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所在地:香川県さぬき市大川町田面(豊田神社境内) 形 式:陣城 遺 構:削平地 歴 史:土佐の長曽我部氏が雨滝城を攻略する際に陣営となったところと伝わる。 陣城と伝わっているが、神社境内もそれほど広くもない。神社境内は少し高台になっているのでその高台を利用したと考えられるが、それほど要害でもないが陣城の性格としては要害で守るのではなく、陣を張ることで守るのと陣を動かしやすい地形を選んだと考えられる。 大槲城には県道10号線を「道の駅みろく」から東に向けて走り、県道10号と県道133号が交差する信号のある交差点付近(進行方向右側)に豊田神社がある。 |
香川県の城(讃岐)
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「所在地」:香川県高松市鬼無町(勝賀山山頂) 「形 式」:山城 「遺 構」:曲輪、堀切、土塁 「歴 史」
中世の讃岐国の豪族香西氏は阿野・香川郡など中讃を本拠として18代360余年にわたり栄え、その間山麓の佐料に居館を構え天険の地勝賀山頂に勝賀城を築き要害城としていた。 この城跡は山頂のほぼ平坦地に土塁を主体とする食い違い虎口、郭、堀切などの様子をよく残しその保存状態も良好であり豪族香西氏の城郭遺構の中でも代表的なものであるとともに中世山城の研究にとっても貴重な史跡である。 「現地説明版より」 讃岐の名門香西氏は、保安元年に讃岐の国司となった藤原家成と綾大領貞宣の娘との間に生まれた章隆を祖とするという。章隆の後裔に広資が出て香西右兵衛尉と名乗り、広資の弟資村が戦国時代に活躍する香西氏の始めとなった。資村は承久の変では鎌倉幕府のために戦い、その功によって香川・阿野郡を支配することになったという。そして、勝賀山に城を築き、東山麓の佐料に居館をつくって海陸ににらみをきかせながら発展していった。 資村のあと中世を通じて威勢を伸長した香西氏は、南北朝期の足利尊氏挙兵後、他の讃岐国人同様に足利方の細川氏に付き、その後讃岐守護となった細川氏との結び付きを強めて行った。 『南海通記』によれば、香西氏のほか、香川氏・安富氏・奈良氏の四人が「細川四天王」と呼ばれ、細川氏にとっても讃岐は重要な勢力基盤とあって香西氏は細川家内で重きをなし、元資の長男元直は常に京都にあって細川勝元を補佐した。このため、讃岐の香西氏は元直の弟元綱が相続し、元直を上香西氏とよび、元綱系は下香西氏とよばれた。元直の子元長は、細川政元の助力を得、明応六年(1497)には山城守護代となった。 このように勢力を伸ばした香西氏であったが、他の豪族と同様に天正期に長宗我部氏の侵攻を受けるにあたり大軍を動かせない山城勝賀城から、大軍を動かし安い藤尾城に本城を移し長宗我部軍を迎え撃つも、落城寸前に和睦、天正13年には豊臣秀吉の四国征伐の結果、盲目の若き武将18代香西佳清は野に下った。 「勝賀城訪問記」
勝賀城は讃岐の細川四天王の一人香西氏の本城として栄えた城であるが、中世の小豪族の城とは違い、香川の中ではかなり大きな城域を持った城であった。 山頂からは瀬戸内海が見渡せ、山頂から北側に下った位置には俗称三の丸と言われる削平地がありこの削平地からは海方向しか見えないこともあり、香西氏が瀬戸内海の制海権をかなり意識していたことが想像される。 遺構面では城址は昭和50年代に発掘調査が行われており、それによってであろうがかなり明確な遺構が確認できる。特に主郭には二つの食い違い虎口が確認された。主郭には井戸と思われる窪地も見られたが、日本城郭体系には水の手の位置としては多少疑問が残るとある。 主要部の曲輪群から堀切を超え尾根に沿って平地を進むと、主要部と違い削平があまいが階段状に配置された曲輪群確認できる。これは主要部を守る外郭部と言えると考えるが、防御綿が薄く単調な感が感じられるが、一部は土塁で防御され、これは主要部から北東に延びる尾根の防御にメリハリを付けるためであろうと考えられる。 細川四天王の一人として付近の豪族を押さえこの地域に君臨した香西氏。瀬戸内海の海賊にも影響を与え、京にも名をはせた香西一族の反映を感じられる城である。 「勝賀城への道しるべ」登城口は何カ所かあるみたいであるが、簡単なのは県道33号線からのアクセスであるが、県道沿いに勝賀城登城口の案内看板がある。各ポイントにも案内看板があるので道には迷わないと思う。登山道は農道であるが小型車であれば走行は可能である。車で7〜8合目近くまでは上がれる感じになる。あとは山道を徒歩である。農道には駐車場はないので道路脇への路駐になる。
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所在地:香川県さぬき市大川町富田中 形 式:平山城 遺 構:曲輪 歴 史:四国最大の古墳である富田茶臼山古墳に築かれた城である。ただ古墳頂部を利用した城とみれば、城としてはいかにも狭いと感じる。 城主は寒川氏とされている。 茶臼山城には県道10号線沿いの「道の駅みろく」の北に古墳がある。車は道の駅に駐車できる。 |
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所在地:香川県善通寺市中村町宮東 形 式:平城 遺 構:土塁、堀跡 歴 史:「現地案内看板より抜粋」 仲村城は元暦(平安後期)源氏に属していた行司貞房の居城であったと「讃州府誌」に記されています。鎌倉時代になると、この群司の館は堀を深く、土塁を高くして2町4方の平城に整備されまし た。昔はこの付近の中心的な存在でしたが、戦国時代に甲山城が築かれると廃城となりました。 城の遺構としては城域の多くは田畑化していますが、土塁の一部と土塁に沿って水路と化しているが、内堀跡と思われる遺構が確認できる。城域の一部に香川氏の祖鎌倉権五郎政景を祭る政景神社が鎮座する。 城跡には県道212号から宮東上公民館の狭い市道を入る。畑の中に竹林化した土塁とこんもり木の茂った場所が政景神社である。 |
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所在地: 香川県さぬき市造田乙井(諏訪神社境内) 乙井城跡には現在諏訪神社が建てられている。 神社本殿には諏訪古墳もあります。 城の遺構は神社の本殿が一段高くなっており、その部分が主郭とおもわれ、神社鳥居から本殿までは比較的まっすぐな削平地となっており曲輪跡と思われます。その脇の竹藪内には帯曲輪らしき削平地あり。 乙井城主は、四宮氏。 乙井城跡は諏訪神社境内である。県道37号線と141号線との交差点から西に見えるこんもりした山が神社(乙井城趾)である。神社鳥居周辺までは車での乗り入れが可能。 |


