土方・箱館戦記史跡探訪

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     おはようございます。
   
     さて前回は蝦夷地鷲ノ木の上陸地をお送りしたわけですが、今日は、その隣町の

     七飯町を舞台に始まった箱館戦争峠下の戦いをお送りしようと思います。なお、

     一部、写真が夜明けに獲ったので見えずらいと思いますがご勘弁を〜〜〜!



     1868年10月21日に鷲ノ木を立った先発隊約30名(隊長人見勝太郎・伝習歩兵隊長

     大川正次郎・伝習士官隊隊長滝川充太郎等)は22日の夜半に七重村の峠下に着き、

     寒さと疲労のため民家に泊めてもらった。

     
イメージ 2


     この行軍は熾烈さを極め『風雪面を打ち、冷気胃に刺さる』って書き残すほどで

     あったと言う。

     この先発隊に課せられた使命・・・・それは箱館政府(総督 清水谷公考)に対し、

     嘆願書を提出するためでありました。その中身は以下の通り。

     『我が輩、天朝へ嘆願書を捧げ、この地に渡って勅命を待つもので卿(総督の

     こと)らにいささかも遺恨無し。しばらく箱館で兵をまとめんとす。卿、幸い

     にこれを許せ』
    
     まぁ、簡単に言いますと、嘆願書の返事待ちの為に箱館に置いてくれませんか?

     というもの。しかしながらいきなり現れた2000名の兵団。しかも完全武装の旧

     幕府軍!おいそれとはそうは行かないもので・・・

     ちなみにこの時の箱館政府軍は半分は農家しながらの武士団。さぞやびっくり仰

     天したもんだと思いますが、すごいことに榎本軍上陸の一報はその日のうち(ま

     ぁ、次の日位)には箱館政府奉行所へ届いていたと言うから驚き。

     すぐさま、兵を七飯村方面へと展開させて迎撃の構えをとった。

イメージ 3


箱館府兵が展開し、激戦となった庚申塚


     んで・・・・22日の晩に戻りますが、民家で先発隊が休んでいると何やら周りが騒が

     しい。ラッパの合図とともに銃砲撃が始まり、吶喊の声も聞こえた。急なことで

     一度は怯んだ先発隊だが、ここは歴戦の勇士。態勢を建て直し、反撃に移り、見

     事にこの危機を乗り切った。

     
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    ?H1>ここが箱館戦争勃発地。・・・ちと見えにくくてごめんよ〜

     そしてこの戦闘での戦死者を弔うために小規模ながら墓地があります。

     
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    ?H1>箱館戦争勃発地の近くにある戦死者墓地。

     
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この一帯の案内板です。


     こうして半年間に渡る箱館戦争の熾烈な戦いが始まりました。

     

     ではこの次はいよいよ土方さんが登場いたします。
     乞うご期待!!!

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     今から140年前の、1869年5月11日、日本のサムライが蝦夷地(北海道)

     ・箱館(函館市)でその波乱の生涯を閉じた。そのサムライの名は”土方 歳三”。

     それから月日が経ち、北海道の函館からもう少し上に行った某市でこのサムライに

     関心を持った男が、その足跡をたどろうとしてその一歩を踏み始めた。
     
     とはいえ、昔”箱館戦争史跡探訪=平定=”で書いてあるように何回も行っている

     のですが、今回心機一転ということでリニューアルオープンで書いていこうと・・・。



     1868年10月20日(今の12月上旬)、北海道の箱館の北40キロ森町の鷲

     ノ木(当時250戸)の沖合いに幕府海軍の軍船が姿を見せた。

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榎本軍旗艦”開陽”



     この艦隊には、幕府海軍副総裁”榎本武揚”新選組副長”土方歳三”ら、将兵20

     00名が乗り込んでいた。目的は幕府崩壊の中で職を失ったものたちのための開拓

     のため・・・。
     
     そこから約7ヶ月にわたるサムライ達の最後の戦いが始まった。

     その第一歩の場所に行った。

     

      
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榎本軍鷲ノ木上陸地


      
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海岸線にある木標 新選組歴史家の釣 洋一氏の名が・・・。


      
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上陸地から見た駒ヶ岳

      当時は一面雪の世界で、積雪は30センチほどあったそうです。この様子を

      大鳥圭介は『甲板上に出て四方を望むに、積雪山を埋め、人家も玲瓏として、

      実に銀世界なり』と言っているくらい雄大に見えたそう。(南柯紀行より)

      しかし、上陸当初は暴風雪で艦隊の中では室蘭まで流された艦もいて、しか

      も上陸のための小船がひっくり返るなどの事故により16名の命が失われた。

      最初から簡単に進まないような兆しが見え隠れしていた・・・。
           
     
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上陸の様子・・・(五稜郭タワー所蔵)



     
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史跡公園内にある案内板。


     こうして、全軍2000名が上陸した頃には日付が23日になっており、先遣隊に

     いたってはすでに箱館政府軍と・・・。

     本隊は2手に分かれて箱館へと向かっていくのでした。

     次回は本隊の進軍開始と箱館戦争の勃発をお送りしていきます〜。

     【アクセス】

     
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             北海道函館市から国道5号線で札幌方面へ約40キロ。森町の道の駅”YOU 遊 もり”      から約二キロほど進むと左に霊鷲院、右手に鳥居が見え、その中を進んでいくとその一      帯が史跡公園となっています。
  


     いきなり始まりましたが、まぁ函館開港150年、土方さん没後140年の節目と

     してということで・・。これからも書いていこうと思いますのでよろしくお願いし

     ます〜。

     
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