四国の城郭探訪

お城の写真と簡単な歴史紹介。

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徳島県:小宰相局の墓

「所在地」:徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦

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小宰相局の墓。源平合戦での悲話がここにも眠っている。墓は海を望むように建っている。

「小宰相局の墓」
 寿永3年(西暦1184年)2月、平家の大将「平通盛」の恋女房「小宰相局」は一族とともに摂津の一ノ谷から讃岐の屋島へ落ちていく道すがら、愛する夫が源氏のため一ノ谷において討ち死にしたと聞き、亡き夫への思慕のあまり小鳴門の海に身を投じて19の花を散らした。付近の人々はこの薄命にそぞろ哀れを感じあつく霊を弔った。ここに小宰相局の晴衣をかけたと伝えられる衣懸の松があった。
 小宰相局は懐妊の身であったので、子のない婦人がこの墓に祈れば効験があると伝えられている。
「現地の案内看板より」


「小宰相局の墓への道しるべ」


詳しい地図で見る

「小宰相局の墓」
鳴門市街からだと、県道11号を進み小鳴門橋を渡り、道に沿って右に進みトンネルの入り口手前(造船所有り)を右に入る。狭い住宅街の道を進むと、墓の案内があり案内を左に入り、山への石段を登ると墓に着く。

香川県:木戸の馬蹄石

「所在地」:香川県まんのう町中通付近(土器川)

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この写真。岩に何か模様が見えると思いますが・・・・・


「木戸の馬蹄石(香川県指定自然記念物)」
 まんのう町(旧琴南町)土器川河川床にある和泉層群基底部砂岩中の「カキ」の化石層で暑さ約1mの砂岩中に密集して化石床を形成しており、化石層が数枚認められる。
 また砂岩、頁岩、互層部の差別侵食模様が顕著である。川に降りると露出した岩床に見事な馬蹄に似た紋様が見られる。この岩に、渓流の飛沫が当たり、その景観はすばらしい。
 この馬蹄石にまつわる伝説がある。源平合戦の折、源義経が源氏の本隊を率いて阿波から真鈴を超え、勝浦に出てここ中通に来た。沼の淵で馬をとめて、しばしば休憩をした蹄の跡がついたという。
「現地の案内看板より」

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清流の中に沈む石の上部にカキの化石が見えるのですが、この山間部でカキの化石が見られるとは、地殻変動とはいえ不思議ですね。しかしこの化石を馬蹄に見立てた昔の人は風流だったんですね。


城をイメージさせる木戸の地名ですね。城はこの付近に造田城 があり、この場所付近に出城があったとする資料もあります。3枚目の写真の真ん中に写る山が出城があった山でないかと推測します。

「木戸の馬蹄石への道しるべ」


詳しい地図で見る

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木戸の馬蹄石はR438号に駐車場の看板があり、その駐車場が目印になります。(上部写真)国道からは川に向かって降りる道があります。(下部写真)。

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徳島県:西条東城

「所在地」:徳島県阿波市吉野町西条
「形 式」:平城
「遺 構」:石碑、井戸?、天守台?

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西条東城跡は田畑や住宅地とかし昔の面影は残っていない。竹藪や住宅とかしている場所が城跡の主要部。写真撮影した足下には水路が流れているが、もしかしたらこれも城の遺構跡かもしれません。


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西条東城を示す石碑であるがこれがなければ城跡とは思えない現状である。


「歴 史」
 この城の築城年代についてははっきりしないが、貞和2年(正平元年1346年)秋月城の支城として築かれたとの資料がある。
天文年間は、岡本美作守清宗が城主で、勝瑞城主細川持隆に仕えていた。
その後土佐の長宗我部元親の侵攻により落城した。
 天正14年、蜂須賀家政が阿波を与えられ、家政はこの西条東城を阿波9城(西条東城の役割は讃岐方面押さえである。)の一つとして修築し、家臣の森監物政国(禄5000石)に兵300で守らせた。
その後元和元年の一国一城令により寛永15年に廃城となった。

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この付近は古城山と称した小高い山丘(これが天守台と伝わる)だったが昭和始めに山地が堀り崩され今は平地である。訪問時はただの藪や竹藪である。今も水をたたえる井戸があったが当時からあるものかは分からない。

