな街中でアユ漁だなんて……」
 「目の前には美しい街並み、遠くに北山を眺めながら漁ができるなんて幸せだよ」と、地元漁協の松本隆さん(77)は誇らしげにアユをつかむ。
 今日も河原では若者たちが歌い、踊り、散策する。出雲阿国(いずものおくに)の時代から、幾多の芸能、文化をはぐくんできた鴨川は、昔も今も、都の〈顔〉なのだ。
 京都府は、「鴨川条例(仮称)」の今年度中の制定を目指している。6月23日に開かれた専門家による第1回検討委員会は、鴨川の歴史・文化的な価値を尊重し、年間4700万人に上る観光客らも憩えるような環境を永続的に守っていくことで一致。「広瀬川の清流を守る条例」(仙台市)や、「四万十川条例」(高知県)の環境保全に対し、鴨川は、景観保全を理念の中心に据える構えだ。
 検討委員会委員の川崎雅史・京都大学大学院工学研究科助教授(総合環境学)は「長年の活動で水辺の環境を守ってきた市民、手をかけ護岸を整備してきた行政、双方にとっての集大成が今回の条例。自然と都市が柔らかく結びついている鴨川の環境を後世に残すため、市民、行政が作り上げ、育てていける条例になれば」と話す。
 実は40年前、繁華街の鴨川は、BOD(生物化学的酸素要求量)が1リットル中、28・7ミリ・グラムという、汚染がひどい環境だった。悪臭が漂い、魚も人も寄りつかない川。工場や家庭からの排水は垂れ流され、ごみの投棄も相次いでいた。
 かつての清澄な流れを取り戻したい――1964年、数人の町衆が「鴨川を美しくする会」を結成し、ごみ拾いを始めた。「まず、鴨川に親しんでもらおう」と、河原での夏祭り「鴨川納涼」も開催。古参会員の清水章一さん(63)は「祭りがにぎわいを増すにつれ、清掃に参加する人も増えた」と振り返る。
 地道なボランティアに対する共感は市民に広がり、同会には今、280団体(2万人以上)が登録。このうち「鴨川みそそぎ会」は数年前、三条大橋近くの河原を流れるみそそぎ川にホタルをよみがえらせた。副会長の田中昭嘉さん(79)は「子供たちに、ホタルの乱舞を見せたかっただけです」と笑う。
 公共下水道の整備も進み、川の水質は大幅に改善された。BODは現在、1ミリ・グラム以下まで改善。府も親水事業に乗り出し、対岸に渡れる飛び石や芝生広場、様々な花木を植栽した「花の回廊」などを整備。住民の意見を反映させる「鴨川府民会議(仮称)」の設置も検討されている。
 「鴨川を美しくする会」は2年前、小学生の教科書でも取り上げられ、修学旅行などで活動を見学に来る学校も増えた。
 「こうした子供らから『地元の川で清掃に励んでいます』という手紙をもらうと、私たちの思いが全国の川にまで広がっていることを実感します」
 事務局長の杉江貞昭さん(61)はうれしそうに話し、こう強調する。
 「鴨川は、京都人の心のよりどころ。清らかな流れを誇りに思い、愛着を持つことが、次世代にこの川と活動をつなぐことになる」(大阪・地方部 長崎慎二)(おわり)


