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日曜日の夜、ミュンヘンで開かれた大江健三郎朗読会に行ってきた。午後6時から始まり、8時近くまで続いた。都心にあるLiteraturhaus Munchen内の会場は聴衆でほぼ満席。ほとんどがドイツ人で、日本人は15人ほどという感じだった。一般にノーベル賞作家の知名度が高いということもあるだろうが、根っからの文学ファンらしい人もたくさんいた。彼等は大江氏のドイツ語訳の本を何冊も持参して、朗読会が始まる前に読んでいた。 そもそも日本の作家が日本語で書いた小説を、ドイツでどうやって朗読するのか? ということに興味が湧いた。最近ドイツ語訳が出た『さようなら、私の本よ』の朗読が中心で、その後、2、3の質問を受けて大江氏自身が答えた。最初に予想したように、日本語の朗読にドイツ語の対訳をつけるという方法ではなくて、まずドイツ語訳(ドイツ人俳優による)をかなり長く読んだあと、大江氏自身による朗読がつづく。しかも、ドイツ語による朗読箇所と、日本語の朗読箇所は別のところが選ばれているという、ユニークな形式だった。 ドイツ語で朗読した男性は、早口で朗々とした美声。俳優らしく、会話の部分などはかなり感情を込めて読む。だんだん興がのってくると手振りまで交えて。時々「 Kitakaru」とか「 Matsuyama」とかいう日本の地名が、日本でないどこかの地名のように響くからおもしろい。 その後、大江氏自身による同作品の朗読。彼独特の訥々とした口調で、ゆっくりと。時々つかえたり言いよどんだりしながらだが、むしろ、主人公の思考のスピードはこうなのではないか、という着実な、行く先々を確かめつつ歩むような感じだ。それが、病床にある主人公の逡巡しながらも深まっていく思考のありかたと重なり合っているようで、心にしみた。 質疑は、面白かった。 ドイツ人から、あなたの作品には外国作品の引用が多いのはなぜか? という質問が出た。 大江氏の答えとして(以下は大江氏の発言の正確な引用ではなく、わたしの要約であることをお断りしておく) 引用には二種類あると思う。ひとつは、外国の作品を引用して、自らの思想を補強しようとする 場合。これは、日本近代以来150年にわたって、日本の多くの作家が採用してきた方法である。 だが、私がとろうとしているのは、第二の引用の方法だ。つまり、自分とは全く異質のものを引用 して、そのことで自らの世界を掻き回し、揺すぶろうとするものだ。20歳の時から毎日1時間は ヨーロッパの文学を読み学ぶことを日課にしてきた私が、50年経って分かったことは、「自分は 98パーセントまでも日本人だ」ということだ。残りの2パーセントの部分によって、私は(最近 再び勃興しつつある)ナショナリズムに浸りきることを拒絶している。 だから、わたしが今後(あと2年は仕事をするつもりだが)、源氏物語や谷崎潤一郎や夏目漱石 を引用するようになったら、もうおしまいだと思って欲しい。 最後の冗談は、会場の笑いを誘っていた。 やはり、ドイツ人からの質問。「あなたの作品の中で、仏教やアジア主義はどのような位置にあるのか?」 アジア主義と仏教とは、必ずしもストレートに結びつくものではないということを、まず言って おく。日本の近代化の歩みの中で、アジア主義とはそのまま「日本中心主義」であると語られるこ とが多かった。ひとつの中心に向かって皆が進んでいく、その象徴がたとえば「東京」であり「天 皇制」であるわけだ。しかし、四国の森の中の寒村に生まれた私は、最初からそういう唯一の中心 に向かって進んでいくことに疑問を感じていた。むしろ、「中心」ではない部分、日本でも周縁に ある沖縄とか、地方、アジアでも日本のまわりの国々や地域の方から、「本当のアジア的なもの」 を考えていきたいというのが、私の文学の基底にある。 日本人からの質問「それは、日本というものを客観的に見ようという態度なのか?」 日本を「相対化」したいということだ。私がヨーロッパの文学から学んだことは「多中心主義」 ということだ。たとえば、トーマス・マンのように。 朗読会終了後、著書にサインをしていただいた。その折り、学生時代に大学の講堂で開かれた大江氏の講演会に行ったことをお話しした。その時に「これから毎日ダンテを読むつもりです」と話されていたことが、とても印象に残っています、と申し上げると、「あれから3年は毎日読みました。いったん中断しましたが、また再開しました。今回もヨーロッパにフランス語訳などのダンテを持ってきていますよ」とにこやかに答えてくださった。その講演会は、大岡昇平先生もご一緒でしたというと、とても懐かしそうになさっていた。 |

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また来てしまいました。こちらは、、もうお夕飯の
準備をしなければならない時間なのに、どうも
気になって、時間忘れて見いってしまいました。
全部・・・素敵です。なにもかもが・・・
私には考えられない世界です。
でもでも、着物好きは同じだと、思います。
嬉しいです、遠くはなれた、ミュンヘンでも
こういう風に、お着物を、着てくれてるって・・
また、来ます。私もこれから、お着物のことも
ぼちぼちと、聞いていただきたいと思っていますので、こんな、家族もいるんだと、また覗いて
くださいね。
2008/10/28(火) 午後 5:33 [ - ]
meyさん、こんにちは。
またお越しくださって、うれしいです。日本にいる時もきものを着ていると不思議な人という感じで見られることが多かったのですが、外国できものを着続けることは、また違った意味があるのかな、と最近よく思います。それが具体的にどういうことなのか、これからゆっくり考えていきたいと思っています。
meyさんのお着物のお話も、ぜひお聞かせくださいね。
2008/10/28(火) 午後 11:57 [ sisi ]
こんにちは。はじめまして。
私はフランクフルトのLiteraturhausでの朗読会に行きました。ミュンヘンみたいな(まともな)質問は出ず、日本人のオバさんが「携帯小説についてどう思うか」というようなことを聞いて、大江氏は気分を害していたようでした。
私はノーベル賞受賞直後にメキシコで行われたオクタビオパスとのW講演会に行っているので、サインをもらう際にその話をしました。
2008/11/5(水) 午前 4:53
xirominさん、ご訪問ありがとうございます。
わたしも日本からネコ連れでやってきました。xirominさんのブログの本の話、とても面白く読ませて頂きました。
またお寄り頂ければ、うれしいです!
2008/11/5(水) 午前 5:14 [ sisi ]
たびたび、お邪魔します。
私も大江健三郎の記事を書きました。といっても内容が…、ですが。
よかったらまた遊びにいらしてください。あと、TBさせていただきます。よろしくお願いします。
2008/11/5(水) 午前 7:37