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こんばんわ。
ぅぅぅ。今月も最終日の投稿ですな(汗
今月も座談会御書の研鑽をいたします。
【今月の座談会御書「四条金吾殿御返事(此経難事御書)」の御文】
此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるは・やすく持(たも)つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり、「則為疾得・無上仏道」は疑なし
【今月の座談会御書「四条金吾殿御返事(此経難事御書)」の現代語訳】 この経(法華経)を聞き受ける人は多い。しかし、実際に聞き受けた通りに大難が来た時、この法華経を常に心に留めて忘れない人はまれである。
「受ける」ことは易しく、「持(たも)つ」ことは難しい。故に、成仏は、持ち続けることにある。この法華経を持つ人は、必ず難に遭うのだと心得て持つべきである。「すなわち、速やかに、無上の仏道を得る」ことは疑いないのである。 今月は法華経の「受持」について「受ける」と「持(たも)つ」に分けて御指導をいただいている御文です。
最初に、「受持」は種々の仏道修行の中で、非常に重要な意味があることを確認したいと思います。 御義口伝には <此の妙法等の五字を末法・白法隠没の時上行菩薩・御出世有つて五種の修行の中には四種を略して但受持の一行にして成仏す可しと経文に親り之れ有り>(P.783)ともあり、 成仏をするためには、五種の修行(受持・読・誦・解説・書写)のうち四種は略して、ただ「受持」によってのみ成仏すると説かれています。 形式や教条ではなく、またご立派で深淵な言葉を書いたり口にしたりすることでもなく、
ただただ法華経受持の行動のみこそが成仏への道であることが示されているかと思います。 形式や教条ではなく、法華経受持のもと各々が今居る場所で使命を果たすから桜梅桃李の万人成仏、 豊かな多様性ある社会においての本当の個々の満足があります。 ご立派な思想や慈悲深い話も、現実の中で行動として示されて、初めて真実のものとなります。 どこまでも結局のところ「受持」がなければ意味がない。 どんな素晴らしい教えがあって、素晴らしい生き方が示されていても、 素晴らしく生きる実態がなければ虚しいものです。 かつて僕は結局全てこの「虚しいもの」だと思ってまして、 ご立派なことを言ってる人間は嫌悪してましたね。 全て虚しいと思ってましたから、立派なこと言ってる人は全て偽善者に見えるのです。 いろいろありまして、先生のことを改めて考える機会に恵まれ、 どうあっても先生の一生はスゴイ! 先生は信じられる!ということに驚き、 僕も素晴らしい生き方、信じてもらえる生き方を目指すようになりました。 コレ僕にとっての大きな「原点」です。 ただ、何と言いましょうか(汗
「聞信戒定進捨慚の七宝」で言えば、「聞信」までは簡単。 「戒定進捨慚」は大変(笑 「んん〜〜〜素晴らしい生き方はもう少し先になってから!」な〜んて怠け心に負けて、 「御本尊様、ゴメンナサイ」とかしてたんですが、やっぱ、これじゃダメ。 御本尊様にゴメンナサイでは、法華経を持(たも)ってません(笑 <まことに聞き受くる如くに>の御文も重ければ、
<大難来れども憶持不忘>になるわけがない。 要は、素晴らしい生き方なんてものになるわけがない。 まぁ今も自慢になるような信心ではありませんが(汗、 僕にとっての「原点」から、曲がりなりにも走り続けてきました。 おかげさまで、少なくとも「原点」の時よりは、 自分自身に間違いない成長があると自負しています。 いろいろあって、訳が分からなくなることもありますが、 常に師匠を旨に抱き、胸中の師匠に問い、一番良い結果に向けて、自身の過ちは過ちとして認め、また朗らかに前進をしていく。 この連続。 全部のものにこの姿勢で挑めていないでしょうが、この連続。 この連続が、自分をイイものにしていってくれているのは間違いない。 いつものことですが、ちっとも話がまとまっておりません(汗
あと少しで8月になっちゃうことですし、 大白の解説の最後の部分を、先生の御指導を噛みしめて終わります。 「信心とは、間断なき魔との闘争です。信心とは、行き詰まりとの戦いです。信心とは『困難に立ち向かう心』です。そして、信心とは、御聖訓を勇敢に実践する『師弟不二の心』です」 何があっても信仰を貫く「不退の信心」で、人生の幸福と勝利を開いていこうではありませんか。 本当です。 その通り! それではまた♪ 良き友好期間を♪ |
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