四国の城郭探訪

お城の写真と簡単な歴史紹介。

香川県の城(讃岐)

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香川県:大井城

「所在地」:香川県さぬき市大川町大井
「形 式」:平城(居館)
「遺 構」:なし

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「↑」大井城趾内と想定される敷地にある祠。城神社かととも思うが、確信はありません。

「歴 史」
城主は富田左近太夫光輝で、雨滝城主安富氏に仕えたといわれる。
のち富田氏から津田家が分家し、近年まで大井城趾に屋敷があった。

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「↑」大井城趾内の西側の堀跡と思われる場所の現状。

「大井城趾訪問記」
大井城は現在一面の水田や一部住宅地となり、遺構は残っていない。ただ以前は外堀として利用しただろう津田川が城趾の横を流れ、資料では城主居館と家老屋敷が南北に並んで、居館の周囲には幅7mの堀がコ型に巡っていたらしいが、水田となったとはいえ地形からなんとか城趾を推測することは可能である。

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「↑」大井城趾内の東側の堀跡と思われる場所の現状。

「大井城趾への道しるべ」
大井城趾へは香川県道10号線と140号の交差点(交差点周辺には富田小学校あり)を北に(140号)道なりに進むと津田川に架かる橋まで到達する。その橋が大井橋であり橋の東側が城趾である。
大井城趾

香川県:東川城

「所在地」:香川県木田郡三木町田中朝倉字吉谷
「形 式」:山城
「遺 構」:城趾石碑

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「↑」東川城趾に設置されている城趾石碑

「歴 史」

植田城主植田氏の出城と言われている。詳細は不明である。

「東川城趾訪問記」
東川城は出城と言われており、規模的にはそれほど大きな物とは考えられないが、城趾は県道により切り通しになっており規模を推測するのは難しい。
城趾は「稲荷神社」となっており山頂に小さな削平地が残るがこの削平地も城の遺構かは確認できない。
先にUPした爺神山城と同じで破壊された?城趾連続掲載になってしまっているような・・・・

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「↑」東川城趾周辺写真。県道整備により山は切り取られ切り通しとなっている。

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「↑」東川城趾にある稲荷神社。小さな削平地が残るが遺構規模は不明である。

「東川城への道しるべ」
東川城趾へは高松グランドカントリークラブの西側の山麓を通る県道42号線沿いにある。
東川城趾

香川県:爺神山城

「所在地」:香川県三豊市高瀬町比地中
「形 式」:山城
「遺 構」:なし

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爺神山城のある爺神山の遠景。採石による破壊が痛々しい

「歴 史」

城主は詫間氏。詫間城主海崎氏の取り立てによって、この地方周辺の知行地を賜った。天正年間長宗我部氏による讃岐侵攻の際、急襲を受け詫間氏は滅亡した。


爺神山城訪問記

爺神山城は爺神山(標高226,6m)山頂にある。城趾の現状は日本城郭大系には五段の削平地が残るとあるが、現状は採石により山頂まで破壊されている。山頂からの見晴らしは良く、この地方を治めるのには
都合がよいのがわかるが、重ね重ね破壊が残念である。

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「↑」「↓」爺神山城山頂付近の現状。山頂まで破壊が進んでいる。

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「↓」爺神山山頂付近にある龍神の石碑。自然の岩盤がこの付近は剥き出しになっている。

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爺神山城への道しるべ
爺神山城へは、JR高瀬駅の西側からまっすぐ山を目指して進み突き当たりを左折。爺神山の山裾付近をぐるり半周近くする道をしばらく進むと、お寺とその付近に駐車スペースがあり、そこから登山道が山頂まで延びる。ただ山頂まで登っても遺構が無いので苦労が報われない。
爺神山城趾

香川県:高丸城

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「所在地」:香川県観音寺市観音寺町(一心寺)
「形 式」:平城
「遺 構」:城門
「歴 史」:雨霧城香川信景の弟「景全」が城主であったとされる。長宗我部氏と香川氏の和睦により、長宗我部氏の臣下となったが、豊臣秀吉による四国征伐により長宗我部氏の高知一国への退転により廃城となったとされる。

「訪問記」:一心寺が城跡であるので地図上での場所の確認は簡単であったが、実際は周辺が住宅街となっており、また周辺道路も狭いので場所への到着には車の駐車場の確保も含め難しかった。
現存とされる城門は大きさからしても意外と立派である。一心寺が江戸時代寛政期に火災に遭っているため、その時の再建かもしれないとの疑問も生まれるが、歴史の醍醐味として現存とする資料を信用したい。

「高丸城への道しるべ」
高丸城跡

香川県:石田城

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「所在地」:香川県さぬき市寒川町石田西(光明寺)
「形 式」:城館
「遺 構」郭、空堀

「歴 史」資料によると石田城主細川則弘は天正10年8月土佐の長宗我部元親の東讃進行の気配を察知し近隣の兵を募り城を固めたとある。
天正11年に長宗我部元親軍に攻められ落城した。

「訪問記」:石田城本丸は現在光明寺の本殿付近といわれる。本殿を正面から見ると本殿へのアプローチは城郭時代の名残のようにも思える。石田城の南は竹藪化しているが、資料によると空堀があるとあったが、それと思える凹みはあったが明確に遺構と確認できる形ではなかった。
本殿の北側にも空堀と思える遺構が確認できる。本堂北の空堀を隔てて県道10号線沿いに曲輪跡らしき削平地が確認できる。

「石田城への道しるべ」
石田城跡

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