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後藤ひろひと OFFICAL SITE ひろぐ

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夏に聴きたくなる唄

1969年旗揚げの劇団「上方小劇場」を母体とする
「遊気舎」という劇団に私はいた!
「上方小劇場」から「遊気舎」に変わった
その翌年に入団した!
それだけ古い劇団だと
関西のどこの劇場よりも歴史があるため
劇場より劇団の方が上の立場にあった!
「18歳」で入団して演劇を知った私などは
ついついそれが当然だと思っていたようだ!
そのため
各劇場に対するいくつもの無礼があったのだろう!
そして劇場は
それに我慢してくれていたのだろう!
何が悪かったのかは今でもよくわかっていないのだが
それは座長が交代した時に如実に現れた!

二代目座長に就任したのは
「上方小劇場」旗揚げの年に産まれた
誰あろう20歳の私だったのだ!

演劇を始めてまだ二年目!
上手(かみて)と下手(しもて)の区別もついていないのに
老舗劇団の座長を任され
周囲にいっぱい甘えたいところだったが
逆にとんでもなく強い風当たりを受けた!
いつも貸してもらっていた劇場からは
突然にして
”もう君たちには貸せない”と宣告された!
新聞や雑誌には
とんでもない悪評が書かれたりもした!
劇団の評判と知名度はどんどん下がり
公演を打たせてもらえる場所も無くなった!
それはあたかも
「ずっと我慢していたが
 若手のお前が座長になったのなら
 もう容赦はしない!」
と言われているかのようだった!

だからだ!
誰にでも結構いるものなのだが
”後藤ひろひとは私が育てた!”
と自称する人物が
私には親以外に見当たらない!
理由はそんな状況が私の出発点だったからである!

そんな中で唯一
”私はあの人に育てられた!”
と私自身が名言する人物に出会った!
「スペースゼロ」という劇場の
「古賀先生」だった!
現在新宿にある劇場「スペースゼロ」とは無関係で
大阪は梅田にあった
映像音響専門学校の地下教室が
「スペースゼロ」だった!
「古賀」さんはそこで講師として劇場を管理していたため
呼び名が「古賀先生」だったのだ!

「ならうちの劇場でやったらいいじゃないですか!」

「古賀先生」は当時の大阪演劇界では
知る人ぞ知る名士だったのだが
そんな事を一切表には出さず
周囲に何らかの流れがあれば
むしろとりあえず逆らう事を楽しむ人だった!
「後藤ひろひと」や「遊気舎」を応援する事は
実に「古賀先生」らしい楽しみの一つだったのだろう!

私が座長になった1本目の作品
『伝説の魔人ラテンキング』は
かくして「スペースゼロ」で上演された!
そこから何本「スペースゼロ」で
作品を発表させてもらったろうか?
とにかく沢山だ!

その専門学校の学生を演劇に巻き込んだり
学校のスタジオで録音編集作業をさせてもらったり
学生の卒業制作に協力したり
イベントを作ったり
唄をレコーディングしたり!
私は”なにか楽しい事”をするため
とにかく毎日「スペースゼロ」に通った!
そのうちに私は
「どうせ明日も朝からここにいなきゃいけないのだから」
という理由で
その専門学校に寝泊まりまでするようになっていた!
録音スタジオで毛布にくるまったり
空いている教室の床に寝たり
ある時などは職員室のソファで眠り
翌朝は全講師の出勤を見届けたりもした!
当時の私は自分が通うべき場所が
「大阪外国語大学」である事を
すっかり忘れていた!

春も!
秋も!
冬も!
ずーっと「スペースゼロ」にいたのだが
大阪の夏を体感するたびに
今でも私は「スペースゼロ」を思い出す!

暑い暑い夏のある晩!
校内で寝床を探していたら
今まで一度も入った事のない部屋を見つけた!
そこには大量のレコードが保管されていた!
それらは「パブロック」を愛する私にとって
とんでもないコレクションだった!
当時はまだCDがやっと普及した頃だったので
今で言う”CD化”という言葉が無かった!
つまり産まれて初めて現物を目にする
幻のレコード達がずらりと並んでいた!
当時にそれらを売れば
簡単に数十万円にはなっていただろう!

経歴不詳の謎の新人達を
次々と発掘してはデビューさせていた
イギリスのインディーズ・レーベル
「STIFFレコード」社!
化粧品会社の変人コンピュータ技師を発見し
「エルヴィス・コステロ」の名でデビューさせ
北ロンドンのレゲエ好きなへんてこ少年達を
「マッドネス」と名乗らせ
オハイオ州アクロンという田舎町の変態4人組を
「DEVO」として世に送り
アイルランドの飲んだくれパンクキッズ達を
「ザ・ポーグス」として世界に知らしめた
私の人生にとって
決して欠かす事のできないレコード会社だ!

私が迷い込んだ小さな部屋には
どういうわけか「STIFFレコード」の日本盤サンプルLPが
「ザ・ダムド」のデビューアルバム
(記念すべきSTIFFレコード1枚目のLP!)
からずらりと番号順に並んでいた!
興奮した私は
それらをレコードプレイヤーのある
真夏の夜の暑い暑い教室まで運び
毎晩のように夜を徹して聴いた!
雑誌での評判しか知らなかった幻の音源に
とにかく毎夜聴き入った!

一番多く聴いたのは
「レックレス・エリック(Werckless Eric)」
という恐ろしく変人な歌手によるセカンド・アルバム
『The Wonderful World of Wreckless Eric』
だった!

イメージ 1

ライブ前の極度の緊張を緩和すべく
大酒を飲んで
よくライブができなくなった
という彼!
「STIFFレコード」は
彼と「エルヴィス・コステロ」を
同等に押し出そうとしたのだが
ぐだぐだな声で
自ら書いたにも関わらず音階を無視して歌う
問題児「レックレス・エリック」は
わずかな注目だけを集めて
見事にフェイドアウトしてしまった!
それだけに彼の2枚目のアルバムは
国内で流通した数も少なく
まさしく幻の一枚となっていた!
まったくヒットしなかった作品だったが
私にとっては現存が信じられない宝物だった!
なので何度も何度も熱帯夜の教室で聴いた!
アルバムの隅から隅まで聴いて
傷のある箇所まで心に記憶した!

夏に聴きたい曲だけをiPodに入れて
食器を洗う時に流していたら
シングル・カットもされていない
「レックレス・エリック」の曲を
「カミさん」が一緒に軽く口ずさんだ!
あの夏の教室から20年近く経つわけだが
夏が来るたびに
私が幾度となく聴いたせいだろう!

私が寝泊まりし
”そこで育った”と言っても過言ではない
劇場「スペースゼロ」は
もう何年も前に無くなった!
”後藤ひろひとを育てた”異端児「古賀先生」は
やがて講師職を辞任し
なにを思ったか「奈良県」で
「カステラ屋さん」を開業した!
そして「レックレス・エリック」は
「久しぶりに帰宅したら
 玄関前が雑草だらけで大変なんです!」
「Facebook」を通して私に愚痴った!


YouTube: Wreckless Eric - A Pop Song



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