2006年8月12日 読売新聞

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[環境ルネサンス]水都再生(1)遊歩道、道頓堀に安らぎ


◇No.45
 大阪・ミナミを流れる道頓堀川。戎橋―太左衛門橋間両岸の川べり約170メートルに設けられた幅8メートルの遊歩道に降りてみた。行き交う観光クルーズ船。原色のネオンに染められた水面が揺れると、幻想的な光の波が広がる。大都会の夜の喧騒(けんそう)が、ふと安らぎに変わる。
 「ずっと川に背を向けて商売してきたが、これからは川もミナミの顔になる」
 遊歩道でカフェやイベントを開く「とんぼりリバーウォークの会」事務局長で、飲食店経営の岡田省三さん(52)は自信ありげだ。同会は2004年12月、遊歩道の完成を機に地元店主らが結成した。
 巨大なフグやカニ、エビ……。派手な宣伝モニュメントは、店先となる道路側で客を呼び込み、店裏の川側には、室外機や排気口が並んでいた。が、遊歩道ができると、川側にも入り口を設ける店が出始めた。
 土産物店の店員(25)は「憩いの場として、年配の方やカップルが目立ちますね」と、開け放った入り口から川面を見やる。
 4年後、遊歩道は1キロまで延びる予定だ。
          ◇
 江戸時代、水運が支えた「天下の台所」は、「水の都」とも呼ばれた。戦後、網状に張り巡らされていた水路は埋め立てられ、残った川の水質も悪化。子供たちが泳いでいた道頓堀川は一気にどぶ川に化した。
 低迷が続く大阪。自らの歴史、文化を見直そうという機運の中、2001年12月、普段は不仲な大阪府と大阪市の共同提案「水都再生」が、政府の都市再生事業に指定され、水辺でつち音が聞こえ始めた。
 市内には、都心部を「ロ」の字に囲む「水の回廊」など面積の約1割を占める水面が、まだ残されていた。事業推進の旗振り役で産官学でつくる「大阪21世紀協会」理事長の堀井良殷(よしたね)さん(70)は「何をやるにもバラバラな大阪が、水への思いではすぐに一致した。水運で栄えた大阪が、川をないがしろにしたことで街の魅力を失ったという反省があった」と振り返る。
 今秋、大川沿いの八軒家浜(中央区)でも、船着き場の復元工事が始まる。かつて「三十石船」が帆を並べた水都の中心地だ。
 09年春には、水都再生の起爆剤となるシンボルイベントの開催も決まった。堀井さんは「一過性の博覧会ではなく、イベントを基盤として、官民一緒に地道な取り組みを続けるための第一歩にしたい」と言う。
 まだ、市内の川は濁り、ゴミも浮かぶ。水の回廊も、高速道路やそびえる護岸に視界をふさがれる殺風景な場所が目立つ。
 そんな川べりに、1000本のサクラを植えるプロジェクトも進行中だ。サクラの名所を広げてゆく計画に、市民から2年間で予想を超える約3億9000万円の寄付が集まった。
 呼びかけ人で建築家の安藤忠雄さん(64)は、水都再生に大阪再生の夢を託す。「金にシビアな大阪人が、サクラにこれほど寄付をしてくれるのは、水都の遺伝子が組み込まれているから。水辺のある暮らし、美しい大阪を作りだすことで、活気ある大阪を取り戻したい」(大阪・社会部、小林健)
          ◇
 河川や池を汚し、埋め立て、護岸を造り、人々を水から遠ざけてきた都市が、今、親水空間の創造や自然再生に動き始めている。新たな街と水のつき合い方を探った。

2006年8月8日 読売新聞


[環境ルネサンス]水都再生(2)見直される都会の地下水

台風一過の朝、ふと橋の上から池をのぞいた原幸夫さん(74)は目を疑った。
 普段はどす黒い水に隠れて見えない小魚の群れが気持ちよさそうに泳いでいる。深さ1・8メートルの池の底がくっきり見え、湧(わ)き水があちこちで勢いよく砂を噴き上げていた。いつも鼻につく生臭いにおいもない。
 2004年10月、井の頭恩賜公園(東京都武蔵野市)の「井の頭池」が突然、きれいになったのだった。
 池のほとりで茶店を営む原さんの知らせで駆けつけた公園管理所の職員は、捨てられた自転車を池の底から引き揚げて回った。30台もあった。池はそれから1か月間、澄んだ状態が続いた後、再び透視度十数センチの濁った水に戻った。
 なぜ池の水が急に透明になったのか。東京都西部公園緑地事務所によると、原因は直前の豪雨だった。雨で地下水位が4メートルも上昇、きれいな水が池に流れ込んで一時的に浄化したのだ。
 池の水源である湧き水は1960年代半ば以降、相次いで枯れた。宅地開発で一帯の農地が減少し、雨水が地中に浸透しなくなったためだ。地下水の異変は地上の変化に直結する。水量が落ちた井の頭池はよどみ、年々濁っていった。
 「瀕死(ひんし)の池のすぐ下で、地下水という巨大な『ダム』が豊かな水をたたえている。きれいになった池が、それに改めて気づかせてくれた」と、小口健蔵事務所長は語る。
 関東平野はもともと地下水が豊富な土地だ。特に武蔵野台地の地中10〜25メートルに広がる砂利の層は水がたまりやすく、貯水タンクのような機能がある。しかし高度成長期、工業用水を大量に地下から取水した結果、地盤沈下が深刻化した。都は70年代に地下水のくみ上げ規制に着手。そして現在、墨田区などの地下水位は65年当時に比べて50メートル上昇している。
 その水位の回復が、地下施設では困った事態も招いている。
 東京の玄関口・JR東京駅では99年、増え続ける地下水が駅舎を浮き上がらせる恐れがあるとして、70本の錨(いかり)を地中に打ち込んだ。上野駅でも鉄板を積むなどの対策を講じている。東京駅の最深部は地下27メートルにある総武線ホーム。40年前、はるか下を流れていた地下水は地下15メートルにまで上がり、現在、駅の地下部分のほぼ半分が“水没”した状態だ。
 都内8路線の地下鉄を運営する東京メトロによると、トンネルから漏れ出す地下水は年間240万トン。JR東日本では東京〜錦糸町駅間のトンネルから漏れる日量4500トンの地下水を立会川に流し、水質改善に役立てている。
 一方で、地下水の回復を願う街も多い。小金井市では、雨水で地下水を潤そうという取り組みを始めた。雨水を下水道に流さずに地中に逃がす「雨水浸透ます」の導入を市民に呼びかけている。1軒あたり上限40万円の設置補助に後押しされ、個人宅などで計5万基が設置された。いったん枯れた市内3か所の湧き水で水量が戻り、効果も上々だ。
 水がきれいになった「怪現象」をきっかけに地下水への関心が高まった井の頭池でも、9月、小金井市長を招いて地下水回復のシンポジウムが開かれる。同じ浸透ます設置を、三鷹、武蔵野両市民に働きかける計画だ。
 井の頭池の下に眠る巨大な「ダム」が復活する日は来るのだろうか。(地方部 高倉正樹)


