ここから本文です

後藤ひろひと OFFICAL SITE ひろぐ

書庫全体表示

関大前をひろぐ

ちょいと『ひろぐ』の更新をほったらかすと
とんでもなく多くの時間が過ぎてしまう!
楽しい事ばかりの中に生きているせいで
その楽しい事を記す間もない!
まずは「関大前」を訪れた話を記そう!

どういうわけか「吉本興業」の社長に呼び出された私!
もちろんその会談内容に関しては
一切『ひろぐ』に書く気はないが
会談場所として指定されたのは
阪急千里線の「関大前」駅付近にある
とんでもなく隠された超高級割烹だった!
「関大前」は正式な駅名ではあるが
略さずに書けば”関西大学前”だ!
安い定食屋や居酒屋が建ち並ぶ学生街で
言わばかなり物価の低い地域である!
そんな一角に
冗談でも関大生が入れないような
そのすごいお店はあった!
まぁそのお店の話はここではやめておこう!

私は指定された時間より
1時間早く「関大前」に到着した!
”社長の呼び出し”に緊張しての早入りというわけではなく
どうしてもじっくりと「関大前」をひろぎたかったのだ!

私が入学した「大阪外国語大学」
2007年にかの名門「大阪大学」と統合され
現在では「大阪大学外国語学部」となった!
つまり私は中退ではあるものの
労せずして学歴を上げたわけである!
「大阪外国語大学」に入学すべく
私が「山形」を旅立ったのは今から25年前!
校舎は現在では「西川王国」として自治権獲得を目指す
大阪府は箕面(みのお)市にある!
受験は比較的「梅田」に近い大阪経済大学で受けたので
私は入学が決まるまで「大阪外国語大学」に行った事がなかった!
合格通知を受け取り兄「よっと」と二人で来阪した私は
そこで初めて自分が入学した大学を訪れ
あまりの僻地ぶりに二人で「しりこ玉」を飛ばした!
世に言う「兄弟玉(Brother Balls)」だ!

「なぜ山形という田舎から出て来て
 実家よりも田舎に通わなければいけないのか!」

「大阪外国語大学」は
箕面市の中でも一番の突き当たりにあった!
長い坂道を登り切った山の上にあった!
なのでキャンパスの途中から森林になっていた!
運動場の奥には”マムシ注意”という看板が建っていた!
”スズメバチ危険”の看板はもちろん
”ニホンザル保護地区”といった立て札も立っていた!
大学の学舎内だというのに
自然の脅威と命がけで闘わなければいけない
そんな場所だった!
今でも航空写真地図などを見ればわかるのだが
「大阪外国語大学」よりも北に人間が暮らす様子はない!
山を越えて「京都府」に至るまでは
マムシやスズメバチやサルしか棲息していない!
つまり「大阪外国語大学」に通うという事は
大阪府で最も北に棲息する霊長類2種のうちの
1種にならなければいけないのだ!
生まれて初めて「一人暮らし」を経験するわくわくから
”住む場所などどこでもいい!”
と楽観しながら家探しをしていたのだが
私と「よっと」の見解は以下のようなものに落ち着いた!

「この大学の近くには住まない方がいい!
 大学から多少遠くても
 梅田などの都会に近い場所に住むべきだ!」

かくして私は
「梅田」まで20分という立地条件の下
自分の大学とは無縁な「関大前」に
家賃40,000円の文化住宅を借りた!
私の「大阪」での人生は
全て「関大前」から始まったのだ!

久しぶりに歩く「関大前」は
立ち並ぶお店がずいぶん変わりはしたものの
やっぱり住み慣れた街だった!
昔のまま残っているお店などがあると
にこにこと眺めてしまった!

行きつけだった床屋さんがまだあった!
私が毎回特殊な髪型を要求するため
おもしろがってわずか1,000円で散髪してくれたお店だ!
ある時などは姉「かおちゃん」の結婚式に出席するため
「普通にしてくれ!」
と頼むと
いきなりバリカンで髪を削ぎ落とされた!
普通だと言ったではないかと怒ると
「え?
 普通のモヒカンちゃうんですか?」
と言われた!
おかげで「かおちゃん」の結婚式写真に写る私は
丸坊主である!

コンビニがいくつもできていた!
私が暮らしていた頃には一軒もなかった!
なので当時は深夜の宴会で食べ物が無くなれば
あろう事か阪急千里線の線路を歩いて
隣駅の豊津まで向かった!
(当時はまだコンビニでお酒は売られていなかった!)

「王将」や「なか卯」や「天下一品」は
昔のままの場所に建っていた!
デビュー作『伝説の魔人ラテンキング』を構想中に
「天下一品」でラーメンを食べながら新聞を開くと
「モンティ・パイソン」の「グラハム・チャップマン」が
死亡したとの記事を目にした!
食後すぐに帰宅して手描き台本の表紙に
「グラハム・チャップマンに捧ぐ」
と書いた!
つまりその言葉こそが
私が脚本家として書いた最初の言葉である!

そうだ!
私が住んでいた場所はどうなっているのだろうか?

私が住んでいた時から
かなり老朽化の激しい建物だった!
確か私と同じ「1969年」に生まれた建物だと聞いていた!
ならば当然なくなっているだろう!
そんなどきどきを胸に
静かに歩きひろいでいると!

イメージ 1

なんと昔のままに建っていた!

私が住んでいた頃には
1階がヒッピー集団によって経営される
古本屋「冒険王」だったが
今ではずいぶん洒落たカフェになっていた!
そうそう!
初めて暮らした「大阪」が
この建物の2階だった!
私がいなくてもいつも誰かがいる家だった!
ある時1週間ほど家を空けて帰宅すると
遊気舎オフィス」
という表札がかかっていた!
多分「久保田浩」によるいたずらだった!
それぐらい当時の演劇仲間が
ひっきりなしに出入りする巣窟だった!

私はここに7年間暮らしていた!
しかし後半は当時付き合っていた彼女の家に
入り浸っていた!
私は当時
驚くほど貧乏でしかも働く気がなかった!
なので電話や電気やガスはもちろん
水道までもが何度か止められた!
公園に水を飲みに行った事もあるほどだ!
付き合っていたその彼女は
たいそうしっかりと暮らせる生活力のある女性だったので
光熱費も食費も彼女に任せて
彼女の家でとってもだめな居候をしていた!
彼女が働きに出ても
私はクーラーをつけっぱなしで昼寝をしていた!
だめなだめな生き方だった!

1階のカフェにお邪魔して
いっぱいいっぱい思い出を辿った!
最高に楽しい場所だったが
”あの頃に戻りたい”
とは決して思わない!
もしもあの頃に戻ってしまったら
二度と経験したくない事をまた経験してしまう!
もしもあの頃に戻ってしまったら
今日起こる素敵な事まで
また20年かかってしまう!

私は今がいい!
今が一番居心地がいい!
いっぱい迷惑をかけた当時のあの彼女が
私と同じ名字になっている今が
なによりも幸せである!

帰宅してから写真箱を探った!
とても大切な写真が出て来た!
「関大前」に住んでいた頃に
私が毎日通った近所の「煙草」屋さんで撮った写真で
このおばあちゃんが「大阪」での私の最初の友人だった!
残念ながらお店はなくなっていたし
おばあちゃんが生きているとも思えない!
なにしろ写真に写るこの私は
まだ25歳ぐらいなのである!

イメージ 2



後藤ひろひと
後藤ひろひとオフィシャルブログ
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

Yahoo!からのお知らせ

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事