第二章・豊臣家の女性〜『摩阿姫』〜
摩阿姫(1571〜1605年)
麻阿姫・加賀局・加賀殿・祥雲院 。
子女:利忠(充房の子)
戦国時代から江戸時代初期の女性。
関白・太政大臣(のち太閤)、豊臣秀吉]の側室。
加賀金沢藩初代藩主・前田利家の三女。母は正室・ まつ。
あるいは側室の所生ともいう。
加賀金沢藩二代藩主・前田利長の同母妹?三代藩主・前田利常の異母姉。
豊臣秀吉養女、宇喜多秀家正室の 豪姫]の同母姉?
1582年に柴田勝家の家臣、佐久間十蔵と婚約し、「北ノ庄城」に赴く。
1583年の『賤ヶ岳の戦い』の際には前田家の人質となるが、柴田勝家は羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に敗れ、後に「北ノ庄城」は落城し、勝家は妻のお市と共に自害。許婚の十蔵も自害する。
1585年、14歳で秀吉の側室となり、(病がちで)実家の前田邸で過ごす事が多かった為、『加賀局・加賀殿』と称された。
1598年、『醍醐の花見』の後、27歳で側室を辞し、公家・万里小路充房と結婚。長男・利忠をもうける。(秀吉との間には子供はいなかった)
その後、充房とも離縁し、子を連れて実家へと戻る。
1605年、死去。享年34歳。
息子・利忠は前田家に引き取られ、前田家の家臣となった。
大河『利家とまつ』では佐藤藍子さんが演じていらっしゃいました。
利家とまつの実子ではありませんでしたが。姉妹の中でも優しい女性として描かれていました。
彼女も落城を味わった女性で一時は「北ノ庄城」に住んでいたので淀殿との面識もあったのかもしれません。
また、この落城により、婚約者・佐久間十蔵を失っています。
もし、彼が生きていたら。秀吉の側室としてではなく、違った人生があったのかもしれません。
もしかすると、お似合いの夫婦だったのかもしれませんね。
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