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「所在地」:香川県三豊市高瀬町上麻 「形 式」:山城 「遺 構」:削平地、堀切、土塁、城趾石碑。 「歴 史」
城主は近藤出羽守国久。 国久獅子ケ鼻城主大平伊賀守国祐の弟で、ともに天霧城主香川氏に属していた。 天正6年土佐の長宗我部元親が讃岐に進行した折、麻城は落城。国久も討ち死にした。 国久は谷に落ち命を絶った伝承があり、その谷は「おじが谷(横死ケ谷)と呼ばれている。 「麻城訪問記」
新年最初の記事UPとなります。 昨年はたいした更新もなく、訪問してもコメントもなかなか出来ずにおりましたが、今年は更新頻度もコメントももう少し上げたいな・・・と思っております。(う〜ん厳しいか・・・ホント(●´・△・`)はぁ〜 ) さて有言実行となるか・・・・本年もよろしくお願いいたします。 さて、2009年第1号記事は香川県麻城ですが、この城は旧高瀬町指定の史跡で曲輪部は下草が刈られ、登城路も整備されており、城趾の案内図や簡単な歴史を紹介する案内看板もあり初心者向けの城趾って感じです。 馬の背状の城山の最高所(168m)に主郭を配置し段下りに6つの曲輪を配置し、前後に外郭部と出郭が配置された山城です。 階段状に配置された曲輪は主郭以外はそれほど大きくなく、大軍で籠城できる城ではないな・・って感じですが、麓から見る城山は比較的険峻ですが、それよりも山峡の中の城なので、攻め側は狭い谷を通って軍を率いて来ることになるので、谷をいかに押さえるかが戦略上重要に需要になってくる城である。 きちんと調べていないのでの訪問だったので、、城主国久が谷に自らの身を投げたと伝承される横死ケ谷がわからなかったのがちょっと残念です。 「麻城への道しるべ」
県道23号。「良心市たかせ」前に麻城をしめす道しるべが設置されています。道路には案内看板が設置されており道しるべに沿って進めば城趾に到着できます。舗装された道路ですが途中から狭いので、軽自動車なら城趾まで直接向かうことは可能ですが、普通車なら途中の路肩に駐車しての訪問となります。 詳しい地図で見る |
香川県の城(讃岐)
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「所在地」:香川県木田郡三木町大字上高岡(善光寺) 「形 式」:平城 「遺 構」:なし。城主菩提寺 「歴 史」
城主は安西氏。 安西氏の遠祖は信濃の諏訪氏で、文明元年(1469年)諏訪左近がこの地に来て、安西左近忠澄と名乗った。安西氏は菩提寺として信濃の善光寺にあやかり「善光寺」を建立し菩提寺としたり、一族の守護神として信濃より「諏訪神社」を歓請した。 安西氏は、生駒家に仕えるが、生駒家断絶後は一時浪士となるもその後の松平家に郷侍(禄は10石その後20石)として仕えた。 「三条城訪問記」
三条城を訪問するのに目印として、善光寺が目印になるので畑の中であるがわかりやすいだろうと楽観して訪問したのであるが、この「善光寺」が全く見あたらない。 地図で確認してこの付近であるという場所に来てもお寺らしき建物はなく住宅があるだけで、安西氏が歓請した「諏訪神社」も場所が解ったのに、お寺が見つからない・・・・・ とにかく周辺をグルグルしても見つからない。廃寺になったのだろうかと思っているところで、高台に気になる古い家があったので見てみると墓地らしき物が見える・・・・もしやと思い古い家を訪れてみると実は家だと思っていた建物が「善光寺」で墓地は安西氏の墓所で、敷地には安西氏の歴史を示す石碑も建立されていた。 城跡の場所は、はっきり言い伝わる物はないが三条荒神社周辺に所在していたと言われるが、その場所は背後の山からの裾の先端で、周囲からは一段高くなっている。 「三条城への道しるべ」
三条城は解りにくいので、善光寺の場所を説明。 三木町氷上付近で県道279号線上高岡交差点を南に進む。2個目の四つ角を左折する。(道路に香川用水が沿って通っている。畑の中の道をしばらく走ると右に一段高い台地に古い家に見えるがそれが善光寺である。 |