2006年8月9日 読売新聞


[環境ルネサンス]水都再生(3)「洪水ない川」のジレンマ

「やっぱりいなかった。これが淀川の現状です」
 7月17日、大阪市旭区の淀川左岸「城北わんど」で行われたクリーン作戦。淀川水系イタセンパラ研究会会長の高校教諭、小川力也さん(44)はため息をついた。
 本流の脇にできた入り江のような池が「わんど(湾処)」だ。研究会は清掃と共にわんどの生態系を調べてきたが、今回、天然記念物の淡水魚、イタセンパラ(コイ科)の姿はなく、網に入ったのは外来魚のブルーギルやオオクチバスが数十匹。在来魚はニゴイとヨシノボリが各1匹。
 富山平野や濃尾平野、淀川水系などに広く分布していたイタセンパラは、河川環境の悪化で激減。今や、まとまった生息地は城北わんどだけになっていた。
 今年5月、国土交通省淀川河川事務所などが行った調査では、初めて1匹も見つからなかった。5年前の確認数は7839匹。「わんどが沼化して環境が悪化したところに、外敵の外来魚がとどめを刺した。もう絶望的です」と、小川さんは悔しさをにじませる。
 イタセンパラの特異な生態は、わんどの水の動きに支えられている。秋にイシガイなどの二枚貝に産み付けられた卵は、冬場にわんどが干上がっても貝の中で生き続け、春先に増水すると、稚魚は貝から一斉にわき出し、外敵が入り込みにくいわんどで成長する。
 淀川には1960年代、約500のわんどがあったとされるが、70年以降、河川改修で次々とつぶされ、現在は55か所しかない。
 さらに、83年に城北わんどの下流約1・5キロに淀川大堰(おおぜき)が完成。大堰の上流約15キロまではダム湖状態となり、3メートル以上も変動していた水位は、約50センチに抑制された。集中豪雨があっても河川敷への氾濫(はんらん)はまれで、本流からわんどへの流れが途絶えてしまったのだ。
 今、城北わんどには、沼に育つヒシが密生する。泥地では、砂礫(されき)層を好むイシガイは育ちが悪く、外来魚のすみかにもなる。
 イタセンパラの天然記念物指定に奔走した木村英造さん(84)は「大堰による環境悪化は明白だったのに、国の対策は後手後手に回った」と嘆く。
 しかし現在、国交省が淀川で進める自然再生事業は「先駆的な取り組み」として評価されている。
 97年の河川法改正で河川行政は「環境保全」に方向を転換。淀川河川事務所は有識者による環境委員会を発足させ、陸地化した河川敷に10の人工わんどを作ったほか、人工干潟やヨシ原も再生してきたからだ。
 「固有種や希少種の宝庫だった淀川は、保護運動の歴史も古く、地元専門家が委員となってアイデアを出し合った」と、委員の綾史郎・大阪工業大教授(56)(河川工学)は振り返る。
 イタセンパラ「消滅」を受け、同事務所は本流との間に水門を設け、わんど内に人工的な流れを作り出すことを検討しているが、効果は未知数だ。
 大堰がせき止めた水は、約100万人の水道水を賄う。同事務所は「治水と利水の両面からみて、これ以上、水位を変動させるのは難しい」と強調するが、綾教授は「人間のためだけを考えたら、水の流れは安定的な方が良いが、それでは川の生態系は損なわれる。洪水が起きない川は、本来の意味では川とは言えない。自然を再生するには限界がある」と言い切る。
 淀川のわんどに生息する天然記念物の淡水魚「アユモドキ」も、ここ数年、姿が確認されていない。(大阪・社会部 小林健)


