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「所在地」:徳島県板野郡上板町七条 「形 式」:平城 「遺 構」:石垣、井戸、城趾石碑 「歴 史」
城主は七条兼仲。 城主七条兼仲は、天正10年(1582年)中富川の合戦(阿波の関ヶ原と言われる合戦)に参加し戦死したと言われる。 「七条城訪問記」
日本城郭大系には、七条城の中心部分は宮川内谷川の川底になっているとあり、城があった当時と現状は川の位置も変わり当時の様子を想像することは難しい。 現地を訪れてみると川の南岸はかなりのブッシュで立ち入ることさえ難しい状態で遺構は未確認であるが、北岸の堤防には城趾石碑や、古い石垣や井戸が見られたが、古い石垣が城の遺構による物か堤防工事の基礎の石垣か判断がつかなかった。 「七条城への道しるべ」
県道14号線。上板町役場の案内のある交差点を北に進む。橋があるので渡って直ぐに堤防に右折する。堤防の道に入り直ぐ左折(ヘアピン上)したところに城趾石碑がある。 |
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城址碑は凄く立派ですね。下の写真の石垣、何とも言えませんが、城に係わるものだと良いですね。結構、古城らしい雰囲気が感じられます。
2008/12/14(日) 午後 5:06 [ あおれんじゃあ ]
<あおさん。
石碑ですが石碑裏の写真がないんですが、子孫の方による建立だったと思います。何となく記事を見た気がするのですが子孫は国会議員かも????
2008/12/14(日) 午後 5:21
私も城巡りをしていて、ちょっとした石積やくぼみを見つけると石垣?、堀跡?と気になってしまいます。
2008/12/14(日) 午後 6:52 [ - ]
四国の城郭さん〜〜☆こんばんは〜〜☆
(^_-)-☆
今日ですね〜〜☆
会社の友達2人と私とで・・・。
「埋蔵文化財センター」の「史跡めぐり」と言うのに参加しました〜〜☆
約8キロのコースを歩いて、センターの人が説明をしてくれました〜〜☆
面白かったよ〜〜☆
(^_-)-☆
おじさんおばさんが参加者殆どでした〜〜☆
あまり若い人って参加しないのですね〜〜☆
┐(´ー`)┌
顔が日焼けしてヒリヒリしてます〜〜☆
(^−^)
お城が残っていたらどんな感じなのかな〜〜☆
石碑は本当に立派ですね〜〜☆
それにちゃんと草刈りとかも出来てるし〜〜☆
(^_-)-☆
2008/12/14(日) 午後 10:08 [ hana10121123 ]
最近城郭を見てまわってますが
土塁や石垣が当時のものか
見分けがつきません。
2008/12/15(月) 午後 1:46
「中富側の合戦」は、北岸に砦を築き隙間のないほど鉄砲隊を伏せて待ち構える、阿波の先陣大将矢野伯耆守の二千有余に、長宗我部元親の嫡男信親を先頭に二万三千が川を越えて遮二無二攻め込んだ激戦だったそうで、阿波方ハ百人、土佐方六百人の戦死者を出す激戦だったそうですね。
古い古城は町ごと村ごとにあったのですね。特にこの吉野川の流域の多いい事、古いお城だらけのようです。
2008/12/15(月) 午後 5:21
寂しいことになってますね(;;
2008/12/18(木) 午後 7:56 [ niwa. ]
<はまっこさん。
お城巡りしていると、ちょっとした地形の変化を遺構と良い方向に解釈してしまいます(^^)
2008/12/20(土) 午前 9:57
<hanaさん。
おお・・・そんなイベントがあったのですか。
どこの遺跡巡りだったんでしょうか。意外と出不精(説得力なし?)なんで・・・・
この季節まだ日焼けするんですね。女性は気を抜けませんね。
2008/12/20(土) 午前 10:04
<よよさん。
石垣は特に見分けは難しいですね。あきらかな遺構と断言できるのは説明が気が添えられていたりするときですが、土塁は良いように解釈しています。
2008/12/20(土) 午前 10:06
<りゅうしさん。
よくお調べになっていますね。
この戦により阿波方の武将は多く戦死し、この戦に敗れた三好氏は勝瑞城を退却し、阿波は実権は長宗我部軍に移った戦いですから、三好氏も総力戦だったと思います。
2008/12/20(土) 午前 10:09
<丹羽の城塞さん。
平城の多くが形無く忘れれているますから、まだ子孫により建立された石碑があるのはまだ良いほうですね。
2008/12/20(土) 午前 10:15