四国の城郭探訪

お城の写真と簡単な歴史紹介。

愛媛県の城(伊予)

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愛媛県:勝山城

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所在地:愛媛県北宇和郡鬼北町大字上大野
形 式:山城
遺 構:空堀跡、曲輪
歴 史:「現地案内より抜粋」
    勝山城は三方急峻な山頂にあって、その北端には一段高い本丸があり空堀を経て二の丸が続く。本丸跡に上がって二の丸三の丸を見返すと一直線上にその影を忍ぶ広場が見下ろせる。また本丸から北東西の三方を見下ろすと足下を広見川があたかも城濠のように取り巻いて流れ、自然の要害を備えている。

勝山城は戦国時代勝山氏の居城であったが、のちに河原淵城主の一族「芝一角」が居城したと伝わる。
芝一角は広見多武森城主であるので、勝山城は一角の属城であったと思われる。
その後一角は関ヶ原の合戦にからみ、丸串城主藤堂高虎の命で丸串城二の丸で毒善を盛られ暗殺された。(1600年享年60才)一角の末子作蔵も草履取りの様子をして玄関先に居たが、これを聞いて斬って入り四人を斬り捨て十人余りに手傷を負わせその後父の死体に抱きついて討たれた。作蔵は16才であった。


「勝山城への道しるべ」
勝山城には国道320号線の「道の駅日吉村」から宇和島方面に走ると広見川が見えてくると川沿いにこんもりとした山が見えるがそこが勝山城趾である。信号があり広見川を渡る橋があるので橋を渡り直進しもう一つの橋の手前を右折し、交差点はそれぞれ右折山しながらへ上がるように走ると三の丸まで来るまで到達できる。

愛媛県:松ヶ森城

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所在地:愛媛県北宇和郡鬼北町大字出目(松の森山山頂)
形 式:山城
    松ヶ森城は河原渕殿渡辺教忠の枝城と資料にはあるが、一説には松平甲斐介の居城とも伝えられる。築城時期は定かではないらしいが、愛媛県の高知に近い場所がら土佐幡多地方の一条氏や長曽我部氏との関係から整備されたとも考えられる。
遺構は整備はされていないがよく残っている。城域も広大であるが土塁〜曲輪〜堀切等がよく残っている。城域〜遺構等から推測してこの地方の重要な拠点であったことが推測される。遺構から見て日本城郭体系に紹介されていないのが不思議に思える位の見所ある城跡であった。

訪問時の登城口であるが国道320号線を宇和島から進行してくると、高嶋神社周辺で大きく左にカーブするのだが、そのすぐ手前に信号があり左折を行う。左折後すぐに住宅地に入りように私道のような道があるがその道を左に入る。道は狭いが小型車での走行は可能である。道は山を若干登り墓地に到着する。墓地周辺に駐車して墓地に沿ってさらに林道のような道が山に向かって延びている。林道は多数分岐するが上を目指す道をひたすらあがっていくと、山頂(本丸)付近まで林道は続いており、道がとぎれたすぐ上が本丸である。分岐にきちんとマーキングをしなかったので帰り迷いましたので、マーキングを必ずおすすめします。

「松ヶ森城への道しるべ」
松ヶ森城跡

愛媛県:犬尾城

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石城の枝城として築かれた。吉田湾の付け根を守る重要な城であったと思われる。
数度にわたり大友勢からの攻撃を受けたが撃退し、上陸を阻止している。

永禄3年に豊後大友氏に攻められ石城と共に落城した後は、法華津本城の法華津氏の枝城となった。

犬尾城へは宇和島方面からだと国道56号線から吉田陣屋(図書館)の交差点を左折し、200〜300m程度で橋が左に見えるので橋が見える交差点を左折し橋を通過後、住宅地を道なりに抜けると「ふれあい運動公園」が見えてくる。公園の手前100m位に左折する農道が見える。(決して広い道ではないが小型車なら楽に走れる。たしか道はこれ一本なので間違わないと思います)その農道を道なりに上がっていくと、(途中分岐があるが左折)犬尾城の石碑のある駐車場に到達する。
石碑からは山頂まで徒歩で1〜2分である。山頂から吉田町〜吉田湾の眺めは良いです。

「犬尾城への道しるべ」
犬尾城跡

愛媛県:道後湯築城

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場所:愛媛県松山市道後公園
伊予国守護河野氏の居城。
発掘調査が数年前に行われ、それ以降武家屋敷などが復元され城郭のイメージがUPされているように思えた。一度発掘調査前に訪問したことがあったが、早くから公園として整備されてはいたので探索は簡単であったが、「水堀がよく残っているな・・・」との印象しかなかったが、調査以降は先に書いた武家屋敷や土塁を一部切り裂き断面がわかるようにしている場所もあったり、遺構の説明看板など全体的に整備されている。

湯築城へは、道後温泉を目指せば道後温泉街の入り口に道後公園があります。公園には有料ですが駐車場が整備されています。公園横には正岡子規記念博物館もあります。

道後湯築城への道しるべ
湯築城跡

愛媛県:大洲城

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愛媛県:大洲城
大洲城は地蔵獄城とも言う。宇都宮氏が築き宇都宮氏の支配が続いたが戦国時代となり、宇都宮氏〜大野氏〜戸田氏〜池田氏〜藤堂高虎〜脇坂安治と続き、加藤貞泰が米子6万石から大洲6万石に入部。以後加藤氏が13代にわたって大洲城主であった。

城の遺構としては、復元された天守と連結した台所櫓と高麗櫓(上段写真)、、三の丸南隅櫓(中段写真)肱川畔にある芋綿櫓(下段写真)の4櫓が現存している。城跡は整備されており昔の絵図により現在地が何かを確認できる案内図もある。大洲市は小京都とも言われ昔の町並みが残っている地域でもある。
城跡とともに城下町も探索してほしい。

見学には城の麓に大洲市民会館横に有料駐車場がありますが、そこから少し市役所よりに歩くと無料の駐車場が準備されていますので、車での見学には便利と思います。

大洲城には国道56号線を大洲市街に入ると肱川橋を通るがそこから復元された天守閣が一望できる。
国道からは城跡への案内看板があるので迷うことはないと思う。

大洲城への道しるべ
大洲城跡

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