2006年8月10日 読売新聞

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[環境ルネサンス]森が盗まれる事情(上)違法伐採、生きるため


◇No.42 
 日本製の船外機がうなりをあげる。ボートはきびすを返し、いかだに組んだ200本近い丸太を引く木造船に横付けされた。
 インドネシア領カリマンタン(ボルネオ島)を流れるカプアス川。西カリマンタン州特別森林警備隊の隊員たちが一斉に木造船へ乗り移った。中にいた若い女がハンモックにいた幼児をあわてて抱き寄せる。男女6人の目が不安そうに、こちらを見つめた。
 「許可証はあるか」。ひげ面の男ブジャン(37)が「村の代表者の了解を得ている」と言い、「承諾書」と称する紙切れを差し出した。「当局の許可証がなければ違法伐採だ」。一喝され、ブジャンはようやくうなだれた。
 違法伐採取り締まりの切り札として昨年、全国10州に配置された特別森林警備隊。上流部に豊かな熱帯雨林が残るカプアス川は、違法材運搬の大動脈であり、重点捜査地域だ。
 だが、警備隊による摘発は進まない。今年に入り、無許可の材木を運んだ4人組を摘発したが、材木の所有者は姿を隠したままだ。
 「摘発は森林警備隊と軍や警察が連携しなければ成功しない。違法伐採グループは、縦割り行政の壁に阻まれ、我々がすぐ動けないことを知っている」。隊員の一人が悔しげに言った。
 州自然保護局事務局長のアーウィン・エフェンディは「カプアス川周辺の300の部族の中には、好戦的な部族もあり、地元民を敵に回さないよう慎重にならざるを得ない」と語った。
 武装したグループの摘発には危険も伴う。昨年、カプアス川上流のベトゥン・カリフン国立公園では、捜査中の森林警備隊が襲われ、警備隊所有の四輪駆動車3台が奪われた。公園事務所には「放火する。殺す」という脅迫もあった。
 摘発を残念がる住民もいた。「伐採地では一日1人10万ルピアも稼げた。今は家族全員がゴム畑で働いて一日20万ルピア(約2500円)がやっと。伐採道路のおかげで、徒歩で一昼夜かかった町まで、今は車で30分で行ける」。国立公園近くに住むリオン(44)は、違法伐採グループの再来を待ち望んでいる。
 カプアス川下流の製材所の責任者エマディ(37)は「丸太を持ち込むのは、ほとんど上流部の貧しい農民。どの森から切り出したかなんて確認していない」と言い放った。
 森林破壊が進むインドネシアでは、熱帯雨林はもう地方にしかない。貧困層には、一握りの企業に伐採権を与え、人々から森の恵みを奪ったスハルト政権への不満があった。1998年の政権崩壊後は、地方分権化が進み、地方政府が伐採権を乱発した。森林伐採がこれまで手つかずだった地域にまで及ぶにつれ、人々による盗伐も誘発された。
 インドネシアに拠点を置く国際林業研究センター(CIFOR)がボルネオ島の687世帯を対象に行った調査では、伐採による収入のある世帯はスハルト時代に1%だったが、政権崩壊後は94%に急増した。現金収入は、材木1立方メートル当たり約4ドルになっている。
 蜜(みつ)に群がるアリのように違法伐採に引き寄せられる村人。貧困と森林破壊の悪循環は続く。(敬称略、佐藤淳)



2006年 8月1日 読売新聞



]森が盗まれる事情(中)政府は「クロ」州は「シロ」(連載)

