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「所在地」:愛媛県松山市三津浜字港山 「形 式」:山城 「遺 構」:曲輪、井戸跡、石積み 「歴 史」:【現地案内看板より抜粋】 1460年代に河野通春が湊山に城を築いた。当時河野家は湯築城の宗家河野教と、港山城の庶子家通春に分かれて争っていた。 通春は二度の戦いを教通とし、ついに湊山の北麓あたりで流矢にあたり戦死したと言われる。 天正13年、豊臣秀吉の四国征伐で滅び廃城になった。 「訪問記」: 港山城は松山市の三津浜港脇の独立した山にある。城山へは港を目指せばよい。登城口は城山の東側の道路沿いにUP写真にもある案内看板の所から登城できる。 ただし、登城路も途中で竹藪化し、竹藪の中の歩けそうなルートを探しながら主郭を目指したが、竹藪に阻まれ主郭までは断念した。 遺構の確認では、登城路の脇の曲輪跡らしき平地に凹みがあったのだが、井戸跡と確定は出来なかったが、多分そうでないかと思い、写真はUPしている。 主郭に向け曲輪跡らしき平地が段々に続いているが、竹林として後世に整備されたものかもしれず判断は出来ない。とにかく折れた竹が足下に散乱し侵攻を拒まれた事が残念である。案内看板にあった石積みも確認できていない。 愛媛県の雄、河野家にまつわる歴史上重要拠点であるともうので、案内看板まで設置するのであれば多少の整備は行ってもらいたい希望がある。 「港山城への道しるべ」 |
愛媛県の城(伊予)
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「所在地」:愛媛県西条市小松町新屋敷 「形 式」:陣屋 「遺 構」:移築門 「歴 史」:寛永13年伊勢神戸城主一柳直盛が伊予西条に移封される途中に病死し、三男直頼が遺領 の内1万石を分知され小松に陣屋を構えた。 藩は8代頼紹で明治維新となり9代頼明は藩知事となり明治4年に廃藩を迎えた。 「訪問記」:陣屋跡は住宅地や耕地となっている。実際写真にある石碑は住宅の敷地の一角にある。 石碑や説明版が建てられているが、遺構らしいものは資料には土壇と石垣の一部がある とあるが明確ではなかった。 陣屋跡は石碑と看板のみであるが、陣屋跡周囲には藩校である養正館跡、藩校教授 「近藤篤山旧邸」、移築門のある仏心寺など陣屋跡も含めての周辺一体で歴史価値を 見いだすことができる。 小松陣屋にはJR小松駅から南に一直線に進むと、「近藤篤山旧邸」や案内看板もある。 「小松陣屋への道しるべ」 |
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「所在地」:愛媛県新居浜市郷 県道133号城下橋付近 「形 式」:山城 「遺 構」:曲輪、空堀 「歴 史」:岡崎城主は藤田孫次郎と言われる。高峠城主石川氏に属していた。 天正13年、豊臣秀吉命により小早川氏が伊予に攻め入り藤田氏は金子氏とともに、 西条市の高尾城に立て籠もり奮戦むなしく野々市の戦いで敗れた。 「訪問記」:城跡は県道133号線に架かる城下橋(国領川)付近にある。 地図では岡崎公園が城山麓付近にあるが、訪問時は荒れ果てていた。 登城路は鉾前神社から奥の院?へと進む道があり、奥の院?は岡崎城の馬場跡にある。 馬場跡から台所、三の丸、二の丸、本丸跡の曲輪が階段状に続く。 本丸跡から稜線を少し進むと空堀跡がある。 訪問時は本丸付近の下草も刈られて遺構の確認が容易であった。 「岡崎城への道しるべ」 |
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「所在地」:愛媛県西予市宇和町卯之町 「形 式」:山城 「遺 構」:空堀跡、曲輪、土塁、井戸跡 「歴 史」:黒瀬城は南予に君臨した西園寺氏の本城である。戦国期は西園寺氏の本城は松葉城であったが、西園寺氏19代実充が黒瀬城に移ったと記録にある。 西園寺氏は最後となる公広の代(天正12年)に四国統一を目指す長宗我部軍に下り、その翌13年には四国征伐の豊臣軍が伊予を責め中で戦う前に軍門に下った。 一旦は在城を許されたが、天正15年に大洲城主戸田勝隆に下城を命じられその年の暮れ謀殺され鎌倉時代から続いた名門西園寺氏は滅んだ。 「訪問記」:黒瀬城にはJR卯之町駅のすぐ南にある運動公園内の道路沿いから登山道がある。運動公園の山沿いに案内看板があり、その横に登り口の看板があるのでわかりやすい。 運動公園には大きな池があるが、この池は光教寺池と言い、西園寺氏の菩提寺であった光教寺跡である。 山頂の城遺構部分には古い案内看板がある(あると言うより落ちている状態)が整備は行き届いていない。一部曲輪は展望台として昔使われていたのか古いベンチがあったが、南予を代表する歴史的な場所であるがゆえに、ブッシュが生い茂りなんとか通路らしき道は確保できても、遺構の確認はブッシュがじゃまでほとんどできず無惨な感じがした。 黒瀬城への登山道の途中に岡城の案内があるが、遺構なら岡城の方が断然魅力的であると思えた。 |
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「所在地」:愛媛県大洲市新谷町(新谷小学校) 「形 式」:陣屋 「歴 史」:大洲2代藩主加藤泰興から1万石を内分された弟・直泰が寛永19年に陣屋を置いた。 以後9代約250年年間にわたって就封した。 廃藩置県で新谷藩は消滅したが、陣屋跡には現在新谷小学校敷地になっている。小学校敷地内には「麟鳳閣(県指定文化財)」と庭園跡が残っている。 「訪問記」:新谷陣屋は現在小学校敷地となっていることもあり、ゆっくり見学しようと思っても不審者と思われる不安がありましたので、案内看板のみを確認し撤退しました。職員室に事前に申し込みをしておくと麟鳳閣の見学は可能らしいので、今度の機会は事前に申し込みをしてから訪問したい。 「新谷陣屋への道しるべ」 新谷陣屋跡は現在新谷小学校となっています。 |





