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でもな
善通寺に行ってよかったな これだけ花が見れるとは思わなかった。 なんで出たかは 私もなんとなくしか分からないが 私に向けられる想いから来てるかな 東寺 浦和の鬼から始まり もうどうしていいかわからんかった。 これだけのものを抱えていたんだ という幻魔との戦いというか でも形にすれば 見れば 何かと人は考える そしたら大人しくなる 2つの縄の雲 西から東に 長く長く 茶褐色の色が一部あり 気が遠くなり、倒れそうになるが 倒されてるわけでもなく またアップすると また見た人は自分に当てはめる また一つ何かが引き始める。 東寺で変なモノが落ちたのだ。 瑠璃光如来に会う 高校の就学旅行以来 二回目から私が思うところを 空に語り始めた。 地上の人の見方 あり方とは明らかに違う天界の相 私が出た絵を渡した途端 雨が降る これは…と 思った。 みんな私のあり方が雨を降らしてるのでは?問題視するが 私に降る雨の場合は 私に寄せくる想いが雨を降らせてる。 出すことで何かあってはいけないと 何かを示してる。 世界は私の味方は少ない。 もう10年も前だが本当に危険なときは バケツをひっくり返した雨になる。 その時の雨は瑠璃光如来のたすけだったように思う。 仏様は語り 善通寺には花をたくさん空に咲かせてくれた。 実際の私は どこかいきどおっていて 複雑で 憤る想いを昇華できず その想いを人に問う気にもならず 分かってもらおうとも思わない。 私が思うように人はわからないし。 想いが及ぶ話をされて それが少し違うとすると 枠にはめられるように言われるのも辛い。 私も何か掴みきれてなうところを かきまわされるのもきつい。 私が一番の理解者だ。 世界は私が思うほど 私は悪ではないと伝えてくる。 良く、感じる 気がきかないから トロいとか 愛想がないと言うが 例えば 孫と比べてそうなのか 娘と比べてそうなのか 嫁と比べてそうなのか 憤る みんな足りないから 仏道が生まれたのだろう 人がそうあることに生きにくさを感じてるのに そう言われ吐いて捨てられたら 何を宛にすればいいのだろうと そう想いあぐねるが でも、私はすでに その念を掴み取り道にたたきつけてる。 それが空まで飛び跳ねた あの鬼達なのか… 自分の身内はすべて良くて 人がくそみそなら 世界は最後が見えている。 淘汰 王が王の立場に疑問をいだき すべてを捨てたのが仏教で ハジュンにバカにされ 王子の育ちのため 地を這いずり回り そうやって出来た仏道 王子の教養も含めて地に広められる までなった。 私は お釈迦さまの気持ちが そこらの人よりはわかる。 すべてを捨てるということが 何かわかる。 結局は釈迦族せんめつという悲劇 闇を見れば恐れをいだき すぐ地獄を語るが それじゃ宇宙とは付き合えない。 地獄とはそこで 生きていけないだけって話なだけで その見てる姿が再生の姿で 未来に向かう姿と見た時には 別の想いが出てくる。 その気が効かない お色気がない それら一つだって今になれば ちゃんと意味があるわけで 私は なんか何を対象にして語ってるのか それを見た時には とても残念になる。 自分の価値観にしか はめ込まないのだ。 理想も家族が中心 褒め称えるも家族との対比 すべて自分が中心 したがわなければくそみそ 従わない地獄が広がる 相談なんてしないほうがいい。 今は誰も お釈迦さまを目指さないのだ お釈迦さまは 道端に貧しくある下の民を哀れみ 病に苦しむ老人を哀れみ 王の座を捨てた。 やっても やっても 諦めかけた時に 力付けたのは 小さなリスで 小さなリスがお釈迦さまに 力を与えた。 お釈迦さまが その時に尚 小さなリスに心を寄せたのは お釈迦さまが 純真だったからだ。 思うのだが お釈迦さまは いつまでも汚れなく 純真な心の人だったと思う。 汚れた人はリスには目はいかない。 よく出るからと 話を終わらせてしまう。 小さな命に目を奪われなくなるとはな 弱いモノはアウトおぶ眼中だね。 お釈迦さまと違うのだな。 それは私の想いは相談すればするほど 迷いだらけになるということだ。 私の教化には 見えない仏様が当たるのだ。 そう感じられる 見せられた体験があるのは 逆に幸せなのかも ただ、花が出始めたのは 何か大きな進歩だ。 私は 誰にも理解できない人かもしれないが だからといって それは私にとっても 世界にとっても悪いばかりではない。 手探りで進んでる。 |

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偶然読みました。内容は、心の教養と思いました。今後も見ますので宜しく。
2016/7/1(金) 午前 7:28 [ mik***** ]