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「西条東城訪問記」
 西条東城は阿波9城の一つとして押さえておきたい城ではあったが、遺構があるわけでなく石碑のみの城であることは訪問前からわかってはいたんですが・・・・・
 しかしこの城、どうしても訪問したい歴史ロマンのある城なのである。
「細川家、三好家を手玉に取り、両家を衰退させ、しいては阿波一国を傾けさせた悪女の生まれた城」なのである。
この女性上記に記した、岡本美作守清宗の娘であるが、この娘「小少将の局」が生まれた城であると言うだけで訪問するに値する歴史ロマンが詰まった城なのである。
「小少将の局」のエピソードは下記に示します。

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祠は森監物政国を祭ったものと言われる。しかし背後に石碑が写っていると思うが石碑脇には廃車が放置されており、こちらの住宅の物とは思うが貴重な史跡に水を差す感じです。


「西条東城への道しるべ」

県津沿いの一条神社の西にJAガソリンスタンド(閉店)があるが、ガソリンスタンドの前の住宅と住宅の間の細い路地を南に行くと突き当たりの住宅の脇に城趾石碑有り。



「小少将の局について」

「小少将の局物語」
時の西条東城主岡本美作守清宗は野心家で(記事にリンクします)勝瑞城主細川持隆(9代阿波屋形)に正室の待女との名目で娘を差し出した。

絶世の美女と言われたこの娘を細川持隆は小少将の局という名を付け寵愛した。寵愛したと言うよりすっかり魅力に溺れて、政務を怠り酒池肉林の生活を続けた。
しばらくして小少将は細川真之(最後の阿波屋形)を出産した。
(正室に子がなく小少将の生んだ細川真之は細川家嫡子となった。)

細川持隆は京管領細川家(本家)との関係で京に赴くことが多く、持隆が留守の間、細川家重臣の三好義賢(三好長慶の弟)と親密になり勝瑞城で実権を握るようになる。
やがて細川持隆と三好義賢は政治上の意見の違いで不仲となり、天文21年8月三好義賢は謀反を起こし、勝瑞城内の見性寺で持隆を自害に追いやった。

乱後、義賢は幼い細川真之を阿波守護に付け自身は執事となるも、実質的な勝瑞城主となった。
小少将の局は夫細川持隆を殺した三好義賢の妻に納まり「大形殿」と名を改めた。
三好義賢も彼女の虜となり、大形殿の意のままに政治を動かすとともに、その間、「長治」、「存保」の男児2名の子を授かった。(存保は讃岐十河家の養子となり十河存保と名乗る。)
しかし二人目の夫、三好義賢は泉州で討ち死にし、三好家の跡目は息子の三好長治が継いだが、当時まだ30歳ほどだった大形殿は、勝瑞城で権力を持ち続け、今度は三好氏の家臣木津城主篠原自遁と通じた。

大形殿と篠原自遁の醜聞は阿波国内に広がり、自遁の兄で三好家家老だった、(記事にリンクします)上桜城 主篠原長房は自遁を諫めたが、これを聞いた大形殿は怒り、息子長治に「篠原長房に謀反有り」と吹き込み、弟十河存保とで上桜城を攻めさせ、篠原一族を滅亡させてしまった。

うるさい家臣も消え、勝瑞城で権力をふるう大形殿であったが、今度は自分の腹を痛めた二人子供、先の夫の子細川真之と三好長治兄弟が阿波国内を二分して争うことになる。

持隆の子・真之は、義賢とその子の三好長治の元での傀儡でしかなかったが、長治が悪政により阿波を混乱させると、真之は新たに台頭しつつあった土佐の長宗我部元親と手を結び復権を図り、長治を滅ぼしたが、天正10年(1582年)に長治の弟の十河存保に攻められて自刃し滅亡した。
(この三人は小少将の局の実の子である。三人は父親違いの兄弟なのであるが・・・・)

