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共通感覚は、現代世界を生きる鍵と思えます。
意見が食い違うよりも、おたがい何を伝えているか、
そのこと自体がわからない。
というか、隣接しながら、まるで違う「宇宙」に居る者同士のごとく、
コミュニケーション自体がなりたっていない、それは
これほどメディアが発達しながら、コミュニケーション
自体が成り立ちにくいというパラドクスに満ちた現代社会
への問題提起におもえるからです。
 
ちなみに余談。
小惑星のひとつに、ハンナアーレント
100027hannaharendtと命名された星があります。
NASAのウエブサイトを見て下さい。
小惑星アーレントの軌道を動画で見ることができます。
 
このサイトに表示される惑星軌道をみると、
アーレントは火星と木星の間を大きく楕円を描きながら、太陽系の中を周回していま
す。
 
さらに惑星軌道の日時計算によると、2045328日頃に、
火星、金星、太陽、水星、地球、そして小惑星アーレントの
順に、それぞれの惑星がほぼ一直線の関係になります。
そしてこのとき、地球とアーレントは対面することになるのです。
ちなみに2045年といえば、アーレントの人生に影響を与えた
ナチスドイツ降伏からちょうど100年目。
 
『人間の条件』の冒頭でアーレントは、人間が宇宙に進出する意義を問うた。
2045年、アーレントは、外惑星から地球の人間の姿を、果たしてどのように眺めるの
でしょうか。
われわれは同じ宇宙の中に居るのです。

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アメリカへ(8月25日)

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Sea−Tac Airport (シアトル空港)

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2009年7月16日 最終
国「際(・)」文化論
構造的暴力 文化的暴力 映像 無自覚から自覚へ 異文化を繋ぐ


1.国際文化論とは何だったのか

・映画分析を通じて、それが映し出す社会を分析
なぜ映画なのか →「映画は人間の精神をあらわにする」(F・ラング)
時代や社会の精神をも映し出す。国際文化論で取り上げた映像が映し出したものとは・・
・「構造的暴力」「文化的暴力」
「20世紀を20世紀たらしめ、21世紀にも引き継がれている」問題として。

2.構造的暴力と文化的暴力

・構造的暴力や文化的暴力の責任所在について、無自覚から自覚に至ること。
メディアはそのために大きな役割を果たしている。ただし、その自覚の深さは、我々がメディアにどのように接し、どのように読み解くかにかかっている。
・構造的暴力とは:搾取の構造として
マルクスの時代から論じられてきた、古くて新しい問題
フリッツ・ラングが「メトロポリス」で予言的に描いた世界。
・「メトロポリス」が現在に問いかけるもの
→ 資本主義において、「労働者は、労働のプロセスにそもそも含まれていた知的な可能性から疎外される」(マルクス)
・労働が、各個人の人間性を分断し、部品に還元するプロセスになってしまっている。
・一方、F・ラングの時代と現代の相違点とは?
「誰もが構造的暴力の被害者であり、また同時に加害者であるかもしれない」。
→ケン・ローチ監督作品「この自由な世界で」において提起された問題。
単純な善悪二元論で「解決」不可能な問題構造。
・自らが構造的暴力に加担しているという認識を持てないようにする文化のありよう
=「文化的暴力」 結果的に暴力の正当化・延命に繋がる文化のあり方
暴力に加担する主体の責任の所在を曖昧・隠蔽するメディアのありよう。
・オムニバス映画「セプテンバー11」(2002年)におけるイニャリトゥの作品のメッセージ
Does God’s light guide us or blind us?
→メディアの隠喩としての“God’s light”? 暴力の責任所在から目を逸らす媒体の働き。
メディアをそうした方向性に向かわせる主体とは?
・あるいは、メディアには別の可能性?
構造的暴力の転換の可能性の条件とは。「無自覚から自覚へ」
問題(=構造的暴力)の自覚の為の媒体としてメディアを把捉する事の意味。
その為に国際文化論で行なってきたこととは。

3.文化的暴力と異文化表象

・構造的暴力のもう一つの帰結 人間の関係性の分断。
搾取を可能ならしめる条件として。
・構造的暴力は、人間性の分断の上に成立する。→ 植民地主義における分断統治。
・搾取を実行する主体は、何によって人間の関係性を分断するか。
→「民族」や「文化」の「違い」を理由にした分断 → 異文化表象の問題に関わる。
・異文化に対し暴力を行使する為に、当該文化を非人間的に表象すること。
この場合、表象自体が暴力(構造的暴力を正当化するという意味で)=文化的暴力
暴力と一体化した異文化表象が問題である(単なる「ステレオタイプ」ではなく)
・メディアにおいて無自覚に流され続ける暴力と一体化した異文化表象
・暴力としての無自覚性。
・文化的暴力の問題性に対し、いかに自覚的であり続けるか。

