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「所在地」:徳島県海部郡海陽町鞆浦 「形 式」:山城 「遺 構」:石垣、土塁、堀切、曲輪 「歴 史」
海部城は元亀2年に海部友光によって築かれた。この地は阿波と土佐の境界付近であり、この城は土佐の長宗我部氏に対する押さえとして築かれたと考えられる。 四国制覇を狙う長宗我部氏は大軍を率いて海部城に猛攻を浴びせ、海部城は落城した。 こうして阿波の前線が落ちたことで長宗我部氏による阿波攻めは一層激しい物となり、まもなく阿波は長宗我部氏の手に落ちた。 しかしながら豊臣秀吉による四国征伐により長宗我部氏は土佐一国のみとなり、阿波は蜂須賀家が領することとなり、海部城は土佐の押さえとして重要視され、阿波9城(徳島城を本城とする支城群)の一つとして蜂須賀家の家老益田一政が7千石にて海部城番となった。 しかしこの益田氏、2代目長行は海部城番の地位では満足できず、海部の分藩をめざし森林を無断で伐採し江戸に運び独立への賄賂資金とするなど藩の掟をおかしたことが藩主の知るところとなり、独立し大名を目指した長行の夢は正保3年(1646年)5月、刑場の露と消えた。 海部城は一国一城令により1638年廃城となった。 「海部城訪問記」
最近の記事のUPが香川県ばっかりだったように思われますので地元徳島県の城を・・・ 海部城は土佐の押さえとして重要視され、蜂須賀家は徳島県内に徳島城を本城とし9城の支城網を整備した一つとして江戸初期まで城としての機能があったのですが、残念ながら現在遺構としては石垣が一部残る程度でありますが、土佐の押さえと良港である鞆の港も押さえる戦略的に非常に重要な城であった事は現在になってもうかがえられる。 また昔、城はいざ戦となれば城下に住む住民も一緒に籠城し、住民を戦の戦禍から守る物でもあったと思うのですが、海部城は時代が変わった今でもこの地域の住民を守る性格は継続されています。 四国の太平洋に面する海沿いは地震の津波で昔から被害をたびたび受けており、南海地震が近い将来起こるであろうと言われている中で、津波の避難所として指定されており、実は海沿いから上る登城ルートは津波時の避難ルートとして案内もあり、整備されております。 「海部城への道しるべ」
国道55号線から海部川に架かるかかる新海部川橋の南側の交差点(海陽町海部支所前)を東に進み鞆浦漁港まで進む。(途中に海部城石碑が学校横に見えるがここから城趾への登城路はありません。) 漁港の前に見える山が城山なのだが、漁港前から集落を山際手前まで進み左に突き当たりまで進むと津波避難所への案内のある階段が見えますから、その階段を上ると写真に見える堀切が出迎えてくれます 海部城趾 |
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石碑があってもそこからだと行けなかったりするんですね!!
四国の城郭さんは徳島県だったんですね^^
香川なのかと・・・思ってました。
2008/7/20(日) 午後 7:31
南海地震もいつ起こるか
不気味ですね。
2008/7/20(日) 午後 10:53
津波時の非難所になっているのですね海部城は。
現在も民衆を守る役割を担っているなんて素晴らしい!
2008/7/21(月) 午前 7:03
<フィーゴたかさん。
実は徳島なんですが地域は香川の県境で、去年まで10年間高松市内で勤務していましたか、香川の方が親近感があります。
2008/7/21(月) 午後 2:38
<よよさん。
ここ最近東北地方で大きな地震が起こっていますが、四国ももうすぐだと言われていますからね。
2008/7/21(月) 午後 2:44
<るなさん。
城山が海に面していますから、その山沿いの鞆の浦の地域の皆さんの避難所になっていますし、コンクリ作りの高台も城山麓には設けられています。昭和の南海地震ではこの付近でも多大な被害を受けましたからね。
2008/7/21(月) 午後 2:47
四国さんは、土日・・更新してるって、事は、土日が・・お仕事、お休み?ですか? 素朴な疑問です・・。徳島に行くことあれば、案内してくださいー^^
2008/7/21(月) 午後 9:13 [ - ]
防災に活用されているのですね。此方は福島沖で、
今日も地震がありました。人事でなく、使える古城が
在るならこちらでも使って欲しいですよー。
2008/7/21(月) 午後 10:53 [ - ]
<クロコダイルさん。
また東北で大きな地震がありましたね。
大きな地震の割には被害が少なくて良かったようですが、早く復興することを節に希望します。
2008/7/27(日) 午前 11:05
<R子さん。
そうです。仕事は土日休みです。普通のサラリーマンって感じではなく普段は作業服を着ての仕事です。
もうそろそろ阿波踊りが始まりますが、無料で見られる場所もありますので、一度機会があれば遊びに来て下さいね。
案内はさせていただきますよ〜。
2008/7/27(日) 午前 11:09
鞆浦海嘯記、1854
鞆浦の旧海部川に沿った所に、894文字にわたって安政南海地震のことを彫り込んだ海嘯記のタイトルが付く石碑が建てられています。
この石碑には,津波の起きた安政南海地震の前日に安政東海地震が起きたことを記しています.
【碑文】
嘉永7年11月4日の朝、天候も良く冬としては温暖な日、午前10時頃地震が起き、港に波打ちつけるが程なく収まった。翌日の5日は更に穏和にして小春日和の午後4時頃から揺れ出し、海面が湧き上がり向浜を越えて津波が押し寄せた。あわてふためいて近くの山へ登ったが、津波は多善寺の門前、海部川沿いの脇の宮まで潮が満ちた。
振動は夜中の10時頃に大きくなり、山に逃げた人たちはひたすら念仏を唱えた。
津波の高さは最高3.6mまで達したが幸いにして被害はなかった。地震津波は100年前後に必ず起こるので、変あれば迅速に避難して命を全うすべし。
2014/3/29(土) 午後 1:42 [ 歴史&環境&公徳心ツアー ]