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「所在地」:高知県南国市比江 「形 式」:山城 「遺 構」:削平地、土塁 「歴 史」
比江山城は長宗我部国親の弟国康の次男比江山親興が築城した。 親興は長宗我部氏の四国統一後は徳島の岩倉城主に任ぜられるも、長宗我部氏は豊臣秀吉の四国征伐後土佐のみに減ぜられ、親興は比江山城主に戻った。 名将長宗我部元親も嫡男信親が戸次川の戦いで戦死後は、名将の覇気を失い継嗣問題では家臣の反対を押し切り盛親をたてたが、その元親を讒言して親興一族は討伐された。 「比江山城訪問記」
比江山城のあるこの地域は国府の地名が示すとおり土佐の国府が置かれた場所で、比江山城の直ぐ傍には土佐の国分寺や国府として赴任した紀貫之邸などの史跡がある。 さて、城には比江山親興一族が祭られた比江山神社が鎮座し、この比江山神社の建立されている場所は天守台と言われており、確かに周辺より一番高い場所に安置されている。 城は土塁や切岸がはっきり残り、土塁の一部は切れているがこれは虎口なのか、後世の改変かはわからないが遺構らしきが確認できる。 主郭周辺の帯曲輪を廻っていくと、小祠が安置されている場所もあり、この場所も一番高くなっているので櫓台の遺構のようにも思える。 「比江山城への道しるべ」
南国ICから南下した所に道の駅があるが、そこを左折し、最初のYの字の交差点を右に進み突き当たりを右折。水路に沿って進むと国分寺橋が架かるのだが、この橋の手前に小さな交差点があり、それを右に入る。(道は狭いです)すると国分寺廃寺の史跡などを確認しながら狭い道を道なりに進むと右に永源寺が見える。永源寺方面に入り道道なりに進む(永源寺の横を通って)とちょうど上り坂を登り切った所ぐらいで、右に入る舗装されていない農道が見える。そこを右折して入り、石垣が見える辺りを再度右折すると比江山神社に出られる。 |
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結構高そうな土塁ですね!!!
2008/10/25(土) 午後 2:58
<フィーゴたかさん。
そうですね。土塁は高かったですが、山自体がさほど高くなく要害ではないので、必然的に土塁が高くなったのかもしれませんね。
2008/10/25(土) 午後 6:10
南国市ですか。
海岸沿いに「ホテルうみぼうず」というのが
あった記憶があります^^
2008/10/25(土) 午後 8:54
<よよさん。
うみぼうずは普通のホテルとは違うのですが、利用されたのですか?
2008/10/26(日) 午前 9:32
長曽我部氏滅亡の遠因を作った城でもあった訳ですね。
そういう歴史を知ると、この城が見たドラマや城の違った面が見えて来るようです。
2008/10/26(日) 午前 10:41 [ あおれんじゃあ ]
<あおさん。
英雄長宗我部元親も最後は盲目してしまったんでしょうかね。
親族や息子を幽閉や討伐していますから、長宗我部没落の要因は盛親の家督相続にあるのは間違いないと思います。
2008/10/26(日) 午後 10:29