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「所在地」:香川県仲多度郡まんのう町長尾 「形 式」:山城 「遺 構」:曲輪・櫓台 「歴 史」
応安元年(1363年)北朝方の海崎元高が入城して長尾大隅守と称してから、8代約220年間の居城であった。 長尾氏は細川管領家の家臣として応仁の乱や畿内の戦いにも出陣した。 天正7年(1579)4月長尾高親は長宗我部元親と戦って敗れた。元親は西長尾城を補強して国吉甚左衛門を将とする土佐軍を入れ、長尾氏の将兵を先陣として東讃に進入してこれを征服した。 天正13年(1585)6月元親はこの城に伊予と讃岐の大軍を集めて豊臣軍を迎え撃とうとしたが、阿波での戦いに敗れて秀吉に降伏し、西長尾城は廃城となった。 「現地案内看板より」 「西長尾城訪問記」
西長尾城のあるまんのう町はレオマワールドという遊園地のある街で、遊園地は城山の麓に設けられており、城に向かう途中では家族連れの車と多数すれちがったが、こちらは家族サービスよりも一人山城攻めなのでちょっと肩身が狭い想いもしたが・・・・・・・・ よく利用する道沿いにあり、以前から麓からでもはっきり解る主郭の削平地が魅力的で早く登城したかった城ではあったのだが、登ってみてまず主郭からの見晴らしの良さに思わずシャッターを切った。 主郭は井戸があると日本城郭大系にあったので探してみたが、先客の登山者がいて井戸を探し回る姿は不審者だっただろうが見つからず、日本城郭大系に記載のある井戸跡はどうも埋められているみたいだった。 山頂部分から尾根伝いに曲輪跡が確認でき、櫓台と言われる高台も確認できたが、尾根を通る林道があり、その整備のためにかなり尾根部分は改変されているみたいで、土橋や土塁は確認できなかった。 時間もあったので林道を歩いて隣の猫山も登ってみたが、これは図に乗りすぎで近そうに見えて非常に遠く、体力を消耗しすぎてこの後もう1城予定していたのだが諦めて帰りましたよ。 「西長尾城への道しるべ」
国道32号と国道438線の交差点(岡田交差点)を南に進む。しばらく走るとレオマワールド入り口の看板のある信号があるので、レオマワールド側に進む。 遊園地の敷地が近づいてくると右にセメント舗装された山に進む道があるがこれが登城路で、途中は緑地公園などがあるが、訪問時は冬期のためか閉鎖中で、入り口もチェーンで車進入禁止になっている。 これが解除されたとすれば、車で9合目くらいまで進める。この車道が尾根まで続き林道となる。 車道の途中に城の案内看板がありそこからは歩きで登城となるが、林道まで進めば櫓台まで車で行ける。 |
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「所在地」:香川県高松市西山崎町 「形 式」:平城 「遺 構」:曲輪 「歴 史」
北岡城は秦久利(はたのくり)の居城である。 秦久利は、菅原道真公によく仕え、菅公も文学の才に秀でた秦久利を愛し親交があった。 秦久利は老いて一女のみであったので、菅公の族子をもらい後継ぎとし、久利長門守といった。 その後この地方を統治し香西氏に仕えた。戦国時代に土佐の長宗我部軍に攻められ、よく戦ったが敗れて下野した。 「現地案内看板より」 「北岡城訪問記」
北岡城は果樹園となり、当時の遺構を探してみたが確認することは出来ず、現地の案内看板で菅原道真公までさかのぼる歴史の深さに感慨深いものを思えた程度である。近隣には神社が多々あったり、菅原道真公が腰掛けたと言われる岩があったりした程度である。 「北岡城への道しるべ」
国道32号線を高松方面から南下し、西山崎町の交差点を右折し、しばらく走ると綱敷神社の鳥居が道に面して見えるので、その鳥居の下の道を山の方面に進み、神社の手前の突き当たり左折。しばらく走ると左に畑の中に降りる細い車が通れる農道があるので、その道を進むと城趾。 |



