四国の城郭探訪

お城の写真と簡単な歴史紹介。

徳島県の城(阿波)

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徳島県:日和佐城

「所在地」:徳島県海部郡美波町前山
「形 式」:山城
「遺 構」:なし。模擬天守

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日和佐城模擬天守。天守は展望台を兼ねた野外センターとなっています。


「歴 史」
 天正初期(1570年代)にこの地の豪族の後裔、日和佐肥前守が長宗我部勢の侵攻を防ぐために、標高約60mのこの地に城を築いたとされる。
 資料により年代は異なるが、天正5年長宗我部氏の侵攻により城主日和佐肥前守は降伏した。
別の資料では天正3年に人質を出して降伏したとある。

「日和佐城訪問記」
 徳島県内には模擬天守が3城建てられているが、日和佐城はそのひとつである。
徳島県内では有名である四国88番札所のうちの23番薬王寺の門前町として栄え、今も薬王寺にはお遍路さんや観光客が多く訪れますし、この薬王寺は厄払いで有名なお寺で、私も最初の厄払いをお願いしに行った場所でもあります。
 札所からでもよく見える日和佐城は、お城としては城郭大系には石垣が残るとありますが、残念ながら現状では確認できません。多分、城山の開発に伴い消滅したんではないかと考えられますが、城のあった山頂付近は模擬天守やら、神社やら、駐車場やら道路やらにより、なんとなく(良い方に解釈して)城の構造の名残が感じられるような気もする場所もありますが、城を訪れてはの感想としては、模擬天守を近くを通る国道からではなく直近で見たとの印象しか得られなかった。
 石碑のみの城趾よりかはましかもしれませんが、模擬天守には魅力は感じません。ただ城趾から町内の見晴らしは良くここに城を構える戦略性は感じられる。

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日和佐城遠景。日和佐湾を望むこの城は町内からはよく見える場所にある。


「日和佐城への道しるべ」
 国道55号線から模擬天守はよく見えるが、日和佐駅の東の水産高校の横を通り日和佐湾を回り込む道が城山へと続く。山頂付近には駐車場が完備されています。

徳島県:日和佐御陣屋

「所在地」:徳島県海部郡美波町奥河内(美波町役場)
「形 式」:阿波藩地方行政役所
「遺 構」:土塀

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日和佐陣屋を示す石碑。


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日和佐陣屋見取り図。今は役場や学校敷地となり、従来の面影をイメージするのは難しいが、ある程度見取り図を見ながら昔の姿を想像するのは可能である。


「歴 史」
 阿波藩は、地方行政の役所として明和6年郡奉行と代官の名を改め郡代と唱え、阿波国内を6区割とした。徳島県南の那賀・海部が一区となり、三人の郡代はそこに常駐したが、時々管轄地を巡見するのが通例であった。
 海部郡代所は始め海部郡鞆の浦にあったが、文化4年(1807年)日和佐のこの地に移転された。
この日和佐御陣屋は以来明治初年に至る約60年間郡代役所の機能を果たし多事多難であった行政に有終の美を発揮したのである。

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日和佐御陣屋の歴史を記した案内看板。この案内看板の左側に見取り図が書かれている。


「日和佐御陣屋訪問記」
 江戸時代末期の地方行政役所の場は、今の余も地方行政を担っている。・・・
 日和佐御陣屋は現在の美波町役場の敷地と日和佐小学校の敷地にまたがってありました。お城巡りの途中、この陣屋の存在を知っていたので訪れてみたのですが、町の指定文化財として親切な案内板があり歴史については簡単に把握することができましたが、案内に書かれている的石の写真を撮ろうとしたが、役場玄関横に立てられており、さらに町長用のハイヤーが運転手付きで止まっていたので、運転手に変に誤解されると困るので近接撮影は諦めましたが、1枚目の写真の奥のハイヤーの奥にちょこっと写っています。初めからあまり期待はしていなかったのですが、やはり当時の土塀に残る○に卍の蜂須賀家家紋を見ると、そこだけはちょっとかっこよく思えたくらいです。

イメージ 4イメージ 5

土塀は当時の物で瓦には蜂須賀家の家紋「○に卍」が設けられている。


「日和佐御陣屋への道しるべ」
 国道55号線から日和佐町内に入る。役場への案内があるので役場を目指して下さい。

徳島県:西方城

「所在地」:徳島県阿南市長生町
「形 式」:山城
「遺 構」:曲輪、土塁

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西方城趾遠景。写真では見づらいが山頂付近には展望台が設けられている。


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西方城趾への登城路。登城路は整備されています。登山者用の駐車場が完備されておりますが、若干登山道より離れたところにありますから、注意書きにありますように路駐はせずに、駐車場への駐車をお願いします。


