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「所在地」:徳島県鳴門市撫養町林崎(妙見山山頂)
「形 式」:平山城
「遺 構」:石垣、曲輪、模擬天守
鳴門市内を流れる撫養川に架かる「城見橋」より撫養城を眺める。
撫養城のある妙見山を東側から眺める。標高はそれほどないが山は意外と険しい。
「歴 史」
城の歴史は古く、小笠原氏源氏の居城であった築城年代は定かではない。
この撫養城は足利将軍家と縁が深い。大永3年(1523年)十代将軍足利義稙が京を追われた後この地で生涯を終えた。また14代義栄も京を追われ流浪の後この地で客死したといわれる。
その後の城は長宗我部氏の侵攻で長宗我部氏の支配を受けることになったが、秀吉の四国征伐により阿波は蜂須賀家政が領することになり、家政は阿波北部と海峡を押さえるためにこの城を重要視し、阿波国内9箇所の要所の一つとして、家臣益田内膳正忠に守らせ益田氏は5千石を領した。
その後元和元年の徳川幕府の一国一城令により、寛永15年この城は廃城となった。
妙見山山頂には本丸跡といわれる石垣が残る。石垣は古風な野良積みではなく布積みが見られるので、近世の改修と思われる。
「撫養城訪問記」
撫養城は別名岡崎城ともいわれる。岡崎城でも通用するがここでは日本城郭大系での紹介名である撫養城を用いている。城山である妙見山は北部を鳴門海峡、西部には撫養川が流れ自然の要害になっている。
妙見山山頂に建てられた模擬天守は市内からよく見え、当時は天守はなかっただろうと思われるが、この模擬天守は徳島県が生んだ人類学・考古学者である鳥居龍蔵記念館となって、鳥居氏の集めた資料や遺品が展示されている。
撫養城址に建てられた天守風の鳥居龍蔵記念館。徳島県内には城跡に建てられた模擬天守は3城ある。
千畳敷と呼ばれる広場であるが、本丸脇に設けられた郭でこの城址の中では広大な面積を有している。
撫養城址から眺める市街地の風景と鳴門海峡。海峡の押さえの意味が伝わる景色である。
「撫養城への道しるべ」
鳴門消防署の交差点を東に進む。すると撫養川に架かる橋があるがそこが「城見橋」である。橋を渡ってそのまま東に進むと左手に城が見えてくるが、岡崎海岸・鳥井龍蔵記念館の看板を進むと山頂まで来るまで進める。
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