橋の下幻想

小さい頃親から言われた、「お前は橋の下から拾ってきたとか、

橋の下で産まれたとか」そんな橋の下幻想が意外に人には

植えつけられていたりする。

何故か? それは母からの見捨てられ体験(私は愛されなかった)を

橋の下幻想と結びつけ、「あーだから私はそうなんだ」と、幼心を納得させる。

しかしこれは、いずれにせよ自身にとってそもそもの始めからのマイナス!!

ということになる。

ここからマイナス思考が始まり、男だったらよかったのに(逆もしかり)

の存在否定などのおまけがついてくる・・・。

これでは、うまれた時から究極のマイナス思考で生きていくということになる。

それで自分はいつもマイナス思考だったのかと気付いたら、

そんな過去は切り離し削除してしまえばいい。

例えれば、不要なメールは削除ボタンで一瞬に消去できる、残しておく必要がない。

まして迷惑メールなどであればなお更のこと、早く削除したほうが気持ちがいい。

それと同じで、自分の心の中の削除ボタン(スイッチ)を押せばいいだけ。

なのに中々それが出来ない人たちがいる、郷愁、ノスタルジーなんだろう。

たとえ不快であったとしても昔のアルバムを手放せない・・・。

これではいつまでも究極のマイナス思考のまま、

気付いたら切り替える!!それは一瞬のこと、つまり「一瞬で自分は切り替われる」

ということになる。だから分析はとても簡単なことでありまた素晴らしい。

目標がある人は、上昇志向、成長、進歩、前を向いて歩いていこう!!と切り替える。



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いざという時に言葉がでてこない、だから何も言えない・・・

そして、後から感情が湧きあがってくる。

そんな人たちは、親もまた同じで言葉より先に手が出たり、

顔色で表現をする。


それでは幼子と同じだ。子供はたくさんの言語をもっていないから、

言葉で適確に自分の心を表現できない、とすれば身体を使って表したり

顔で表現をするのが関の山。

いつまでも言語化できず大人になってしまったということになる。


社会ではというより人間は言葉を持ってしまったがゆえに

コミュニケーションの方法はやはり「言葉」。

幼い頃の母と子の言葉を介さない心の交流はもう通じるはずがない。


しかし・・・、世情では垂れ流しのようにたくさんの言葉や文字が

氾濫している。

だから人はみんな言葉を知っていると思い込んでしまっている。

でも、その言葉や文字が自分の心の辞書にしっかりと理解して

登録されているかというと、そういうわけではない。

聞いたことはあって知っていても、意味の分からない言葉

は自分では使えない。


親がなにも語らなかったら、鵜呑みにさえもできない。

そういうことかとやっと気付いて、「言葉を持つ!!」という世界に参入する。

何故自分が、いざという時にしゃべれないのかが分かった瞬間でもある。




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被災地の人を励ますために長渕剛さんが行っているラジオ番組が

反響を呼んでいるというニュースをみました。

その中で宮城県の18歳の女性とのインタビューで。

弟と祖母と曾祖母が死んで、自分と母と祖父が生き残ったと。

「私がなぜ生かされたのか、その意味を探したい。夢を持って生きたい」 と。


今回このような問いを持った人たちがたくさんいると思います。

この問いかけに自分なりの意味づけをして答えを出さなければ

とても生きていくことができません。

いつまでも見つからないと、生は無になり死へと置き換わります。

これが無気力です。生きることへの無力感、それがうつ病などに

なっていきます。


早く意味をみつけられたらいいなぁと思っています。



「ねぇ、お母さん、あのね、・・・」と話しかけ続けるCMをみた。

子供は母にいつも言い続けている、それは『私の話しを聞いてよ!!』と。

母はいつも耳をかしてくれただろうか?

今忙しいから後でね、何くだらないこと言ってんのよ、また同じ話しばかりして、

と取り合ってくれない。

一言でいいから「そーなんだぁ」と聞いてくれて言って欲しかった。


段々お母さんの代わりが他人になっていく。

とにかく周りに話し続ける人がいる、機関銃のように。誰かに聞いて欲しいから。

又、聞かされる人は嫌気がさす、それは自分が母に聞いてもらっていないから、

人の話しは聞きたくない!!となる。


大人になっても心の中でつぶやいている言葉が、「ねぇ、お母さん、あのね・・・」と。

そしてそのつぶやきは叫びにならない声でもある、「お母さん、私の話しを聞け!!」と。

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自由とは〜

人はみな時に言う「自由になりたい」、そして「自由って何?」って・・・

総じてまとめれば三つに集約されます。

〇空間的に自由であること〜

 どこへでも行ける、好きな時に自由に行きたいところにいけることなど。

〇欲望のままであること〜

 きままに、好きなようにすること。食べたい時に食べ、寝たいときに寝るなど。

〇意味からの解放〜

 社会・道徳・倫理などの掟に縛られないこと。


あなたはどんな自由を求めているだろうか?



知ること〜(鏡像段階)

世の中には自分の知らないことがたくさんあります。

自分の知っている世界が全てだとは誰も思ってはいないでしょう〜

けれど、でも自分の世界観でものごとを計って、人の言うことや他者を

NO!と拒否(否認)することは多かれ少なかれあるのではないかと思います。


もったいない限りです。

もし成長(向上)して生きたいと思う人であれば、「他者を通してしか自己を知れない」

というラカンのいう鏡像段階という機能が人間に備わっていることを

知ってほしい。この理論は知らなくとも、平たく言えば他者は鏡の

機能を果たすということです。


自分のことばかりではなく、いろんなことをもっともっと知りたい! と思っている人は

それは「他者から(を通して)やってくる」のです。

自分にとって「その知」が必要か不要かは自分の選択で自由です。

「知を得たい」という欲望があればいつか必ず得ることが出来ます。

人は知ることによってどこまでも成長していける素晴らしい存在

だと私は思います〜



悲しい時は悲しみに浸り、辛い時は辛いと喚(わめ)き続けて、

そして、それを味わい続けたら、あとは・・・・何があるんでしょうか?

答えは、全て自分の心の中に持っています。

誰も希望の光を見出してはくれません、もちろん助けてはくれますが。

最終的には自分が見出せるものなんです^^

だから私たち人間は強くも弱くもなれるのです。

「私はやるぞ!!」と思えばやれる、そう、ただそれだけです。

ただそれだけなんですが、実はそれがもの凄いパワーなのです。


先が見えない・・・と嘆く時もあります、そんな時「誰が助けてー」と

外に求めますが、光明は私の中にありますから自分の心に

問いかけた方が早いかもかもしれませんね^^;




ご飯を食べることがめんどう、お風呂に入ることもめんどう、

出来れば本当はなんにもしたくない〜、そんな結論に達すれば

究極のところは、「生きていることがめんどうだ」と。

しかし何故か自分は生きているし、「死ぬこともめんどうだ」と。

では何故死なないでいるのでしょうか?

それはやはりやることがあるから・・・。

「この怨みははらすまではどうしても死ねない」と規定した。


恐ろしいお話のようですが、そんなことはありません。

人は人をねたんだり恨んだり憎んだりと日々しています。

特に、三つ子魂百までといいますが、親への怨みや憎しみは「愛と憎しみは表裏一体」と

いうようにいつまでも心に深く根ざしていますから。


「生きている」ということが、どんな思いの中で生きる決意をしているのか・・・

誰もそんな心の裏側を抱いているとは当の本人も意識では知るよしもありません。

もちろん知ったら、普通の人は罪悪感で心苦しすぎます。


しかし、もし「生きていることが辛いのに・・・」と思う人がいたら

無意識を知ることで
楽になります。

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