「歴 史」
 桑野城を本城とする東条氏は甲斐武田氏の出で天正年間信綱の時に桑野に来て八か村を領し永禄年間から天正年間東条関之兵衛の代に勢力を伸ばし、西方城には叔父東条紀伊守が拠っていた。
 そして牛岐城主新開遠江守としばしば戦を交えていた。
東条関之兵衛は阿波に侵攻してきた長宗我部元親と戦い、ついに敗れて元親の配下となった。このころ 関之兵衛は一時西方城に駐屯していたらしい。
 天正13年に豊臣秀吉勢が鳴門市に上陸し土佐勢の清討を開始した。長宗我部方で木津城(鳴門市)を守っていた東条関之兵衛は人質を残し木津城を明け渡し、土佐へ逃げたが責任を問われ元親により処刑された。
【城趾配備のパンフレットより抜粋】

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主郭の下の切岸。山頂付近は伐採され整備されています。写真の手前側が展望台になります。


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山頂付近の展望台には付近の位置関係を表す地図と、西方城の歴史が記載されたパネルが設置されています。(写真は拡大表示出来ます。)


「西方城訪問記」
 西方城とは全く関係ないお話・・・?
道路を走っていると交差点に普通に信号がありますが、この信号・・昔と違って随分明るくなり見やすくなりましたよね。これは昔は光源が電球だったのですが今は発光ダイオードが使われています。
 この発光ダイオード・・・青色の色が出せなくて開発に苦労し、開発者と会社との間で特許に対する対価の支払いで裁判になったなんてニュースをご記憶の方もおいでかもしれません・・・・・。

 この話・・西方城とは全く関係ないような話にも思えますが、実は関係が深くこの西方城のある西方山は日亜化学工業の所有地であり、この日亜化学というのが青色発光ダイオードの開発企業で、この日亜化学は駅前に発光ダイオードによるライトアップ提供とか積極的に地域貢献に尽力しており、この西方山にある城趾説明のパネルとか城趾に配備されているパンフレットなんかも日亜化学が設置しています。もしかしたら展望台も会社が設置したのかもしれません???
 また綺麗に整備された登山道は、訪問時に日亜化学の社員数名で掃除をされていましたのでこのような取り組みを肌で感じますと道路を走って見かける発光ダイオードタイプの信号機を見ると頭が下がる想いです?。

 さてお城の話ですが、遺構は山頂付近に見られ、主郭には一部土塁が取り巻いているのが残っています。日本城郭大系に掲載の城図では段々に曲輪が築かれていますが、展望台周辺しか整備されていないので、この曲輪群は確認できていませんし、主郭も竹藪化しており背後に進むのは藪がひどくて出来ていません。山頂までの登山道ですが整備はされていますが、いかんせん山頂までの登城に非常に体力の消耗が激しくて、探索できなかったと言うのが言い訳のような正解な様な・・・・・。

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西方城主郭「↑」「↓」。竹藪化しているが主郭を取り巻く土塁が残る。


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西方城展望台からの阿南市街を見る。展望台からの見晴らしはすばらしくこの城を押さえるのが戦略上非常に重要であったことがうかがえる。

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「西方城への道しるべ」
 国道55号線から県道24号線を南に入る。県道24号線との交差点(上中町)を過ぎ岡川を超え次の信号を川沿いに西に入る。すると山沿いに写真掲載の登山道が見えます。ただし道路が狭いので路駐はせずに手前の無料駐車場を利用下さい。

徳島県:海部城

「所在地」:徳島県海部郡海陽町鞆浦
「形 式」:山城
「遺 構」:石垣、土塁、堀切、曲輪

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海部城趾に建つ城趾石碑。実はこの石碑から城趾への登城路は伸びていない。ですからこの石碑を見かけても城趾が分からなかったと書かれている城サイトを見たことがあります。

イメージ 2


海部城趾に残る堀切。堀切は登城路を登ると最初に出迎えてくれる遺構であり、登城路の一部ともなっている。


「歴 史」
 海部城は元亀2年に海部友光によって築かれた。この地は阿波と土佐の境界付近であり、この城は土佐の長宗我部氏に対する押さえとして築かれたと考えられる。
 四国制覇を狙う長宗我部氏は大軍を率いて海部城に猛攻を浴びせ、海部城は落城した。
こうして阿波の前線が落ちたことで長宗我部氏による阿波攻めは一層激しい物となり、まもなく阿波は長宗我部氏の手に落ちた。
 しかしながら豊臣秀吉による四国征伐により長宗我部氏は土佐一国のみとなり、阿波は蜂須賀家が領することとなり、海部城は土佐の押さえとして重要視され、阿波9城(徳島城を本城とする支城群)の一つとして蜂須賀家の家老益田一政が7千石にて海部城番となった。
 しかしこの益田氏、2代目長行は海部城番の地位では満足できず、海部の分藩をめざし森林を無断で伐採し江戸に運び独立への賄賂資金とするなど藩の掟をおかしたことが藩主の知るところとなり、独立し大名を目指した長行の夢は正保3年(1646年)5月、刑場の露と消えた。
 海部城は一国一城令により1638年廃城となった。