 ◇No.43
 「ロシアでは、書いてあることと実際は、違う」
 東シベリアと極東地域の取材で、通訳として同行したノーボスチ通信記者、コツーバ・セルゲイ(48)はこう言い、小話を披露した。
 「米国人、フランス人、ロシア人を冷たい水に飛び込ませるなら、米国人には『法律で決まっている』、フランス人には『流行している』、ロシア人には『厳禁されている』といえばよい」。スターリン時代から、法律は世のため人のために存在するものではないと達観してきたロシア人は、法や規制をくぐろうと発想する、というのだ。
 政府が昨年導入した人工衛星と航空機を使った違法伐採モニタリング調査についての取材は、難航した。
 モスクワの天然資源省森林局は、その成果を詳しく説明してくれた。結果はすでにインターネットで公開されていたが、航空写真を使って、許可地を大きくはみ出した違法伐採を示す資料は迫力があった。
 ところが、現場では話が違った。イルクーツク州森林局長のセルゲイ・ジュルコフは「あれは本当ではない」とあっさり否定。同局保護部の専門官、アレクサンドル・イエコリモフは、奇妙な説明を展開した。「空からの画像が(違法と)示した場所は、すべて許可区域内なのです」。問題になっているのは、細かな規則違反だけ、と示唆する。
 日本の林野庁によると、ロシア政府は昨年まで、「違法伐採といっても手続きの間違いなどによるもので全体の伐採量の1%程度」と繰り返してきた。森林局長代理のミハイル・ギリヤエフは記者のインタビューに、「昨年ロシアで1億8400万立方メートルが切り出され、うち違法に伐採されたものは10%にのぼる」と明言した。
 政府上層部の姿勢は大きく変わった。しかし、地方の役人は、中央主導の改革など「絵に描いたもち」と見るのか、いまだに違法伐採の存在を否定する。
 違法伐採問題に詳しい極東経済研究所教授のアレクサンダー・シェインガウスは「一番の問題は、政治や行政の不透明さだ」と断じる。「ある政策判断がなぜ下され、誰が準備したのか、政策決定があったことすらわからないことが多い」
 ここ数年、ロシアで森林をめぐる行政は大きく改変され、成果よりも混乱を呼んでいる。例えば、伐採の適否や流通監視業務は、同じ天然資源省内の森林局から自然利用監督局に移され、営林署の検査官は激減。沿海地方では、三つの営林署で2人という手薄な体制になっている。
 来年、森林法が改正され、森林管理の地方政府への移管が予定されるが、行政内部からも「方向性が全く見えない」との声が出る。
 司直による違法伐採の摘発強化にも、冷めた目が向けられる。
 沿海地方で従業員70人の伐採・製材会社を営むアレクサンドル・ソプチェンコは、自社伐採地が道路に近いため、盗伐に悩まされている。捜査当局による違法伐採の摘発強化をどう思うか、と聞くと、笑い飛ばされた。「子供の教育費を工面したい、といった貧しい人たちは捕まるが、違法伐採に携わる業者は警察、行政ともつながりが深く、取り締まりの網を逃れる」
 末端にいくほど不透明さを増し、混乱する森林行政、横行する汚職や腐敗。違法伐採の根は深い。(

