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後藤ひろひと OFFICAL SITE ひろぐ

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ギリーノ兄弟の伝説

ちょいとのんびりした!
『ひろぐ』も書かないという事は
よっぽどひろいでいた証拠だ!
旅行をしたり映画を見たり
マンドリンを弾いたり昆虫の土を換えたり
禁煙部屋でもないのにベランダで煙草を吸ってみたり
自転車を洗ってみたり
「ひろチーノ」の豆を変えてみたり・・・
結局なにもしてないのか?
と問われそうだが
「たいした事をしない努力」はなかなか気持ちのいいものだ!
そんな気持ちのいい日々を続けていると
「たいした事」はどうしても起こってしまう!

いきなりだが
私の最終学歴は”大阪外国語大学中退”である!
その大学は現在では大阪大学に統合され
”大阪大学外国語学部”となった!
大阪大学と言えば国立名門大学の一つ!
つまり中退とは言え
労せずして学歴が上がったわけだ!
世間には粟根まことや演出家G2と共に学んだとウソをつこう!

実際のところ私は大阪外国語大学を卒業していないどころか
7年間に渡って学籍を置いてしまった!
その間、仕送りを続けてくれた親には
あまりに失礼な話なので言えなかったが
その7年のうちまともに通ったのは3年ほどだった!
通った3年は受験勉強以上にとんでもなく勉強していたし
通わなかった4年は大学になど近寄りもしなかった!
遊気舎という劇団で突然にして座長に就任し
ずいぶんとイカれた舞台作品を作って世間にお目見えしたのは
その”通わなかった4年”の事である!
そんなわけで私には大学の友人というのがいなかった!
いや!
いないと思っていた!
しかしだ!
考えてみれば一人だけ
どうしても忘れられない男がいた!
私はインド・パキスタン語学科でヒンディ語を学び
そいつはデンマーク・スウェーデン語学科で
スウェーデン語を学んでいた!
そいつは広島からやって来てギタリストを夢見ていた!
私は山形からやって来てコメディアンを夢見ていた!
二人には何の接点もなかった!
しかし二人はいつでも一緒にいた!
なにかと言えば二人でいた!
談話室でも学食でも二人はいつも一緒だった!
映画の話をして音楽の話をして
政治の話をして将来の話をして・・・
そうそう!
絵も描いた!
どうでもいい馬鹿なイラストを筆ペンや絵の具で描いては
お互いの家の壁に何枚も貼っては眺めて笑っていた!

ある日なにかの冗談でどちらかが
「兄弟のちぎりを結ぼう!」
と言い出した!
恐らくはジョン・ベルーシとダン・エイクロイドによる
『ブルース・ブラザーズ』の影響だった!
彼らのファースト・アルバム
『Briefcase Full of Blues』の裏ジャケットに書かれた
”二人の孤児が兄弟のちぎりを結び
「ブルース兄弟」と名乗る”くだりが
あまりにかっこよかったのだ!

「義理の兄弟だから”ギリーノ兄弟”と名乗ろう!」

馬鹿だ!
しかしシンプルこそが美しい!
なにやら家族の絆が深いイタリア系っぽい名前にも聞こえる!
確か私はまだロバート・デ・ニーロに憧れを持っていたので
「ロバート・デ・ギリーノ」と名乗りたいと主張した!
彼は長髪のハードロック・ギタリストだったので
「ロッカー・デ・ギリーノ」と名乗る事を宣言した!
ギリーノ兄弟の誕生である!

私はさっそく農協に勤めていた父親がくれた
なにか農作物の宣伝用野球帽から
キャンペーン・ロゴをカッターできれいにはがし
フェルトで二人の頭文字を切って貼った!
どちらも綴りが「R」なので
彼の本名からひらがなの「つ」を切って貼った!
自分のキャップには「ひ」を貼った!
たまに大学に出向く際にには二人とも必ず
「つ」と「ひ」と書かれたおそろいのキャップをかぶった!
それで大学を歩く姿は多分に奇妙だったはずだ!
当時は学内の誰もが我々を知っていたと記憶する!
ロバート・デ・ギリーノもロッカー・デ・ギリーノも
唯一の共通点である
「ショー・ビジネス界でプロになる」
という夢を抱いて
いつでも馬鹿げたキャップをかぶり
いつでも一緒にいた!

