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「所在地」:愛媛県宇和島市三間町元宗 「形 式」:山城 「遺 構」:石垣、土塁、狼煙台 『この記事は2006年12月の記事「愛媛県:大森城」のリメイク版です。』
以前の記事はブログ開始間もない頃の記事で、ブログテーマもはっきりしない中でただ遺構写真を添付しているだけの記事でしたので手直ししてみました。 色々気に入らない内容の記事が多々あるので、新規と手直し記事がしばらく続くかも・・・? 「歴 史」
大森城は、この辺り三間地域を支配した土居清良が本拠とした城であり、土居清良は、近世に子孫たちが編纂した軍記物語「清良記」の主人公として有名です。 天正7年(1579)に伊予進出を図る長宗我部氏の軍勢この付近に進軍してきたときは、盆地の特性をいかし、盆地の入口を押さえ長宗我部軍に勝利を上げたことでも知られる。 土居清良はこの付近の小豪族の中核として知勇兼備の名将として後世に伝わるが、清良は土佐一条氏の人質から大森城主として復帰する歳、かつての戦没者の遺族700人を城に招いて慰霊祭を催し、この時に登城した者は一個ずつの石を運んで積み重ね城の曲輪とし、「供養丸」と名付けたエピソードもある。 「大森城訪問記」
大森城は旧三間町(現宇和島市三間町)の三間盆地の中央部にそびえる山頂に大森城跡はあります。 日本城郭大系には、愛媛県の中世城郭のうち石垣・石塁が最も見事に残っている城郭の一つに数えられており、登城前には期待がふくらんでいたが、期待に恥じない見事な遺構が山中出迎えてくれる。 ただ、訪問時は登城路が解らず山の周りを巡っていると、地元の人に不審がられ声を掛けられる事があったが、城を訪問したいというと地元の人も今は道は解らないが子供の頃はよく城山で遊んだ話も聞かせてもらえた。地元の人曰く「山肌から登れ」との事で直登が決定した瞬間であった(笑)。 山の北側麓から伸びる林道を発見し山の中腹までは登れ、あとは藪かきして登ったが、山頂の本丸跡と思われる場所に到着したときに本丸南側に登山道らしき山道があった時のショックは大きかったです。(ちょうど登山道の反対側の斜面を登っていた事になりました) それと訪問してから大森城を調べていると、城趾周辺には城主墓や城主を祭る清良神社があり、また一番のショックは愛媛県歴史文化博物館には大森城の1500分の1の模型が展示されており、展示写真を見ると山を取り巻く曲輪群が見事で、現地と模型をセットで見たかった後悔が大きく、南予に行く機会が有れば是非再訪問したい城趾である。 「大森城の道しるべ」宇和島市役所三間支所前の県道を東に進むと左に独立した山が見えるのが城趾。
訪問時は登城路が解らず、山の北側の山麓にちょうど切り通し状になった場所がありちょうどその付近に山へ登る林道があったのでこれを上ったが、道は中腹で消える。あとは山頂を目指して藪かきでの直登である。 詳しい地図で見る |
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