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天霧城は、善通寺市、多度津町にまたがる雨霧山にある。城山の西側は大規模な採石場になり無惨な感じも受けられます。 城主は香川氏。雨霧城の歴史では四国平定を目指す長宗我部との戦の折、長宗我部軍は城の水が枯れるのを待つ作戦に出たが、籠城軍は水がまだあるように見せかけるために、白米で馬を洗ったり、白米を流してまだ水があるように見せかけたが、一人の尼が「城に水はなくあれは白米」と教えたので、たちまち長宗我部軍に攻められ落城した。それでその尼は後に香川軍に捕まり斬られたといい「尼斬城」とも言われる。 香川氏は讃岐では大きな勢力を持っており、城跡も広大である。 雨霧城には四国71番札所「弥谷寺」から登城口がある。参道の途中から城山への登城口があるが、参道途中はきつい階段を上ることになる。弥谷寺への参道の途中には香川氏歴代のお墓が安置されている。駐車場は「道の駅 みの」に駐車できる。 |
香川県の城(讃岐)
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雨滝城 さぬき市大川町(雨滝山山頂) 雨滝城は標高253mの雨滝山の頂上にある。 昭和45年に発掘調査が町の教育委員会にて行われ、礎石や陶磁器、明銭等が出土した。 現地案内看板より抜粋 長禄年間(1458頃)安富山城守盛長が城を構え、以来盛正、盛方、盛定と続いき天正11年(1583)長宗我部元親勢の侵攻にあって降伏落城した。 雨滝城には県道133号線を走ると「柴谷隧道」があるが、隧道から雨滝山頂上を目指す道がある。 道を走ると路肩が広がった場所があるが、そこから頂上に向かっての階段がある。 階段以降は主郭までは歩道がある。 |
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香川県東かがわ市 引田城は標高82mの城山にあります。 徳島県と香川県の県境付近にあり戦略上重要拠点であったことから、いくつもの争奪戦があり、天正15年に生駒親正が讃岐17万6千石で入城したが、東にありすぎるとのことで高松城を築いた。 遺構は石垣が確認できる。 登城口は引田港を右にみながら道なりに進むと城山の麓で自然に左に道が曲がるので少し進むと、登山口に引田城の案内看板があります。 |
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観音寺市室本町江甫山 蓮光院というお寺の駐車場を利用しました。駐車場には「史跡 九十九城址」を記された立派な石碑があります。お寺から登山道有り。登山道の途中にはお地蔵さんをあちこちに配しはミニ88箇所巡りのコースがあります。さらには「山頂まで○○mガンバッテ」と激励看板があります。お城訪問と88箇所巡りが両方堪能できます? 遺構は土塁や石垣の一部が確認できる。本丸まで登山道は比較的整備されている。 細川氏が城主。天正六年(1578)、四国平定を目指す土佐長宗我部氏の軍勢によって攻略され落城。 |
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香川県高松市西植田町 植田氏の一族である神内氏が城主。神内城は2城あり神内右京ノ進豊之が西植田にある神内城から高松市木太町(木太南小学校が城跡)へ居城を移した。写真は西植田の神内城の写真です。 西植田の神内城には神内池の南にあるため池が目印であるが、そのため池辺には「谷中合祀神社」がある。神社といっても鳥居が目印にはなるが建物はない。(水神様か???) その鳥居のあるため池奥の山肌に墓が見える。お墓を起点に右奥側に行くと城主であった神内家と関係があるだろう墓地がある。 城跡にはお墓を起点に左に道無きところを奥に進むと城跡に到達する。 |







