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10年以上にわたって、私は頻繁にチベットに入って長期滞在し、旅をしたり仕事をしたりしてきた。そして、路上の若者から民芸職人、草原の遊牧民、山村の呪医、そして省当局の一般職員、ラサの露天商、僧侶、寺院の掃除人、アーティスト、作家に至るまで、ありとあらゆる種類のチベット人に出会ってきた。私が出会ったそのようなチベット人の中には、数十年前にはチベットは独自の政府と宗教指導者、通貨、軍隊を持った小さな一国家であったと率直に私に語る人もいれば、無力感で押し黙る人や、漢人の私との会話を避ける人、気まずい話題だとためらう人もいた。過去に何があったとしても、中国人とチベット人は相互交流の長い歴史を持ち、その関係は両者で注意深く保持されるべきだと考える人もいる。また、鉄道プロジェクトや「北京路」「江_路」「四川-チベット路」といった道路に憤慨する人もいれば喜んで受け入れる人もいる。漢人はチベットに巨額の資金を投じているがそれ以上に欲しいものを得ていると語る人、漢人は開発に資金投入しているが同時に破壊も行っており、漢人が破壊しているものは正に我々チベット人が大切にしているものなのだと語る人…。私がここで言いたいことは、このようにチベット人たちも様々であるにしても、彼らは共通のものを持っているということだ。それは彼ら独自の歴史観であり、深い信仰心なのである。

チベットを訪れたことのある者なら、チベット人のこのような信仰心を肌で感じ取ったはずだ。実際、多くの旅行者が衝撃を受けるほどなのだ。そういう信仰の態度はチベット人の歴史を通して持ち続けてきたもので、日常の生活に現れている。これは、信仰心もなく今や金銭を崇拝するだけの漢人と比べると、非常に異なる価値観である。この信仰心はチベット人が最も大切にするものだ。彼らはこの信仰心を宗教的人格としてのダライ・ラマに投影する。


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チベットを訪れたことのある者にとって、「よく見かけるチベットの光景」に違和感はないはずだ。ダライ・ラマを崇拝しないチベット人がいるだろうか。自分の所属する寺院にダライ・ラマの写真を掲げたがらないチベット人がいるだろうか。(我々漢人がかつて掲げさせられた毛沢東の肖像写真は政府によって印刷されたものだったが、ダライ・ラマの写真は外国からこっそり持ち込まれ、秘密裏に複写、拡大されるのだ)。ダライ・ラマを言葉で蔑みたいと思うチベット人がいるだろうか。ダライ・ラマに会いたくないチベット人がいるだろうか。ダライ・ラマにカター(儀礼用の白いスカーフ)を捧げたがらないチベット人がいるだろうか。

支配者が聞きたがる声のほかに、我々はチベット人の完全なる真実の声を聞いたことがあるだろうか。チベットを訪れたことのある漢人は、政府高官であろうが旅行者やビジネスマンであろうが、みなチベット人の真実の声を聞いたではないか。沈黙させられてはいてもそこかしこで響きわたる声を。

これが、チベット内のすべての寺院がダライ・ラマの写真を掲げることを禁じられている本当の理由なのだろうか。これが、すべての家を調べてダライ・ラマの写真を掲げる者を罰するためにあらゆる労働単位に役人を配置する理由なのだろうか。宗教的な祝日のたびに政府が信者を巡礼路で阻止する理由だろうか。公務員に対し自分の子どもたちをダラムサラで勉強させることを禁じ、これに反した場合は解雇され家屋も没収されるという政策の理由だろうか。微妙な時期にはいつも政府役人が寺院で会議を開いて僧侶に「党のリーダーシップを支持すること」や「分裂主義者のダライとは一切関係はないこと」を強制的に約束させる理由だろうか。これが、我々漢人が交渉の場につくことを拒否し常に非人間的な言葉を使ってダライ・ラマを侮辱する理由だろうか。結局のところ、これは「よく見かけるチベットの光景」を強調し、チベットの国民性のシンボルをより崇高なものにする、まさにその理由となっているのではないだろうか。


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我々漢人は、「独立」の要求を放棄して現在は「中道」を唱導するダライ・ラマと話し合いのテーブルにつき、誠意を持って彼と交渉して、彼を通して「安定」と「調和」をなぜ実現できないのだろうか。

それは両者の権力の差異が大きすぎるからだろう。我々は人も多過ぎ力も強過ぎる。我々漢人は武力と金、そして文化的破壊と精神的レイプ以外に「調和」を実現する術を知らないのだ。


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仏教を信仰する彼らは、因果と魂の輪廻転生を信ずるが故に、怒りと憎しみに対峙し、漢民族主義者たちが決して理解し得ない哲学を創り上げたのだ。私の友人である何人かのチベット人僧たちは寺院にいる「厄介者の僧侶」の類の僧侶にすぎないが、その彼らが私に「独立」についての彼らの見解を次のように説明してくれた。「実際、前世では私たちも漢民族だったかもしれず、来世で漢民族に生まれ変わるかもしれない。また、漢民族の中にも前世でチベット人だったり来世でチベット人として生まれたりするかもしれない。外国人も中国人も、男も女も、恋人も敵も、魂の世界では終わることなく輪廻する。輪が廻るかのように状態が生じて滅する。したがって独立を求める必要があるのだろうか」と。 この種の宗教、この種の信者のことをコントロールしやすいと誰が考えられるだろうか。ここにパラドックスがある。彼らに独立の望みを諦めてほしいと思うなら、彼らの宗教を尊重して保護するべきなのだ。


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最近、私はチベットに関するオンライン・フォーラム上で過激なチベット人による投稿をいくつか読んだ。いずれの投稿も大体は次のように言っている。「我々は仏教を信じないしカルマ(業)も信じないが、チベット人であることを忘れてはいない。我々の祖国を忘れてはいない。今、我々はあなた方、漢人の信念、すなわち"権力は銃身から生まれる"という考えを信じている。あなた方漢人はなぜチベットにやって来たのか。チベットはチベット人のものだ。チベットから出て行け!」

もちろん、これらの投稿の背景には、漢人「愛国主義者」からの膨大な数にのぼる投稿がある。ほとんど例外なく、漢人の返信には「彼らを殺せ!」「全滅させろ!」「血で洗ってしまえ!」「ダライ・ラマは嘘つきだ!」など、我々漢人がすっかり慣れ親しんだ暴力崇拝者の「激情」の言葉が並ぶ。

私はこれらの投稿を読むととても悲しくなる。これが業なのか……


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つづく・・・

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2008/5/19(月) 午後 7:03 [ のんきなパパ ]

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