こうして阿波国内は混乱し、その隙を突いて長宗我部氏が阿波に侵攻、勝瑞城も落城するのであるがこの時、息子十河存保は讃岐に敗走、愛人篠原自遁は淡路に逃亡・・・・
これ以降、大形殿の消息は判然としない。息子存保とともに讃岐に逃れたか、愛人篠原自遁とともに淡路に逃亡したか、また今度は長宗我部元親に近づき、土佐へ行ったとの伝説まで残るのであるが・・・。
また、生家西条東城に逃れて井戸に身を投げたとの伝説もある。

夫をもて遊び、夫を殺した男の妻となり、城内で権力を握り、家臣と不忠の仲を戒める忠臣を讒言で滅ぼし、自分の産んだ子供三人は権力闘争で生死を分け合い、決して女性として幸せだったのだろうか?と思うのだが、最後くらい常識論では勝瑞城落城時に将兵らと運命をともにしたと思いたいが・・・・。

1級電気施工管理技士

『1級電気施工管理技士試験』

初めてこの試験を受験して思ったこと・・・・・とにかく期間が長い。「そして高い」
期間が長いとは、
2月末:学科・実施受験申込受付締切・・・『受験料¥11,800円納付』
5 月:学科試験受験票送付
6 月:学科実施試験
7 月:学科試験合格発表・・実施試験受験手続開始
7月末:実施試験受験手続締切   ・・・『受験料¥11,800円納付』
9 月:実施試験受験票送付
10月:実施試験実施
2 月:実施試験合格発表・・技術検定合格証明書交付申請受付開始・・『手数料¥2,200円納付』
3 月:技術検定合格証明書交付  

『合格証明書』・・・印刷するだけの証明書の発送が1ヶ月かかる。
   〃   ・・・単なる紙の証明書発行に手数料?が2200円する。
   〃   ・・・単なる紙の証明書の郵送を配達記録で行う。

この試験、財団法人 建設業振興基金(天下り協会?)が運営しているのだが、とにかくなぜこんなに時間がかかるのか・・???受験するだけでなぜこれほど高いのか???
●期間は申込締め切りから合格証明書が手元に届くのに1年である。
 その間2会の試験があるとはいえ・・・・『これがお役所仕事というやつか』
●費用は受験料と合格証明書手数料を含めて「25,800円」。
 参考テキストの配布があるわけでもなく、あるのは申込書と試験用紙のみで、公立学校を借りて受験会 場としているだけだし、これでこれだけ経費が掛かるとは思えないんですけど・・・
 どっかの協会が儲けて問題になっていますが、こちらは儲けていないのですか??
 高級官僚天下り給与に消えているのでしょうね。

「試験結果」
 この試験真面目に勉強したかいもあり?真面目かどうかはこの辺の記事を参考に・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/gpz900ninjaa12/55172977.html
http://blogs.yahoo.co.jp/gpz900ninjaa12/55287194.html

「参考・・・平成20年度1級電気施工管理技士試験結果」
 『全国平均合格率』
   学科試験受験者 17,899名  合格者 7,923名(合格率44,4%)
    (うち高松会場)     831名  合格者   319名(合格率38,4%)
   実施試験受験者  8,708名  合格者 5,366名(合格率61,6%)
    (うち高松会場)  373名  合格者   220名(合格率61,8%)
※この試験は学科合格したら、たとえその年の実施試験に不合格でも、次年度の筆記試験は免除で実施試 験を受験できるため筆記試験合格者と実施試験受験者の数値は違います。

  なんと受験者に対する合格率は『おおよそ3割である』
 

それでもって私の結果というと・・・・。


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この証明書がもらえました。(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)。


とくかく結果が出て良かった。
来年だったら、国土交通大臣は民主党の方かもしれませんね????
自民党の大臣は当分ないかもしれないので貴重かも?????


来年の合格証明書には顔写真が入るみたいです。
ニュースにもなりましたが替え玉受験があり問題になりましたから・・・・
実際私の試験の時にも試験中かならず本人確認で顔確認がありました。
替え玉受験の受験者(逮捕された講師)・・一回目はよくパスできたなと思いますが????

