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「所在地」:徳島県三好市三野町加茂野宮
「形 式」:平城
「遺 構」:なし。
加茂野宮城現状。写真中央に田畑の中に垣根が見られる場所が城趾。田畑化され遺構は全くない。
「歴 史」
この城は平敦盛の後胤「平貞国」の嫡子安芸守が城主と伝わる。築城は平安時代後期と言われる。
平家方の武将が城主を務めたと思うが、歴史的資料が乏しく伝説も伝わらない。
推測として、鎌倉時代(1267年)に阿波の守護として小笠原氏が赴任し周辺の平盛隆を滅ぼした記録があるので、平家方であったこの城の城主も制圧されたと推測される。
城趾(主郭部か?)には木が植栽されている。また現地には城趾を示す標柱が建立されていた。
「加茂野宮城訪問記」
田畑化され全く遺構は見られない城趾。
ま〜何もない城ですが、このような無名城を訪問して日の目を当てる(大げさか・・・(^o^))自己満足ですがね・・・・
歴史的資料も乏しく鎌倉時代以降の歴史も資料には記載されておらず、早くから廃城となり放置されたのではないかと思える。
城趾は平成の初めの頃までは「戎塚」と呼ばれる木々が茂った塚で、取り壊され現在のようになったらしい。明治には加茂野宮小学校がこの地にあった。
垣根内には戎神社と、田村左近守利春の記念碑が建立されているが、田村左近守利春が何者かは資料がないのでわかりません。
敷地内。向かって左側が田村左近守利春記念碑、右側が戎神社が建立されている。
「加茂野宮城への道しるべ」
県道12号(通称鳴池線)を美馬市と三好市の境界付近から西に向かうと清水地区を示す案内看板が建立されているが、下記の写真に示す清水(南)と清水(西)を示す看板の三叉路を北(清水西側)に入る。
Yの字を左に入り、左に見える垣根手前の三叉路を右に行くと城趾。
入り口に看板以外の目印がありませんが、田畑の中に垣根が見えるの県道からでも城趾は目に付きます。
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