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GreatJonasanです。
きのうはRailSimの日でしたがもう何か月もRailSimそのものを起動すらしていないので特に公開するものは
ありません。現在RailSim書庫の削除も検討していますので予めご了承ください。
さて、5か月近くにわたって放置してきたこの記事ですが久しぶりに再会します。
今回は終着駅の名残りとして草津駅を紹介します。
駅の全景です。実はホームが4つもあります。
駅のど真ん中には第4種の構内踏切があり、この踏切を挟んでホームがあります。
さて、草津駅に残る終着駅の名残りとはこの屋根のことです。宮島線と市内線との直通が開始された直後は
この草津駅が終着で550形や850形(現350形)はここで折り返していました。当時は折り返し専用のホームを
持っており現在の下りホームの反対側、つまり写真では今駐車場になってるこの場所で発着していました。
その時のホームが今でも残っているというわけです。
最後にホームを通過する電車を一枚。現在の草津駅は上下線とも踏切の手前側のホームに止まるので
このホームは通過します。ちなみに上り電車の止まるホームにはかつて駅舎もありました。
というわけで今回は草津駅を紹介しました。次回は最終回として2つの臨時電停跡を紹介します。
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100周年記念 広電歴史再発見
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広電100周年を勝手に祝うシリーズ
今も残る昔の広電を感じ取れるポイントを紹介し、当時の様子を偲びます。
今も残る昔の広電を感じ取れるポイントを紹介し、当時の様子を偲びます。
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GreatJonasanです。
広電の昔らしさが残る物を探求する企画『広電歴史再発見の旅』 第三回の今回は広電電車の生き字引として
650形電車を紹介します。
この電車が650形です。まずは650形の基礎知識から。
製造:昭和17年
メーカー:木南車両
製造総数:5両
現役車両:2両
休車車両:1両
所属車庫:千田車庫
駆動方式:吊り掛け式
このように車齢は今年で70年とたいへん高齢な車両であり、現在の運用は平日朝ラッシュ時に1、3号線を
1〜2往復する程度ですがごくまれに日中も運転することがあります。また、マニアックな観点から見ると
国内では数少なくなったブリル系台車を装着した電車でもあります。(ブリル77E形)
さて、この電車は当時5両が制作されたわけですが昭和20年8月6日に投下された原子爆弾によって全車が
被爆します。しかし宇品付近で被爆したために被害が少なかった652号はいち早く復帰。その後も懸命な
努力によって全車が復帰します。(655号は被害が大きかったために少しデザインを変更したようです。)
その後655号が1967年に現在の南区役所前電停付近で事故にあいそのまま廃車されました。残った4両は
冷改・ワンマン改造などが施されて21世紀まで走り続けます。
このころから老朽化・小型ゆえの収量力の悪さがネックとなり運用が次第に平日の朝に固定されがちに
なってきましたがそれでも5号線を中心に日中も運転されてきました。しかし老朽化にはかなわずついに
2006年6月に653号と654号が引退しました。引退後は654号は安佐南区の交通科学館に保存・展示され、
653号は千田車庫で保存されます。一時期ICカード読み取り機の設置工事に伴う車両不足で一時的に
復活したこともありましたが現在は千田車庫の奥で大切に保存されています。
残った651号と652号は現在も現役で朝ラッシュを中心に活躍しています。
ここからは車内の様子を見ていきます。
車内は板張りで、時折油の匂いが良い意味で鼻に衝きます。木造ニス塗の味のある車内で客用扉や窓枠は
当時の木製のままです。
ワンマン化の際、当時3扉だったこの電車はシートを延長し、最後部の扉を締切扱いにしました。
この一番手前の扉が締切となった扉です。窓には締切の表示があります。左の750形はほぼ同じ時期に
そっくりに作られた兄弟車としても知られています。
運転台の様子。速度計はなく、運転士の勘と経験で運転します。
メーカープレートです。右読みなところに時代を感じさせます。
各車両には由来を解説した紙が掲載されています。ちなみにこの英語版の解説を見ると生存者がいたことが
わかります。ただ一人窓からとっさに逃げたために助かった乗客がいるようです。
昨年3月まで存在していた入庫系統の日赤病院前行きを担当する651号。ウニダイヤ誕生までは広島駅及び
西広島からスムーズに入庫するために日赤病院前行きのダイヤが存在しましたが今は広島港まで行ったあと
広電前まで戻るダイヤで入庫します。また、ウニダイヤ誕生後は5号線には入らなくなりました。