電気施工管理と同様で建築施工管理技士というのもありこの試験で資格学校「建設業技術協会」の2名が逮捕された。
一人は同協会の実質的な責任者で、もう一人は講師を務めており、協会の30代の受講生が一級建築施工管理技術検定試験に申し込む際、「受検申請書」に逮捕された講師の顔写真を張って偽造。6月の学科試験では、受講生に代わって逮捕された講師が試験を受けた。 
10月に実施する実地試験の前の書類審査で、どうみても受験生の顔(替え玉受験した講師の顔写真)が30代には見えずに不正が発覚した。逮捕された講師は55歳だった。

愛媛県:金山城

「所在地」:愛媛県宇和島市三間町戸雁
「形 式」:山城
「遺 構」:曲輪、堀切、武者走り、狼煙場
「城 主」:今城兵庫頭能信

『この記事は2007年2月の記事「愛媛県:金山城」のリメイク版です。』
以前の記事はブログ開始間もない頃の記事で、ブログテーマもはっきりしない中でただ遺構写真を添付しているだけの記事でしたので手直ししてみました。

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金山城への登城路を進むと空堀跡の看板が出迎えてくれますが、現在はかなり埋まっています。ただ切岸の登りの斜面はきつく、斜面上から下がっているロープを握っての登りとなります。


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金山城への登城路を進むと最初に武者走りが出迎えてくれます。武者走り手前には堀切の遺構があるのですが、ほとんど埋まっており注意していないと見過ごしてしまいます。


「歴 史」
 永禄・天正(1558〜1591)の昔、標高287mの金山に拠る本城は、険峻攻守を兼備した成妙郷の要衝であった。
 城館の構式は複郭で十郭からなり、堀切・土塁を有し、縄張りは長さ200m幅100mの規模である。山頂一帯は削り取った平地で、その下段は急勾配である。中央部に本丸のやや高い段があり、その周辺に台石や石垣らしい石が点在している。径3mのくぼみは池か井戸かとも思われ、住時のたたずまいが佛々とする。
 能信は、成妙郷9ヶ村4千7百石余りを所領し、宇和郡西園寺殿の旗下14将の一人今城肥後守能親の嫡子である。時恰も風雲急を告げ、土佐一条・長宗我部および豊後大友勢の侵略するところとなり、三間郷の雄将土居清良と同心一体で戦陣を馳せ、戦乱動乱期にいける能信の軍功は清良記に語って余さない。
「現地案内看板より抜粋。撰文はご子孫と思われる宇和島市在住の今城宇佐男氏による。」

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山頂削平地には土塁と狼煙場跡の案内があった。狼煙場跡からの見晴らしはよく三間郷に点在する城と連携していたことが容易に想像できる。


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山頂から西に延びる尾根沿いにはやっぱりという感じで堀切が設けられていました。


「金山城訪問記」
 金山城は宇和島市立成妙小学校の裏山にあります。
成妙小学校の児童が総合学習の時間に「金山城に学ぼう」と称し郷土の歴史を学習しているそうで、登城路には児童による案内看板が設置されています。
 城趾は山頂部は城主の慰霊碑や歴史の案内板が建立され、遺構の案内などの立て看板もありますが、全体としては木々が茂り古城の雰囲気は漂っております。
 また、能信の父である今城肥後守能親は文武に長じ、歌詠みの名人であり、天文6年に「大神宮法楽伊予千句」を京都で興行した風流武将で、この連歌の巻頭発句に「梅」と記名があるのは時の関白「近衛種家」で、中央から離れた四国のさらに奥のこの地で、一小領主が一流の文化人と交流があり、文化の花を咲かせていたことを考えると、遺構のすばらしさと相まって、感慨深いものがあります。

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山頂付近の遺構には立て看板が設置され、初心者にもわかりやすくなっています。写真は井戸跡と思われる場所です。


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山頂主郭の削平地。


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山頂周辺の三の丸跡から主郭を望む。主郭は一段高くなっていますが、段差の一部には石垣と思われる遺構も確認できました。



「金山城への道しるべ」

宇和島市立成妙小学校の裏山にあります。小学校背後には城趾の案内看板が設置されています。
城趾には小学校背後に砂防ダムが見えるのですが、砂防ダムの右側の脇から山道を登っていくと城趾に到着します。登城路は約640mあります。

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