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こんなのが表示されて、
この前、福澤がyahooと福澤という自分自身のフェイスブックを連動した後におきたこと。
なぜ終わるのか。
でもyahooブログが終わるならこのブログも一緒に終わります。
最後までよろしゅうたのみます。
私は自分という人間が好きで、とくに取り柄がなくても好きだった。
人より優れた位置にあれば、自分が好きか、
人より秀でたところが自分は自慢だ
人より取り柄はない自分に劣等を感じてる。
誰よりも優遇されないとさげすまれている気がする。
私は人より優れたところが見出せなくても、自分を捨てることができず、生きる努力をした。
感覚のずれとはどうにもならない事で
誰も教えようのないところで
すべてにずれて出てしまう。
感覚の焦点が合わないことが私もあったのだ。
仕事をすれば、耳から鼓膜まで音は聞こえない。
言ってることはわかるけど、話がうまくつながらない。
常にそこをどうすればいいのかと悩むも、教えてくれる人は一人もいなかった。
しっかりしていない。
どこか抜けているような自分で、しっかりもしようもなかった。
でも、自分で変わろうとしなければ変わるはずはないのだ。
寺で何か欠けられているなら
そのさらに上の力の強い寺にお参りすれば何かから抜け出せることもある。
長谷寺にいき雨にたたられたが金剛峯寺に行き次に行ったらカラッと長谷寺の空は晴れた。
しっかりしない。
話が聞こえないという内容も、東寺にお参りしてしっかりした。
本当にしっかりするための1年だったように思う。
最後のお参りでは黒く墨が手に何度もついたが、自分が持っていたアイテムであと残りも一切なくクリアにとれた。
私は自分に墨をつけるような事はしないが、そういうことがあるのかもしれないと感じた。
でもお大師様の目の前で朝に買ったアイテムで信じられないくらいきれいに墨が撮れたので、何かあったとしても私は汚れることはないと心強くなったものだ。
その後、いろいろなことがあり、自分一人で、何とかできるような気がした。
一人で何とかしなければならないと感じ、家に帰り力強くたっていこうと強く誓った。
人の能力を借りるのではなく、自分の知恵で突破していく強さをもたなければ、到底気持ちで負けるようなこともなかったとは言えないし
一人という事を自覚するなかで、転ばぬ先の杖という知恵を巡らし自分を困らないようにさせてきたことも
事実、そのような状態で毎日を過ごしていた。
お大師様は常に一人で、旅をし、全国を巡った。
お大師様だけは私を理解して、手を引いてくれるようなところがあったように思う。
すごく楽しい、いつも明るいような方だ。
金星になるくらいの人だから、明るい。
とても明るい感じのイメージが強い。
暗く考えたらだめだよ。明るく考えなさいと言われていたような感じがする。
たとえそのような暮らしがあっても、その中で役割があるから置かれる状況で、常に善を念頭におき、御心を感じながら過ごすことができて、私は毎日幸せだったかもしれない。
私のような不思議なことが起こる人間は人から冷遇されやすい。
それは、大師様もそうだし、
韓国ドラマの心医:ホジュンもそうだ。
そういう中で明るく考えれるというのは、奇跡に近い。
みんなは人に笑わせてもらっているが
私は一人でも楽しくて笑える。
人は一人で誰からも声を抱えられないと孤独を感じるというが
私は、一人でも時間を有意義に過ごせる。
困り果てることもとかくついて回るが、どう怒らないか、自分を抑えようとすれば身につくもので
何事も自分が正しいと思うから反論も出るわけで、話を聞いてみないと相手の想いもわからないし
中には心の不自由もあるから
人を知るという事を学んでると思えばいいのだ。
一人でいてコト足りることを大師様は教えてくださったのだ。
大師様としか言いようがないのだ。
どう考えても、大師様が寄り添ってくださったのだ。
大師様はいつも一人で、いつも一人でこういう風に足りるようにしていたのかなと考えたりすると
私は高野山に上っても到底足りることのない人間だし
今更だから遠くから眺めていようとぞ思う。
富士山のように美しい山を眺め手を合わせるだけにしようと思う。
でも、人より足りない自分に一人でいる私に御心を注いでくださるのは
一人で祈ることが多かった大師様しか思い浮かばないのだ。
これは、蘭の造花で作りたかったんだよね。
緑の葉や実が鳳凰に見えて、カーテンが霊気の羽の冠に見えて。美しい造花アレンジメントができたと喜んでいる。
こういう事も、上達したのはお釈迦様もいつも念頭にあるし、お大師様も、力強い字もあるけど
繊細で美しい文字をかける人で
本当に技芸に優れた面もあった人ではないかと
お釈迦様をも大師様をも尊敬している。
こういうのも上達したのはここ最近で
身仏様を感じてる中にできてきたことなので
とても不思議を感じる。
慢心かと言われれば、わりと言葉の自由区で失礼なことも思ったことは率直に述べる自分だし
かといって話すかといえば、人とはほとんど話さない。
疲れるから話さない。
明るさや楽しさはことたりているし
周りの人の明るさまでいただくとカチャマシくなるから一人で静かに過ごしたい面はある。
このしっぽがフラワーの
あの時は孔雀だったが、空がラストとして雲の孔雀があった。
私が妄想で色をつけてそうなっただけだけど・・・
その写真を思い出し
霊的にあがった雲と現実で仕上げた造花がリンクし
あぁ、なんかあぁ・・そうかと感じた。
自然界がくれた空は、ただ浮かんだものではなく
たまにはどこかに現れてくれるのかと思うと
それは私の妄想に過ぎないが、本当にうれしいものだ。
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