|
ここに二枚の絵皿がある。
年号を確認する。
1994そして1995と入っている。
一年に一枚しか作らない皿。
阪神・淡路大震災の前後のイヤープレートである。
この二枚は、私にとってとても意味がある皿である。
東京の親しくしていた友の結婚式も終え、新幹線に乗ったのは最終便であった。
呑み足らず?しこたま呑んでも足りない関西からの上京組が三人。
一緒の帰路に困ったと言うより呑み直そうと、新幹線に乗り込んだ時にはもう呑んでいた。
三連休の最終日だった。
大阪で一人降り、私ともう一人が神戸で降りる。
改札をどう通ったかも不明なくらいの酩酊。
タクシーの中で日付が変わった。
いつもより早く目覚めた。連休明けで、仕事も繁忙と予想される。
翌朝、酔いを汗で出そうと風呂に入る。
数秒後、それは突然襲ってきた。
風呂の壁が落ちたのまでは見えた。
浴槽は壊れない。
激しい揺れがしずまっても、湯船のお湯は激しくたゆたうようにずっと揺れていた。
14年前の阪神・淡路の大震災である。
京都の家具町通り、あるビルの三階にその画廊はあった。
永田萌。
家電のポットや郵政省とのコラボも有名になった女史。
当時(有)妖精村として発足していた。
いわさきちひろを彷彿とさせるタッチ。
その会員となった。
それから、京都に行く都度、時間があれば画廊を覗いた。
原画も何点か購入。絵本も買い集め、不要になる事情もあって寄付もした。
しかし、処分できないものがある。
(有)妖精村から毎年届く絵皿。
震災前の物と震災後の物。処分できない。
何故か?
それは、彼女の直筆の文面であった。
震災にあった地域の会員に、おそらく広範囲に及ぶと思われる見舞いの言葉。
そして、イヤープレートがもう手許に無くなっているのであれば申し出てください。
その優しさに涙が止まりませんでした。
当時、報道もさることながら、物見遊山のアベック等が記念に写真!とかを散見。
カメラを取り上げ何度も壊してやろうと…。
そんな中、優しい絵のまま女史の心が届いた素敵な手紙でした。
掲載にあたり、PCで確認してみた。
活躍は益々のようで何よりである。
今は株式会社となっているようです。
HPはhttp://www.yohseimura.co.jp/
諸事情により、それから数年して会員ではなくなった。
しかし、未だに女史のファンである事に変わりはない。
|