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「愛媛県久万高原町」 国道33号の三坂峠を越えると久万高原町内であるが、国道から採石のため山肌があらわに現れているところが見える。それが大除城跡である。 城主は大野氏である。 遺構は山頂部に堀切が明確に確認できるが、山頂部の遺構はブッシュがひどく所々石垣が顔を見せるが、確認しづらいうえ非常に歩きにくい。愛媛県下でも大規模な遺構であるので採石からも守ってほしいし、石垣などが遺構として残っているはずなので、山頂部の整備に期待される。 大除城には後から確認すると城山南東の集落から登城口もあるらしいが、訪問時は城山の北西に町道が通り、建設会社の資材置き場があったが、その付近に林道が山頂に向け伸びている。それをあがっていきました。9合目ぐらいまでは林道で上れたが、あとは道なき尾根を山登りである。最初に堀切が出迎えてくれた。その堀切から東方面に尾根を歩くと、なんとなく道らしきものがあり進むと久万新27番と書かれたお地蔵様が設置されていた。お寺の奥の院だろうか。 その地は二段に整地され曲輪のようにも見える。大除城の出丸かなにかであったのだろうか?水場後のような窪地も確認できた。 |
愛媛県の城(伊予)
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「愛媛県今治市」 藤堂高虎が、伊予半国20万石の居城として築城した。三重の堀に海水を導入した大規模な平城。 藤堂氏の後は松山藩主松平(久松)定行の弟である松平(久松)定房が3万5千石で入城し、以後松平氏が代々世襲した。 今治城天守は存在したかの議論があるが、文献には藤堂氏が今治城天守を天下普請でで築城する京都「亀山城」へ移築したとの話もあり、京都亀山城天守に似せ今の天守はたてられたらしい。 今治城へは今治港を目指すと到着できる。城への入り口に有料であるが駐車場も確保できる。 |
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宇和島城は文禄の役の功により宇和郡7万石が藤堂高虎に与えられ、慶長元年(1596)新たに築城を開始したのが現存する遺構の基礎になっていると言われています。 その後伊達政宗の長男・宗秀が宇和島10万石を与えられ、明治まで続く。城山の植物は巨木や珍しい植物の宝庫となっています。訪問時は天候が悪かったこともあり、雨雲のかかっている写真になってしまったのが残念ですが・・・・・ 城跡には宇和島市街地からは天守閣が一望できるので迷わず到着できると思いますが、城山周辺では有料ですが駐車場が多数あります。市営駐車場は城山への登城口の目の前にあります。 |
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「所在地」愛媛県内子町城廻 城主は曽根氏。曽根城主の子孫のお宅には、「曽根城絵図」が残るという。 曽根城は内子ゴルフクラブの向かいの山になります。城山の麓は分譲住宅地となっており、城への登城口は山側に数件建つ家と家の間に山へと登る農道が見えます。その農道をあがっていくと「曽根城跡」の石碑が見えてきます。城跡は今は畑となっていますが、曲輪もおおきくは改変されていないように思えます。本丸奥には一段高くなったところがあり、今は朽ち果てた神社が建っていますが、城絵図には望楼が築かれていたらしい。 |
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愛媛県西条市上市(旧東予市) 市指定文化財 「現地案内板より」 城主は櫛部肥後守兼久で天正7年金子城主金子元宅に攻略され、天正8年に討ち死にする。 山城は海抜185mで曲輪、堀切、土塁等が残る。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 城跡への登城道であるが、名前を控え忘れたが山麓にあるお寺に駐車し(駐車スペースに案内看板あり)、境内を奥に進むと山へと続く山道がある。途中まではその山道で登城できるが、途中で途切れてしまう。途切れてからは山頂を目指しひたすら道なき山を山登りである。頂上付近から曲輪、堀切が確認できる。山頂部が本丸であるが、本丸には古いコンクリのタンクがあることから、どこか違う登山道があるのかもしれない。大きな堀切の遺構が特徴である。 |