2006年8月2日 読売新聞


[環境ルネサンス]森が盗まれる事情(下)まず「買わない」体制作り

◇No.44
 「連中の羽振りの良さに惑わされた」。インドネシア領カリマンタン(ボルネオ島)西部の川沿いに住むバケル(32)は、違法伐採グループに加わったことを後悔し始めている。
 村人は西カリマンタンの州都ポンティアナクに住み、軍とつながる有力者の配下のブローカーから、チェーンソーや船外機などを後払いで購入し、代金を違法伐採した木材で返済する。バケルは2000万ルピア(約25万円)分を購入したが、大半はまだ未返済。借金の額は一向に減らない。
 同州カプアス・フル県の副知事アレキサンダーは「県内の伐採地から出る木材はほとんどが輸出用。しかも県外の製材所で加工されるため、地元に落ちる利益は少ない。県内の森林のほとんどは保護区にあり、新たな開発も難しい」とため息をつく。地域が自立できる産業が育っていないことが、違法伐採を招く一因になっているというのだ。
 新潟大学教授(林業経済)の荒谷明日兒(あきひこ)は「インドネシアではスハルト政権崩壊後の経済混乱の中で違法伐採が増えた。ロシアの違法伐採も、ソ連崩壊後の混乱が引き金。背景の貧困や腐敗を取り除かなければ問題解決は難しい」と分析し、息の長い支援の必要性を指摘する。
 日本政府は3年前、インドネシア政府と違法伐採撲滅を目指す行動計画に署名し、バーコードを使った木材の合法性確認システムの開発を始めた。
 林野庁木材貿易対策室長の森田一行は「ゆくゆくは、二国間協定により、確認された合法材だけが輸出、輸入される仕組みに」と考えている。だが、ようやくボルネオ島とスマトラ島で伐採企業の協力を得て、システムの実証試験を始めようという段階だ。
 東大大学院農学生命科学研究科教授(国際森林環境学)の井上真は「買う人がいなければ、違法伐採は成り立たない。特効薬はないが、政府、企業、市民がそれぞれ、まず違法材を買わない取り組みを進めることが必要だ」と指摘する。
 違法伐採問題では、政府、業界、NGOを巻き込んだ自民党の検討会が大きな役割を果たした。日本の木材供給の8割は輸入材が占める。違法伐採問題をただせば輸入材の価格は上がり、国産材に活路が開ける、という期待があった。
 全国木材組合連合会(全国の木材加工、流通業者約2万社加盟)は現在、立ち木の売買、伐採、流通、製材、加工の各段階で、傘下の県木連などを通して、「合法木材供給事業者」を認定する作業を進めている。また、一昨年からは、原産地表示を進める協議会を作り、メンバーになった製材・木材流通業者が、統一マークとともに産地と樹種を表示する取り組みを始めた。
 環境NGOの「FoEジャパン」は、現在ロシアで、林野庁の委託による「木材供給国実情調査」を行う。
 調査スタッフの佐々木勝教(かつのり)(33)は「ロシアの行政や社会を変えようと原則論を論じるより、輸入側の日本の商社などと一緒になって、ビジネスの場で、違法材の流通をなくしていくことを考えていきたい」と話す。
 できることから、対策を積み上げる。木材消費国にっぽんの市民、政府、業界はまず何から手をつけたらよいか、模索中だ。(敬称略)
       ◇
(この連載は河野博子、佐藤淳が担当しました)


2006年 8月3日 読売新聞

[子ども・友達](7)「悪口かも」だけで不登校

◆過保護で耐性育たず
 「休み時間に、女子生徒数人が、自分の方を見てひそひそと話をしている気がする。それが耐えられなかった」
 スクールカウンセラーで熊本大病院臨床心理士の岡崎光洋さんは、九州地方の高校2年生だったタケシ(仮名、17)からの相談内容に驚いた。不登校になった理由が、あまりにもデリケートだったからだ。
 タケシは、女子生徒たちの「ひそひそ話」の内容を実際に聞いたわけではない。自分への悪口かどうかもわからない。ただ、自分の方を見て話をされたことだけにおびえ、学校に通うことが出来なくなってしまった。
 岡崎さんは、カウンセリングを続けるうち、タケシが母親に過保護に育てられてきたことがわかった。幼児期に友達とけんかをしたり、学校の先生にしかられたりしても、母親は無条件にタケシをかばった。「あなたは悪くない」「あなたがかわいそう」
 岡崎さんは「常に母親に守られてきたため、タケシは自分で他人との摩擦を乗り越える経験を積んでこなかった。だから、自分に対してネガティブなことへの耐性が育っていなかった。小さなあつれきにでも、なえてしまったり、対人逃避的になってしまったりする」と話す。
     ◎
 子どもたちの遊びが不足していることも、友達付き合いに影響を与えている。本来、子どもは幼いころからおもちゃの取り合いやけんかを通して他者との対立を自然に経験しながら育つ。
 しかし、最近は、幼児期にけんかを過度に抑制したり、遊びよりも習い事を優先させたりするなど、子どもの生活を親がコントロールし過ぎる傾向が強い。子どもの心理相談を行っている臨床心理士の高橋良臣さんは「親の過保護が、子どもたちの友達関係を築くためのスキルを身につける機会を奪ってしまっている」と指摘する。
     ◎
 自分に自信が持てない子どもたちは、周りの友達の評価にとても敏感だ。
 この春、高校を中退した東北地方のノボル(仮名、18)もその一人。両親とも教員で、大切に育てられた。中学1年のときにいじめを経験し、それから、自分に自信がなくなった。友達との会話にも神経をすり減らす。会話の後は必ず、「余計なこと言っちゃったかな」「聞き流しておけば、よかったかな」と悔やまれる。この繰り返しだ。
 「友達に話しかけて、もし否定的な反応が返ってきたら、自分は駄目な人間だと落ち込んでしまう」
 だから、どこまで冗談が通じるか、自分の言葉がどう解釈されるか考えると、友達との会話が「怖い」。
 自分を否定されたくない。友達の反応を常に気にしている子どもたちの心の奥底には、そんな切実な思いが隠れている。
 