4.結論

・国「際」文化論:「分断」の文化から「繋ぐ」文化へ

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12月19日、ZONE勉強会がひらかれました。発表者の渡辺さんによる報告要旨を以下に引用します。

−−−(以下、報告要旨)−−−−−−−−−−−−−−−−−

「フリーダ・カーロとメキシコの壁画運動」

メキシコの女性画家フリーダ・カーロについて。彼女は自画像作品を多く残している。特に生死をさ迷う大事故や流産、夫ディエゴの浮気など身に降り注いだ自身の悲しみを作品において表している。そして彼女の作品では血が流されているものが多い。つまり、彼女の絵は感情の表現方法のひとつであり、その中で血を多様することで観る者の心を掴むのだ。それは痛みを見ることによる同情心ではなく、痛みの共感である。観衆自身の悲しみとの共有が成されるのだ。「こんなことってあるよね」という気持ちにさせてくれるのが彼女の絵の特徴である。壁画運動が廃れてしまった現在でもフリーダは多くの人に愛されている。それはメキシコ壁画運動で活躍し、大きな運動を作り上げた夫ディエゴとは対照的である。


1920年代から始まったメキシコ壁画運動はメキシコ革命と連動して起こっている。これは革命の成果として勝ち取った国民による国民のための公共事業である。屋外に設置することで大衆参加を可能にし、さらに識字率の低かったメキシコにおいて万人がメキシコの歴史を理解することでメキシコ人としてのアイデンティティを取り戻す役割があった。
この社会運動を通して現代芸術の精神が見えてくる。それは常に新しいものを求める姿勢であり、壁画運動に関しては、メキシコ革命を通して獲得した「伝統的文化を持つメキシコ人」という意識が壁画運動によって普及、定着化されたといえる。

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オバマ氏が新大統領に選出され、ブッシュ政権が終焉を迎え、改めてこの8年が何であったか
考えさせられる。とくに9・11。
国際関係学部の教室で学生と接していて、なぜこの学部を選んだのかを聞くと、
「9・11を機会に国際社会とか平和について本気で考えさせられた」という答えが多かった。
様々な意味で、9・11というのは人生に深く刻印された出来事であったのだ。

そして今、もうひとつ考えさせられるのは、われわれのイスラム理解、
あるいはイスラムに対するイメージがどのように形作られてきたか、ということだ。
それは、やはりメディアのイスラム表象という問題を避けて通ることはできない。

村上由見子『ハリウッド100年のアラブ』(朝日新聞社、2007)は、
ハリウッド映画の世界において、イスラムに対するステレオタイプが
どのように形成されてきたかを鮮やかな手腕で解剖していく。

本書の意義は「100年」とタイトルにもあるように、映画の黎明期にまで
さかのぼって、その時々のアメリカの国際社会における位置づけ、
外交政策とかかわりながら、イスラム・イメージが歴史のなかで
形成されてきたことを具体的に跡付けた点だろう。

我々の世界認識に、映画(をはじめとするメディア)がどのようにかかわっているか
というテーマの重要性は、強調してもし過ぎることはない。そのスタンスから、
僕は講義でよく映画をとりあげる。

しかし、こうした問題意識は、最初なかなか伝わらないことがある。
国際関係の授業で、異文化理解に関する授業でハリウッド映画をとりあげたとき、
学生からは「なぜ授業で映画を取り上げるのか」「映画はあくまでエンターテイメントであり、
学問の対象になるとは思えない」といった反応が寄せられたことを思い出す。
しかし村上さんのこの本をテクストのひとつとして用い、実際に映像分析をおこなうことで
その意図はようやく伝わったようだった。

映画は総合芸術であり、人びとの世界認識をダイレクトに反映しているメディアとおもう。
そうした媒体に内在する世界認識をどこまで相対化できるか、今後ますます重要となるだろう。



参考:本書の内容

1 聖書世界とアラブ/イスラム
2 アラビアン・ナイトの世界
3 十字軍の幻想
4 アラブの目覚めと「ロレンス伝説」
5 『シーク』狂騒
6 征伐されるアラブ人
7 テロリストたちの肖像
8 映画のような「戦争」と「テロ」

定価:¥1,400+税

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