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「所在地」:香川県三豊市仁尾町仁尾 「形 式」:山城 「遺 構」:なし 「歴 史」
仁尾城主は細川頼広。 天正7年長宗我部氏は細川氏が守る仁尾城を攻め、籠城する城兵側も良く守ったが3月3日に落城した。 この地方では仁尾城が落城した3月3日をさけて雛祭りを行っているという。 「仁尾城訪問記」
仁尾城趾は現在覚城院となる。 ここが城であると知っていると、その様子はいかにも近世城郭風であるが、これは城の遺構とは考えられない。 覚城院の裏山は現在山頂が公園となっている八絋山(標高42m)があり城域と考えられるが、今回は訪問できていない。 この地方で仁尾城が落城した3月3日を避けて雛祭りを行っているのは、いかに細川頼広が善政をひいていたのかが容易の想像できる。 |
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城跡がお寺になっていると場所がわかりやすいですね。
それにしても、城跡にあるお寺の名前に「城」がついていて、城郭風の境内とはいいですね。
2008/6/22(日) 午後 0:02 [ - ]
いかにも城って感じのお寺ですね。岡城だったのでしょうか。でもこの石垣、後世のもののように思えます。本物?どうも城マニアのご住職によるものと思われますが?
2008/6/22(日) 午後 2:01 [ あおれんじゃあ ]
知らない。案外近くを知らないなあ。
2008/6/22(日) 午後 4:14 [ zen*o*hara6* ]
<はまっこさん。
境内への入り口に城趾石碑がありますから、城に来たようなイメージがします。
2008/6/22(日) 午後 4:57
<あおさん。
資料がなく確証された歴史ではないそうなんですが、山崎氏時代の丸亀藩分家の陣屋がこの覚城院の地にありその時の石垣ではないかと思われる節もあります。
2008/6/22(日) 午後 5:05
<zensouhara69さん。
意外と近所の歴史は知らないことがありますよね。
2008/6/22(日) 午後 5:17
石垣も塀もまだ新しそうですね。
当時とはまるで変わってるのでしょう。
2008/6/22(日) 午後 9:36
<よよさん。
今の容姿は完全に後世の物でしょうね。
当時はたぶん背後の山が主郭で、寺院は根小屋でないかと思うのですが・・・・・
2008/6/22(日) 午後 9:53
なんか城跡にお寺があると変な感じがしますね。
四国の城はあまり知らないんで勉強になります!
2008/6/22(日) 午後 10:13 [ ケイ ]
<ケイさん。
仁尾城跡だと言っても、どうしても後世の寺院しかイメージがわかないです。当時は石垣の部分は切岸だったと思いますし・・・
紹介しているのが無名城が多いですが、参考になるのなら幸いです。
2008/6/22(日) 午後 10:41
おっ
なかなか立派な石垣で想像がふくらみますね!!
2008/6/22(日) 午後 11:46
<フィーゴたかさん。
石垣はお寺の建設時に構築されたとは思うのですが、山崎氏時代の丸亀藩の陣屋説にも惹かれます。
2008/6/23(月) 午後 9:12
ここはいかにも城郭風寺院で城跡である事が分かり易いですね。
山門の上にはしっかり鯱さんが乗っかっているし^^
2008/6/23(月) 午後 10:27
<るなさん。
気づきませんでしたが山門にシャチさんが乗っていますね( ̄ー ̄)ニヤリッ
2008/6/24(火) 午後 8:15
仁尾と言えば小学校の時に行った太陽博を思い出します。
仁尾にもお城があったんですね^^;
2008/6/26(木) 午後 11:55
<ともひでさん。
仁尾の太陽博ありましたね。一度行きましたが小学生だったので内容は余り覚えていないですね。
2008/6/28(土) 午後 7:08
覚城院という名の響きが良いですね^^
此処が城であった頃の記憶を人々がいつまでも覚えていられるように…そんな願いが込められているようです。
2008/7/13(日) 午後 3:48
<マイリバさん。
あ〜。そうなのかもしれませんね。未だに雛祭りの日もずらしている地域ですから。
2008/7/13(日) 午後 4:58