 写真=友達から自分はどう見られているか。傷つかないように神経をすり減らす(東京都内で)=宮坂永史撮影

2008年5月16日 読売新聞


[子ども・友達](8)識者に聞く(連載)

友達関係に気を使う子どもたち。息苦しいほどの緊張感の中で、自分の居場所を確保しようと必死になっている。2人の専門家に社会的な背景などを聞いた。
  
 ◇東京大学准教授(教育社会学) 本田由紀さん
 ◆消費社会や格差、反映
 子どもの友人関係は、都市化や消費社会の浸透、格差の広がりなど社会の変化を反映している。
 都市化によって、マンガ「ドラえもん」に登場する空き地のような、自由に集い、自由に遊べる空間が減り、地域では不審者情報が飛び交う。もはや子どもたちは外で自由に遊べない。狭い室内で遊ぶことが日常になれば、友達にも気を使わざるを得ない。ゲームに熱中すれば、気が楽なのだろう。
 消費社会が進み、子どもをターゲットにした市場を形成しておいて、「ゲームをやるな」というのは難しい。また、友達関係での「格付け」でも、子どもたちが消費社会に組み込まれていることがわかる。学力よりもファッションや会話のセンスが格付けの評価の軸になってきた。これらは多くの情報を集め、消費を重ねることによって養われる面があり、幼いころからの家庭の経済力に影響を受ける。階層社会の表れと言える。
 そして、1980年代から90年代に広がった、冷笑的な態度やものの見方が子どもたちにも浸透している。いわゆる優等生的な振る舞いも、正面から反抗するのもダサく、斜に構えて悪ふざけしながら世渡りしていくのが格好いいとされる。
 友達関係につまずき、行き場を失う子どもたちがいる。社会の責任として、子どもの暮らしに「余白」とも言うべき、時間や空間や人間関係のゆとりを取り戻す必要がある。
  
 ◇筑波大学教授(社会病理学) 土井隆義さん
 ◆対立恐れ、繊細な配慮
 子どもたちの人間関係は、対立の回避を最優先する「優しい関係」になっている。かつては、他人に積極的にかかわることが「優しさ」の表現だったが、いまは違う。他人と積極的にかかわることで相手を傷つけたり、自分が傷ついたりすることを心配する。
 例えば、「とりあえず食事とかする?」など、いわゆる「ぼかし表現」を使う。断定を避ける表現で、自分の発言をぼかし、相手との微妙な距離を保とうとする。
 そうした様子は、人間関係が希薄化しているように見えるが、見方を変えれば、かつてより高度で繊細な気配りを伴った関係を営んでいる。他人の言動に常に敏感でなければならないため、「優しい関係」が成立する範囲は狭い。対人関係のエネルギーを身近な関係に使い果たし、外部の関係に回す余力がない。
 「優しい関係」の問題点は、仲のよい友達同士の人間関係に固まることだ。違う立場や考え方をもつ異質な他者は、排除することもできるが、誰の中にも、自分にとって不本意な「異質な自分」はあり、それからは逃れられない。
 学校に行きたくても行けないなどの「異質な自分」に出会ってしまった場合、それまでに異質な他者と接していないと、どうすればいいのかわからなくなる。異質な自分に耐えきれず、破滅願望などの問題行動につながることもある。仲の良い友達だけの関係に安住せず、多様な人間と向き合う経験が大切だ。
          ◇
 (この連載は、東京本社・小坂佳子、竹之内知宣、大阪本社・安藤二郎、西部本社・臼山誠が担当しました)
 (第2部 おわり)