被爆電車としての知名度もあり、学生の修学旅行で650形が指定されることも少なくありません。
左は学生を降ろして車庫へ戻る652号、右は651号がちょうど広島駅まで貸し切られた瞬間です。
製造から70年たち、超高齢ゆえに活躍の範囲は狭まりつつありますが数少ない原爆の生き証人として
これからもいつまでも広島市を走り続けてもらいたいと思います。
いかがでしたでしょうか。次回は終着駅の名残りと題して草津駅を特集したいと思います。 |
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GreatJonasanです。まずはお詫びから。
恒例の木曜ラッシュ撮影は寝坊のため次回に持ち越します。ご了承ください。
今回は土曜日に書こうと思っていた歴史再発見の旅第二弾です。
第二回の場所は広電阿品駅〜広電宮島口駅間(正式には競艇場前駅間)にある田尻第二踏切です。
この踏切は現在広島電鉄で唯一の生き残りとなった電鈴式(通称ゴング式)の踏切です。
これが踏切の全景です。支柱頭部に特徴的な黒い塊が付いていますがこの中にあるのが電鈴です。
電車が来るたびにこの電鈴を打っています。だから近くでよく見ると支柱が震えています。
電車通過シーン。奥は私有地のようなので今回立ち入りは見送りました。
以下踏切拡大写真です。
…とはいえ電鈴式踏切を静止画のみで説明しきるのは無理があるので動画も撮ってきました。
いかがでしたでしょうか。同じタイミングでJRの普通の音がする踏切も鳴ったので聞き比べてみてください。
また、この踏切は実は広電で最後の電球を使用した踏切警報灯を装備した踏切でもあります。
(ただしJRと共同踏切の吉見園踏切を除く )
今回は広電最後の電鈴且つ電球式警報灯を装備した田尻第二踏切を特集しました。
次回は広電電車の生き字引、650形を特集します。 では!
雑記
この後帰る途中2号線の隅の浜付近のカーブ(知らない人は交通量の多い片側1車線の道路のカーブ)で
歩道は知ってたらなぜか縁石の始まりのところ(隆起し始める部分)に正面から突っ込んで前のめりに転倒、
さらにその上に乗ってた自転車が降ってくるというわけのわからんことに。転倒した痛みも手伝って自転車を
どけることもできず40秒ぐらい横たわっていました。その後通りすがりの方々に何とか救い出されたんですけど
外傷は少ないものの右肩とか左手人差し指の関節に不自然な痛みが残ってしまいました。
いやほんと自転車でボーっとするもんじゃないですよ。危なっかしくてしょうがない… |
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GreatJonasanです。
最近とある人の4コマ漫画に触発されて『Ib』というゲームを始めました。四・秋・箱の人の漫画といえば
分かる人は分かると思います… とにかく軽い気持ちで始めたこのゲームがまぁ面白いこと面白いこと。
いわゆるマルチエンディング方式のホラーアドベンチャーなんですが適度なスリル、難しすぎない難易度、
そして魅力的なキャラクター等々とにかくとてもフリーゲームとは思えないクオリティなんですよ。
URL貼っておくのでぜひやってみてください。時間も2時間もあれば一つのEDにたどり着けると思います。
それではIbの話はこれくらいにして本題に入ります。
当ブログの広島電鉄100周年を勝手に祝う企画第2弾は広電歴史再発見の旅です。
現在広電の公式ページに広電に100周年記念の特設サイトがあります。その中には2000形の標準色など
結構お宝が眠っているんですけどこのブログでは昔の広電の様子が今でも残っている場所を紹介し
今との違いを楽しんでもらうコーナーを開設しました。
第一弾は広電五日市駅です。
現在の広電五日市駅は山陽本線の五日市駅と一体になっていますがかつてはもう少し西側(宮島側)に
ありました。1987年に五日市駅が改修されたのに伴い利便性向上のために広電五日市駅も移設されたのです。
しかし、旧ホームが宮島側にわずかに残っていました。どうぞご覧下さい。
ご覧ください。まさに旧ホーム跡!現在はどうやら民家とつながっているようです。場所は広電五日市駅から
宮島側最初の踏切と2番目の踏切との間にあります。
2番目の踏切から。ホームの跡が明白に見られます。先述のとおり民家とつながっているため
私有地の可能性もあります。また、線路横断は大変危険なので絶対におやめください。
また、自分も撮影しておいていうのもあれですが過度の撮影もしないほうが無難だと思います。
ちなみに佐伯区役所前駅が開業したのは広電五日市駅が移転して西側の人簿とが不便になったためだという
逸話も残されていますが納得できる話です。
以上、広電歴史再発見の旅はいかがでしたでしょうか。次回は唯一残った○○と題しまして田尻第二踏切を
紹介します。 では!! |
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