やがて私の名前も演劇界で聞こえ始め
ロッカー・デ・ギリーノも「花電車」というバンドで
次第にその名を広め始めると
お互い大学に行く用事はなくなり
ギリーノ兄弟は出会わなくなっていった!
連絡を取る事もしなくなり
どこでどうしているかは
情報誌の演劇欄やライブ欄でたまに知るだけになっていった!
そしてある時私は
ロッカー・デ・ギリーノ失踪の知らせを聞いた!

なにがあったのかはわからない!
「名古屋のライブハウスでそれらしき人物を見た」
という報告が一件あったが
それすら”酔った時の見間違い”である可能性が高かった!

ロッカー・デ・ギリーノは完全に消えた!
その名前も
姿も
ギターの音色も
誰がどう探しても
もうどこにも見る事はできなくなった!
どこからも聞こえて来る事はなかった!

正直言って私は
いつ誰からどんな時だろうが
ロッカー・デ・ギリーノの死の知らせを
聞かされる準備はできていた!
恐らくその知らせが私に届く時には
既に葬儀も済んでいるであろう事を予測していた!
だからもう一度彼に会ってお別れを言う機会など
私には決して無いのだという事を理解していた!
だからできる事なら
彼が私の心から消えてくれたらいいと願った!
彼との想い出が全て消えてなくなってくれたら
死の知らせを聞いた時に
どれだけ心が楽だろう!
過ごした時間も
語り合った将来の夢も
知らない間に跡形もなく消えてくれたらいいな
と願って過ごして来た!
10年以上もそう考えて生きて来た!
ただ死ぬまでに
私がこの世界で成功したという事を
どこかで知ってくれていたらいいな・・・。
と感じて時が過ぎていった。




一昨日
私は自転車で自宅の近所のライブハウスを訪れた!
名古屋から来阪した「KEI」という名のギタリストは
短髪で静かに静かにギターを奏で
囁くように歌う男だった!
私だけが!
その会場の中で間違いなく私だけが!
彼がかつて「ロッカー・デ・ギリーノ」と呼ばれていた男
という事を知っていた!
「つ」と書いたキャップはかぶっていないし
音楽性も見た目もすっかり変わってしまったが
彼は間違いなく私の義兄弟だった男だった!
小さな小さなライブハウスに15、6人ほどの客がいた!
ロッカー・デ・ギリーノは誰も媚びる事もなく
静かに静かに歌い続けた!
「たばこを止めた翌日からは何を吸おうか?
 おっぱいでも吸おうかな・・・」
といった馬鹿げた内容の歌を
とんでもなく上達したギターで静かに弾き語っては
不思議な雰囲気の観客から大きな拍手をもらっていた!

「やりたくない仕事は全部断って生きてきちゃったよ。」
ロッカー・デ・ギリーノのその言葉に対して私も言った!
「俺もだよ。」

二人で一つの夢を見たギリーノ兄弟!
二人ともそれぞれ色んな苦労や葛藤を経験して
今日に辿りついたのだろうが
そんな時間はまるで映画のように抜けている!
二人が出会って過ごした時間は
「夢を見た時」と「夢が叶った時」の2種類だけなのだ!

ロッカー・デ・ギリーノは現在名古屋に住み
「KEI」という名前でソロ活躍すると同時に
「Ett」という2人組のユニットでも活動し
ライブやCDリリースを続けている!
そしてロバート・デ・ギリーノは
現在では「後藤ひろひと」と名乗って
自宅でトニー・ベネットを聴きながら
プラモデルを作ったりしている!!



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