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あなたは、あなたにとって本当に大切な相手を喜ばせようとしていますか。
あなたは、目の前の相手の顔色を伺っているだけになっていませんか。
とりあえず目の前の相手を喜ばせることで、自分をごまかしていませんか。
親の喜ぶ顔を見たいという思いだけで、お手伝いを頑張っている子どもがいます。
しかし、お手伝いの本当の目的は親が楽をするためのものではありません。
ある生徒は、親や先生からの良い評価がほしいので反抗しないで頑張っています。
しかし反抗しないために、影でやっている悪事を開示できないで悩んでいます。
上司からの高い評価がほしいためだけに売り上げ成績を上げる営業担当者がいます。
しかし、本来売り上げを上げることは上司からの評価獲得が目的でしょうか。
株主の顔色を伺って、利益増大だけが目的になってしまった大企業もあります。
だからと言って、子どもに悪影響を与える商材で利益を上げても良いのでしょうか。
「目的」は心の底にある「理念」や「大義」に照らし合わせて設定しなければなりません。
先ずは「理念」や「大義」から出発することで、本当に大切な相手を喜ばせたいものです。
あなたは「理念」や「大義」を大切にしていますか。
あなたや家族の行動を、もう一度「理念」や「大義」に照らし合わせてみませんか。
《以下、広辞苑より一部抜粋》
【理念】りねん
・カントは世界・神・霊魂など経験を超えた対象を先験的理念または純粋理性概念と呼び、
理論的認識の対象とはならないが認識の限界や目標を定める規制的原理としての意義を認めた。
・俗に、事業・計画などの根底にある根本的な考え方。
【大義】たいぎ
・重要な意義。大切な意味。人のふみ行うべき重大な道義。 |
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私は「天才画家」の描く絵を観に行ったのですが、大きな勘違いをしていました。
私は今まで、「ゴッホは類稀なる才能を持ってこの世に生を受け、絵を描き続けて
精神的に衰弱し、自殺した天才画家」だという認識を持っていましたが違いました。
彼は20代で本格的に画家を目指したときには、素描を書き続けるという「訓練」を続けたのです。
例えば「穴を掘る人」という題材の同じ描画を何度も書いたり、著名な画家の絵を模した描画を
何枚も何枚も書いて「訓練」を続け、そこから少しづつ自分のスタイルを築いていったようです。
夢や希望に近づきたいならば、地味で地道な「訓練」を必死に続けることが必要だと知りました。
何事もアタマで「わかっている」だけではダメです。
カラダに染み込ませるための「訓練」が必要なのです。
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あなたは常に「強く生きなければならない」と思っていませんか。
そのとおりです。
人間は強く生きなければならないのです。
しかし、人間が強く生きるということは、誰もいないジャングルを独りで生き延びる
ということではなく、“社会”の様々な人間関係の中で強く生き続けるということです。
そのためには、自分の弱さをさらけ出せる人格を持つことが大切です。
自分の弱さを人にさらけ出すには大変な勇気が必要かもしれません。
中には、あなたの弱さにつけ込んで攻撃をしかけようとする人もいるでしょう。
しかしその反対に、互いに心の弱さをさらけ出し合えるような仲間もできます。
そういう仲間ができたとき、人間は益々強く生きられるようになるのです。
注意する点は、「心の弱さをさらけ出す」ことと「依存する」こととは別です。
「相手に心の弱さをさらけ出せる」ことはあなたの強みとなりますが、
「相手に依存心を持つこと」は逆にあなたの弱さを助長していきます。
周りの人に依存するためではなく、あなたが自分で前に進むために、
勇気を持って心の弱さをさらけ出して語ってみましょう。
あなた自身の弱さをさらけ出す強さを。
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日本には古来、武道、茶道、華道など伝統的な「道」では、
その「道」を極めるための「守・破・離」という考え方があります。
師の教えをしっかりと守り、身につけることを「守」。
その教えを基に、自分に合った流儀に変革することを「破」。
やがて自分の流儀を確立し、師の教えから離れることを「離」といいます。
多くの人はひとつの事を習得した途端に慢心し、堕落し、防衛に力を注ごうとします。
しかし、個人であれ組織であれ、常に「変革」を続けることで成長を維持できるのです。
だから「守・破・離」で終了するのではなく、その後のさらなる「破・離」が必要です。
何でも「守・破・離・破・離・破・離・・・(シュ・ハ・リ・ハ・リ・ハ・リ・・・)」を続けましょう。
なんだか呪文のようですね(笑)
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あなたが人生において重大な選択する際には、
その価値基準の中心に「楽しさ」をおくべきではないでしょう。
そもそも人間の脳は、ある一定の時間「楽しさ(快楽)」を感じると、
必ずその「楽しさ(快楽)」を飽きさせるような働きをするようにできています。
もちろん、「楽しさ」基準で趣味を選ぶことには問題はありません。
趣味は飽きたらやめてしまえばいいことです。
「楽しさ」基準でアルバイトを選ぶことは社会経験や勉強にはなるでしょう。
飽きたからといって辞めても、それほど問題はありません。
(もちろん、かなり迷惑な人ではありますが・・・)
しかし、「楽しさ」基準で職業を選び、飽きたことを理由に辞めるのは社会人として失格です。
また、「楽しさ」基準で付き合う恋人を選んだなら、飽きたら別れればいいでしょう。
飽きたからといって別れても、法的な問題に発展することはあまりありません。
(もちろん、恨まれるのは覚悟の上で・・・)
しかし、「楽しさ」基準で結婚相手を選び、飽きたことを理由に離婚するとなると大変です。
「楽しさ(快楽)」や「遊び」を継続させるためには、「楽しさ」のレベルを
今よりもどんどん上げていかなければならないようにできているのです。
その先に待つものは「楽しさ(快楽)」や「遊び」への完全なる依存状態です。 人間が快楽を継続させるためには、もっともっと強い快楽と刺激を必要とするのです。
だから、人生で重大な選択における「楽しさ」基準は薦められないのです。
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