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「高知県:紀貫之邸跡」
紀貫之邸跡と現地では案内がありますが、この地には奈良天平の時代から土佐の国庁が置かれた。 「土佐日記」で有名な紀貫之は、延長8年国司として来任し、この地に居住した。 地名を内裏(ダイリ)と言います。 「土佐日記」とは、承平4年任期を満ちて京都に帰る時の、土佐の国から京まで帰京する最中に起きた出来事や思いなどを書いた日記で、55日間の紀行を、女姓を装って平仮名で書かれた作品です。 この時代は、男性の日記は漢文で書くのが当然だったので異例だが、日記の中心となるのは土佐国で亡くなった愛娘を思う心情であり、悲嘆を距離を置いて描く為に、紀貫之に仕える女房という設定をとったとも考えられています。 さて、土佐国の国司は百十余人が文献に見られその国司の館がこの地であるのですが、なぜ紀貫之邸跡と称されていりるかについては、「歴代国司の中で、紀貫之が抜きんでて名が高かった故である。」と現地の説明では書かれてありました。 紀貫之は60歳過ぎで土佐国国司を任じられた。4年間の国司の任務を無事に果たすが、当時の平均年齢から考えても大変高齢での地方勤務だった。写真はここに建つ記念碑であるが、天明5年、大正9年、平成元年建立の3つの記念碑が見られる。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「紀貫之邸跡への道しるべ」
紀貫之邸跡は高知県比江山城の直ぐ傍にあります。南国ICから南下した所に道の駅があるが、そこを左折し最初のYの字の交差点を右に進み突き当たりを右折。水路に沿って進むと国分寺橋が架かるのだが、この橋の手前に小さな交差点があり、それを右に入る。(道は狭いです)すると国分寺廃寺の史跡などを確認しながら狭い道を道なりに進むと右に永源寺が見える。永源寺方面に進むと比江山城ですが、永源寺前をそのまま素通りして道なりに進むと紀貫之邸跡が道沿いにあります。地図は航空写真を採用していますが、右上に見える里山が比江山城址です。 |
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2008年12月23日
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