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「所在地」:徳島県板野郡上板町瀬部
「形 式」:平城
「遺 構」:石碑
城趾は町指定史跡になっている。城趾には石碑と小さな祠がある。
「歴 史」
城主は瀬部嘉右衛門で、三好氏に属した。
天正10年(1582年)の中富川の合戦に参加し討ち死にした。
資料によると瀬部氏は鎌倉期の阿波守護小笠原氏の一統であるという。
城趾は住宅地と田畑となっている。遺構は城郭大系には井戸があると書かれていたが確認できなかった。
「瀬部城訪問記」
この付近は平野の穀倉地帯であり中小の領主が細川〜三好氏に属し勢力を維持していたのであろうと考えられる。三好氏に属した瀬部氏の城であるが、この城は細川・三好氏の居城「勝瑞城」の西を守る外城としての機能を持っていたのであろうと考えられる位置にある。
城は付近を流れる小川を外堀に見立て、平城というより土居として存続したのであろうと思われるが、田園の中の片隅に城趾を示す石碑が確認できるのみで、平城の定めか??遺構などは破壊されて確認できなかった。
「瀬部城への道しるべ」
県道14号から県道139号線を南に進む。最初の信号を右折し、右に国土交通省の出張所があるので、その先の角を右折する。しばらく北に向いて走ると道沿い(左側)に瀬部城を示す石碑有り。
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1コメゲット(^^)v
こういう城は7、8月の攻略数稼ぎにもってこいですね♪
この辺りは、中富川合戦に従軍した武将の城が沢山ありそうで、興味あります^^
2009/5/17(日) 午後 5:11
四国の城郭殿 こんばんわ〜
>「平城の定め」
なるほど確かにそう実感することは多いですね。
近くの民家の庭に井戸があったりするんですかね。
2009/5/17(日) 午後 7:13
何とも分かりませぬ。
航空写真中央左上の水田のカーブがもしかして、堀跡かと?
湮滅とは言え、少しは痕跡があるもんなんですが・・。
2009/5/17(日) 午後 7:15 [ あおれんじゃあ ]
おぉ〜屋根がちゃんと
ついてる〜
2009/5/17(日) 午後 11:05
<マイリバさん。
確かに山城と違って、夏場の数稼ぎ?城訪問にはもってこいです。
中富川の合戦では城持ちの武将がホントにたくさん討ち死にしました。それだけ阿波にとっては国の命運をかけた一戦だったわけです。
2009/5/18(月) 午後 6:54
<しゅうちゃんさん。
どうしても早い段階で廃城になった平城は、私が訪問した中ではまともに遺構の残っている城は少ないですね。
神社や寺に転用されていなくて遺構の残るのは愛媛県の荏原城が特例みたいな物でしたから。
2009/5/18(月) 午後 6:59
<あおさん。
地割り的な物がイメージできる城が多いのですが、ここは航空写真見てもよくわからないのです。
堀跡とも思えるのですが、ここはよく分からなかった城趾です。
2009/5/18(月) 午後 7:03
<よよさん。
このどうみてもお墓?ですが「愛宕尊?」と書かれているみたいで、何なのか分からないのですが、お墓に屋根は設けないですよね・・・・?
2009/5/18(月) 午後 7:25
石碑に愛宕尊?何か火にまつわる事とかあるんですかね?それにしてものどかな城跡ですね(笑)。
2009/5/23(土) 午前 3:11 [ 高橋 遊 ]
こちらにも平城跡がありますが、耕地整理が進み石碑のみって
多いのですね。残念ですが・・
2009/5/23(土) 午前 6:43
<高橋 遊さん。
のどか・・・徳島にはピッタシな言葉(;_;)
愛宕尊って火にまつわることなんですか。
2009/5/23(土) 午前 11:24
<ロベルトジータさん。
どうしても平城は消滅してしまうことが多いですね。
まだ石碑があるだけましなのかも知れません。
2009/5/23(土) 午前 11:25