イメージ 3


海部城趾に残る石垣。昭和に入って城山に建物が建てられた石垣も残るがこの石垣は古そうなので城の遺構と思われます。

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海部城主郭を取り巻く土塁。1m程度の高さの土塁が残っています。

「海部城訪問記」
 最近の記事のUPが香川県ばっかりだったように思われますので地元徳島県の城を・・・ 
海部城は土佐の押さえとして重要視され、蜂須賀家は徳島県内に徳島城を本城とし9城の支城網を整備した一つとして江戸初期まで城としての機能があったのですが、残念ながら現在遺構としては石垣が一部残る程度でありますが、土佐の押さえと良港である鞆の港も押さえる戦略的に非常に重要な城であった事は現在になってもうかがえられる。
 また昔、城はいざ戦となれば城下に住む住民も一緒に籠城し、住民を戦の戦禍から守る物でもあったと思うのですが、海部城は時代が変わった今でもこの地域の住民を守る性格は継続されています。
 四国の太平洋に面する海沿いは地震の津波で昔から被害をたびたび受けており、南海地震が近い将来起こるであろうと言われている中で、津波の避難所として指定されており、実は海沿いから上る登城ルートは津波時の避難ルートとして案内もあり、整備されております。 

イメージ 5


海部城に残る帯曲輪。津波時はこの曲輪跡に避難するようになるんですね。

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海部城趾に残る「森志摩の守」の墓。この森氏は阿波水軍の総帥として蜂須賀氏に重用された。お墓には海部城趾石碑横から登り口があります。

「海部城への道しるべ」
 国道55号線から海部川に架かるかかる新海部川橋の南側の交差点(海陽町海部支所前)を東に進み鞆浦漁港まで進む。(途中に海部城石碑が学校横に見えるがここから城趾への登城路はありません。)
 漁港の前に見える山が城山なのだが、漁港前から集落を山際手前まで進み左に突き当たりまで進むと津波避難所への案内のある階段が見えますから、その階段を上ると写真に見える堀切が出迎えてくれます
海部城趾

徳島県:上桜城

「所在地」:徳島県県吉野川市川島町上桜
「形 式」:山城
「遺 構」:本丸、郭、竪堀

イメージ 1

上桜城本丸には上桜城の石碑と上桜神社が鎮座する。


「歴 史」
 戦国時代の末期、勝瑞城主三好義賢に属する篠原長房がこの地に城を築いた。
勝瑞城主三好義賢は和泉久米田の戦いで戦死。篠原長房は当時8歳の義賢の長子長治を助け政治を行ったので領内は良く治まった。
 ところが義賢の妻「小少将」は悪女で勝瑞城で権威をふるい、篠原長房はいさめたがそれを知った小少将は激怒し、「長房に謀反あり」と長治に吹き込み兵7000人で上桜城を包囲、長房は良く戦ったが戦は長房側に好転せず、長房は城兵とともに打って出て城兵全員が玉砕した。
 両軍の死者は3千余人を数えたと言われる。この戦いを「川島合戦」という。

イメージ 2

上桜城本丸から見る二の丸、三の丸。


「上桜城訪問記」
 上桜城は山城であるが、徳島県史跡に指定されているからか 訪問時は下草が刈られ市街地の見晴らしも良くここに城を築いた意味合いがよく分かる要害であった。
 車で城趾案内看板までは到着でき、城趾案内看板の脇から主郭へ通ずる道もあり比較的容易に訪問できる城である。
 讒言によりここで大きな合戦があり城兵全員が玉砕する悲しい歴史の傍らで、上桜城のすぐ傍に温泉保養所があり癒しの里にもなっているのが時の流れを感じさせますね。

イメージ 3

上桜城三の丸から本丸方向を眺める。


イメージ 4

上桜城本丸から阿波9城の一つ「川島城」を眺める。模擬天守の左に見える茂みが川島城主要部である。


イメージ 5

上桜城本丸から西の丸を望む。西の丸も下草が刈られ見晴らしが良くなっている。


イメージ 6

上桜城趾への遊歩道路にある手水鉢。日本城郭大系に掲載の図によるとここから井戸への道があるみたいですが、藪で確認できませんでした。


イメージ 7

上桜城西の丸を防御する竪堀。竹藪となっていますが良く残っています。


イメージ 8

上桜城西の丸を防御する堀切跡。堀切はちょうど道路となり面影がありませんが日本城郭大系に掲載の堀切の図から想像すると現状に近い堀切が残っていたと考えられます。車なら路駐となりますがこの脇にスペースがあります。


「上桜城への道しるべ」
R192号線吉野川署東の交差点から県道43号を南に入り川島高校前〜上桜温泉の前を通り山に差し掛かると県道脇に脇道がありその脇道に上桜城への案内を示す道しるべが立っています。脇道を案内看板に従い進むと、上桜城西の丸脇に立つ城趾看板に到着します。
上桜城趾

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