2008年5月17日 読売新聞



[子ども・友達]読者の声(上)メールでケンカ、数時間も

◆遊びを考え出せない
 今月8日から17日まで掲載した「子ども 友達」には子どもを持つ親を中心に約80通の投書が寄せられた。ゲームやメールなどを介した子どもの友達関係に戸惑うとともに、いじめなどへの対処に苦悩する親の複雑な心境がつづられていた。2回にわたって紹介する。
 「今からメールでケンカせえへん?」
 関西地方に住む50歳代の母親は、中学1年の娘が学校外の友達から突然こんなメールを送りつけられたと投書を寄せた。
 娘が級友の家に遊びに行っていたときのことだ。ケンカを誘うメールが携帯電話に突然送られてきた。娘は一度は無視したものの、「何で書いてこない」「弱虫」などと挑発され、怒った娘と級友はそれぞれメールで言い返した。相手方も友達4、5人がいたようで、数時間にわたってメールでケンカが繰り広げられた。
 自宅に戻った娘がいつになく不機嫌だったため、事情を聞いた。メールの中身を確認した母親は言葉を失った。
 画面全体に延々と書かれた「死ね」の文字。「のろい殺す」「ネットに実名で悪口書いたから」などひどい内容で、気分が悪くなった。
 娘と級友には、すぐにメールアドレスを変更させた。「友達だと思っていた子からの嫌がらせに、娘は傷ついたと思う。ただ、日常のメールでも、書いた内容を読む側がどうとるかはわからないので、娘には、大切な人に言いたいことは直接会って口で言いなさいと言い聞かせました」と母親はつづる。
 親との連絡手段のために持たせた携帯電話だが、その使い方を巡って親も子も揺れている。
      ◎
 電子ゲームとの付き合い方に疑問を投げかける親からの投書も多数寄せられた。
 神奈川県の主婦(34)は「楽だから、静かになるから、みんなが持っているから、といって幼いころからゲームを与えるのは、考え直すべきだ」と訴える。
 この主婦には小学生と幼稚園の男児2人がいるが、電子ゲーム機は与えていない。ゲームを持って友達が遊びに来たとき、「ゲーム以外のことで遊ぼう」と息子が話すと「何すればいいの?」と言葉が返ってきた。結局だらだらと部屋で過ごし、おやつを食べて帰っていった。
 「小さい子どもが遊びを考えられないなんて、びっくりしました。こちらからボール投げしたら?などと提案してみますが、すぐに飽きてしまうようです」
 
 写真=公園でも電子ゲーム機で遊ぶ子どもたち。ごく当たり前の光景になりつつある(東京都内で)=宮坂永史撮影

2008年5月23日 読売新聞


[子ども・友達]読者の声(下)親が何でもコントロール

 ◆成長する機会が奪われる 
 連載「子ども 友達」への投書には、子どもと向かい合う親自身の姿勢を問う意見が数多く寄せられた。
         ◇
 6歳の女児を育てる群馬県の主婦(45)は「子どもの遊びの場に大人が常に介入している」と述べる。幼児期から習い事で忙しいので、事前に親同士が約束をしたうえで、自宅や友達の家で遊ぶことが多いという。
 「遊んでいるすぐ近くに親がいて、おもちゃの取り合いなどでもめても、子どもは自分で解決しようとせず、すぐ親に『SOS』を出す。子どもは親の視線を常に背中に感じながら遊んでいる。これでいいのだろうか」と疑問を投げかける。
 関東地方の主婦(40)は小学生のサッカークラブのことをつづってきた。
 クラブの子どもたちの中に、乱暴で言葉の荒いA君がいた。ある時、A君に反感をもった母親たちが、A君の親に文句を言ってクラブを辞めさせた。
 このクラブに息子を通わせている投稿者は、「子ども同士で問題を解決して成長するチャンスを奪ってしまった。『うちの子は優しくて直接相手に言えないから』などと言って、相手の親や学校の教諭に、苦情などを言い立てる親が多い」と指摘する。
 小学3年生の女児を持つ母親は、娘と仲違いした同級生の母親が娘に向かって厳しく注意したり、学校の担任教諭にクラスの席替えを求めたりして困ったという。
 福岡教育大学名誉教授の横山正幸さん(発達心理学)は、子どもたちが親や学校の教諭から離れ、自由に遊ぶことの大切さを強調する。「幼児期から、おもちゃの取り合いやけんかなどを通し、相手との対立を自然に経験することが重要。遊びの中で、その役割に応じた責任を果たす大切さ、思いやり、我慢など人間関係を円滑にするための技術(ソーシャルスキル)を習得できる」と話す。
 しかし、最近は、けんかを過度に抑制したり、遊びよりも習い事を優先したりして、子どもの生活を大人がコントロールし過ぎることを懸念する。
 いじめや不登校に悩んでいるという投書も多数寄せられた。子どもの友達付き合いに心を痛める親は多いが、東京都児童相談センター児童心理司の山脇由貴子さんは「トラブルがあったとき、子どもが安心して相談できるような親子関係を築いてほしい」と話す。
 そのために必要なのは、親子のコミュニケーションを増やすことだ。山脇さんは「形容詞を共有できる親子関係」が大切だと言う。「『おいしいね』『うれしいね』『悲しいね』など、そういう会話が共有できる関係であれば、子どもはきっと親を信頼して心の内を打ち明けるだろう」と話している。
 
 写真=子どもをめぐる環境も社会とともに変化し、戸惑っている親も多い=宮坂永史撮影

2008年5月24日 読売新聞

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