四国の城郭探訪

お城の写真と簡単な歴史紹介。

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香川県:大谷川城

「所在地」:香川県仲多度郡まんのう町炭所東(亀越池)
「形 式」:山城
「遺 構」:曲輪、一族墓所

イメージ 3

大谷川城遠景。池の畔に張り出した舌状の丘陵い築かれている。写真が逆光で補正したのですが見づらい写真になっています。


「歴 史」
 城主は大谷川光兼(大谷氏)
大谷川氏ははじめ細川氏に属したが、細川清氏が南朝方としてこの付近に下ると光兼も南朝方に与することになる。
 光兼は子息をこの付近の城に配置し、阿波の南朝方と連携をとった。
細川清氏は同族の細川頼之と戦い敗北討ち死にするが、この戦いには光兼の子息二人も従軍していたが、二人とも討ち死にしてしまう。
 勝った細川頼之は勢いを得てこの付近に進軍し諸城を落としていき、大谷川城も大軍を前に力戦したが、光兼、二人の子息ともども討ち死にして大谷川城は落城した。

イメージ 2

大谷川城には空堀地形と二段の削平地が残るとあるが、削平地は確認できるものの空堀地形は見られなかった。


イメージ 4

この写真の場所(山の稜線の先端の竹藪付近)は、この付近に住む一族子孫の方の話によると、昔からの削平地で伝わる話として城の水をくんでいた場所と伝わっています。(水の手?)。ただ場所が離れすぎており、もしかするとこの付近に子孫の方の家もあるので土居の水の手だったことも考えられます。


「大谷川城訪問記」
 大谷川城の城地を考えると池の水利権を管理していたと考えられる。香川県にはため池が多いが、池を押さえるための城と思える場所が数カ所ある。
 この大谷川城であるが、日本城郭体系には「おおたにさん」と呼ばれる一族の墓所があると書かれており、一族の子孫が年に一回先祖を弔う祭りを開いてあるとあったので目指したが、なかなか見つけられない。
山には池の畔に山道があり歩くのは楽なのであるが、墓へのアクセス道がわからず数カ所山への直登をくりかえしやっとそれらしく場所を発見できたが、ながいあいだ人が入った感じもなく、場所断定には不安であったが、訪問しての帰りに農作業をされている方と話をしてみたら、大谷氏の子孫の方で墓所の写真を確認してもらったら「おおたにさん」で間違いないとのことであった。
 「よくわかりましたね。」と声をかけていただいたが、どうも私が城を訪問する数日前にも城を訪れた城ファンの方がいたらしく、「おおたにさん」は未発見だったみたいです。声には出しませんでしたが、胸の中で「やった〜」と叫んだのは言うまでもない・・・・?
子孫の方もここ最近は訪れてなく、以前は遺構も見られたらしいが風雨で崩れて今はわからなくなっているとこ事でした。

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大谷一族を祀る「おおたにさん」。以前は鳥居や霊殿もあったとの事ですがいまは朽ちてなくなっています。


「大谷川城への道しるべ」

県道185号線から満濃ヒルズGCの入り口の交差点を降りていくと亀越池まで続く。
池まで降りてくると四つ角があるが、四つ角を道なりに進むと左に住宅が数軒あるが、家を過ぎた先に道沿いに小さなため池がある。ため池脇から山の裾を通る農道があるのでこれに入って、畑脇を通り、山に入ってからは分岐路を左〜左と進むと道がおおきく右に迂回し道が下る感じになるので、この付近の手前から山へ直登すると削平地があり、削平地の一角に墓所がある。
(YAHOO地図にはため池から国道438号に続く道が白の点線で描かれていますが、実際は道路があり、この道沿いに城への入り口目印の小さなため池があります。)

イメージ 5

この写真の場所は、ため池より山裾を見た写真ですが、写真に写る農道を進むと城跡まで進めます。


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