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「所在地」:徳島県三好市池田町白地 「形 式」:平城(土居) 「遺 構」:土塁(虎口)、石垣 花駒屋敷の平面図ですが描いてみました。描いてみましたと言ってもね〜。これでは・・・って感じですがなんとなく写真のみでは伝わらないイメージをつかんでもらえたらって感じです。あおれんじゃーさんみたいな見事な鳥瞰図は描けませんからからこれでご勘弁を。「歴 史」
白地城 主の大西氏の家老花駒弾正の館。この館は特に北方面、西方面に点在する各支城から白地城への最後の中継地点として非常に重要な位置にあった。 長宗我部氏の時代になってもこの館は長宗我部氏家臣の屋敷として利用されたと伝わる。 「花駒屋敷訪問記」
花駒屋敷のある地は、吉野川、馬路川の合流地点にあり川に向かっては険しい崖となっており、こちら方面からの攻撃は不可能である。 今、この地を見ると広大な城域が確保できるスペースはないが、西方面と北方面への展望に難がある白地城の出城として各支城との貴重な中継点であったことは、容易にうかがえる地形である。 |
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なまずのいそうな川ですな。
2009/4/11(土) 午後 10:28
なるほど。文章と写真と地図これは分かりやすいですね。図も上手じゃないですか。
2009/4/12(日) 午前 0:15 [ 高橋 遊 ]
花駒屋敷 という名前から、勝手に平地に作られた簡素な館かな〜と思ったら
吉野川と馬路川に挟まれた、りっぱな城郭なんですね!
ダムの建設時に壊されなくて良かったですね〜〜
2009/4/12(日) 午前 9:43
田舎の帰りに何気なく通っている場所にも、ちゃんと歴史がある事を改めて思い知らされます。
四国の城郭さんのブログ、素晴らしいですね^^
2009/4/12(日) 午後 5:24
<フィーゴたかさん。
平面図と言っても地図をサイトからアウトプットして、それに簡単な縄張りを書いただけですからね。
手書きしてそれをスキャンするといった初歩的な技法ですから、ちょっと恥ずかしいところもあるのですが。
2009/4/12(日) 午後 7:15
<あおさん。
勝手にリンク付けてます。すみません。
白地城が視界が限定される立地にありますから、重要な支城だったとおもいますが、地形柄水運を監視する役目も確かにあったかもしれませんね。
2009/4/12(日) 午後 7:17
<よよさん。
かなり大きいダム湖なので、なまずもたくさんいるでしょうね。
2009/4/12(日) 午後 7:19
<高橋 遊さん。
縄張りが何となくでも分かればと思っているのですが、もうすこし慣れれば、館ではなく本格的な城趾も描いてみたいとは思っていますが、スキルがね〜・・・・。
2009/4/12(日) 午後 7:22
<おしょうさん。
館と言ってもここの場合は本城との関連や地形的に明確に出城として築かれた要素が強いと感じられるので、里城とかと違ってかなり要害の地に築かれていますね。
2009/4/12(日) 午後 7:26
<ともひでさん。
そうですね。ともひでさんの故郷への帰り道になりますね。
池田町は長宗我部氏の侵攻があり、対長宗我部対策で築かれた城も多く、他町と比べて城は多いですよ。
ここ最近「三好郡の城趾」という本を借りて、その本でここも知ったのですが、結構な数の城が紹介されており、城と合戦(対長宗我部の戦が多いですが)の歴史が記された貴重な本で気に入っています。
2009/4/12(日) 午後 7:30
分かりやすい図面ですねえ。
白地城の弱点を補う城なんですね。
2009/4/12(日) 午後 10:04 [ 山猫 ]
お早う御座います。住吉神社の平面図見事です。子供の頃ここを遊び場にしていた頃思い出しました 当時の若い しだれ桜 も老木となりましたが・・二枚目に昔の我が家写ってます、昨年ここに母を納骨しました、今は住吉神社の吉野川側は湖となってますが、ここは急流で鮎釣り舟がたくさんいました・交わる馬路側も水豊富で毎日釣を
楽しみました
”春千山の花吹雪、麓の緑馬路川・♪・・”中学の校歌の一節です!
すみません・ふるさと離れて幾0年懐かしさの余りの長コメお許しを
有難う御座いました。
2009/4/13(月) 午前 8:07 [ 山伏童子 ]
追伸!全国に散らばるここの出身者にいつかここを見せたいと思います、その時画像使わせて戴きたいと思いますがよろしいでしょうか!?
2009/4/13(月) 午前 8:13 [ 山伏童子 ]
<タロウさん。
以前白地城の記事でこの住吉神社の近所にお里があるコメントをいただいていたのは覚えていました。
住吉神社が大西氏の家老屋敷跡だった事は地元の人には結構認識されていることなんでしょうか?
ダムがない頃の吉野川の姿が偲ばれるコメントで、昔の姿を想像することさえ出来ない私はに貴重な話です。ありがとうございます。
徳島の先輩に古里の思い出を懐かしく感じていただけ喜んでもらえるのは、こちらも大変うれしいことです。
写真の転用はこのような写真で良ければ是非ご活用下さい。
2枚目の遠景と3枚目の神社境内の桜写真ですが、活用いただきやすいようにサイズを大きくしましたので、ご活用下さい。
1記事の写真掲載可能容量の範囲で希望がありましたら他写真もサイズ拡大いたしますが・・・
2009/4/13(月) 午後 7:21
画像の件有難う御座います。太郎のブログは一応HMで書いてますが徳島。香川の多くの友が見てくれてます。この住吉さん(こう呼んでました)のことは皆よく知っていて太郎同様懐かしく見てることと思います。
それにつけても。調査の正確なことに感心いたします、
大西城の家老の屋敷跡だと言うことは話に聞いて知ってました・又吉野川はダムが出来る前は川幅は三分の一程で住吉さんの下は垂直の崖で上ることは無理でした 砂浜と言ったほうがいい位の川原でした
馬路川側も同じでした・・
西側はおっしゃる通り厳しいざれ場で 登るのが難しいものでした
蟻地獄みたいに小石がすべりなかなか上にいけず 要塞の役目充分でした・・貴殿の言われてる通りです。今後のご活躍お祈りいたします。
2009/4/14(火) 午前 10:08 [ 山伏童子 ]
<タロウさん。
喜んでいただけると光栄です。
住吉神社での地図ですが、電子地図のアウトプットに縄張りを書き込んだ手抜き絵図ですが、住吉神社が家老屋敷だったことは地元では認識されているみたいですね。
吉野川の昔が思い浮かぶようです。
2009/4/14(火) 午後 9:45
図解説が、とっても素晴らしい・・と思いました。なかなか堅そうです。
2009/4/15(水) 午後 0:48
<佐野雄さん。
手抜き平面図ですが、ありがとうございます。
虎口方面以外からの進入は不可能と思える場所で、規模が小さいですがここは堅かったでしょうね。
2009/4/16(木) 午後 6:32
ひさしぶりに投稿させていただきます。花駒屋敷の存在はじめて知りました。ここで書いておられる[三好郡の城祉]という本はどこで見ることができますか?個人所有ですか?
2009/4/19(日) 午前 1:24 [ あわはんど ]
<com*c*me*akaさん。
[三好郡の城祉]は私は図書館で借りています。
三好郡が三好市と東みよし町とに分かれるときに記念に作った本だとありました。
城の歴史や平面図、地図などが書かれた貴重な参考資料です。
2009/4/19(日) 午前 8:15