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2015.1.24
謝れ、償え、かえせ ふるさと飯館村 講師: 原発被害糾弾 飯館村民救済申立団 団長 長谷川健一
1月24日、福島県飯館村から長谷川健一さんをお迎えして、今年最初の緑フォーラムが開催されました。
長谷川さん達は今、河合弘之弁護士を初め、95人の弁護団とともに放射能汚染による損害賠償を求めて原子力損害賠償紛争解決センタ−(ADR)へ申し立てを行っています。その数、約3000人。飯館村の人口が6000人なので、村人の半数が申し立てに参加していることになります。長谷川さんによると、長谷川さん達とは別にADRに申し立てしている人々もいるので、実に村民の3分の2が申し立てをしていることになるそうです。「みんなどうして黙っているのだろう」と残念に思っていた長谷川さん。当初は多くて1000人かなぁ、と思って始めたら、またたく間に参加者が増え、「やっぱりみんな怒っていたんだよな」と手ごたえを感じ、集団申し立ての機会を作って良かったと思ったそうです。
飯館村に生きる人々の悲痛な叫びが心に響きます。4000ページに及ぶ申立書をADRに手渡し、長谷川さん達の新たなたたかいが始まりました。
原発事故前、長谷川さんの家族は、3世代同居でしたが、今は3か所に分かれて暮らしています。福島第一原発から飯館村の最も近い所まで直径で30km、遠い所で45kmです。爆発からまもなく4年が経とうとしていますが、福島第一原発と飯館村との距離よりももっと遠く離れた地域でも、そこの山菜からは昨年も政府の決めた許容量以上の放射能が検出されています。まして原子雲の直撃を受けた飯館村は、いくら政府・県・村が除染、除染と言っても、とても住めるものではありません。第一、政府は森林の除染は行わないと断言しているのです。飯館村の田畑と住宅を除染したら、除染完了宣言して避難を解除しようとしているのです。政府は当初、当然のことですが、年間1mSvを目指すと言っていました。ところが、村がそれまで待てない、年間5mSvを目指すと言ったら、政府もそれに便乗して1mSvを目指すが、当面5mSvを目指すと方針を変更しました。とんでもないことです。 村民を被爆させたのは、国・県・村と一体となった「放射能安全神話」の押しつけ
原発が爆発して飯館村の不安が広がる中、4月1日には長崎大学の山下俊一教授、4月10日には近畿大学の杉浦紳之教授(子どもの教育と放射能をテーマに講演会を開催)が訪問し、飯館村は安全だと安全説法していました。それを聞いた村長は「ありがとうございます。安心しました」と言っていたのです。そのため、早い時期に避難したのは村民の5%に過ぎなかったのです。これが、村民の初期被爆を大きくした原因です。今中先生は、独自の測定により、「恐ろしいことだ。こんな線量の高い所に人が住んでいるなんて信じられない」と話し、測定データを公表しようとしたのですが、村長に拒否されたのです。杉浦教授の講演会の翌日、なんと飯館村は突如として「計画的避難区域」に指定されたのです。
飯館村の役場前に文科省が設置した放射能のモニタリングポストがあります。毎日、飯館村の空間線量を全国に発信していますが、この値が実際にその場で測った空間線量よりかなり低いものとなっています。その理由は、自衛隊が来てモニタリングポストを置く場所の土を剥ぎ取り、その上に新しい土をかぶせて遮蔽したからなのです。その低い値が毎日全国に飯館村の線量として流されているのです。飯館村には23か所のモニタリングポストがあります。長谷川さんは、モニタリングポストの値を信用せず、自分で測定し記録し続けています。それは将来、村民が病気になった時、国は線量が低いのだから放射能とは関係ないと言うに決まっているからだと憤っています。「本当のことを隠す」行政の隠ぺい体質に長谷川さんはいつも抗議の声を上げています。
いつまで続ける、形だけの「除染」
飯館村のあちこちに広がる黒いフレコンバッグ(大きなビニールの袋のようなもの)。田畑の表土を剥がした土を詰め込んで、2段、3段、4段と積み上げていますが、月日が経つにつれ、下のほうは破れ、汚染土が出てしまっています。5㎝を剥ぎ取って除染としていますが、今中先生は15㎝までセシウムが入っていますよと話していました。表土を剥ぎ取り、その上に新しい土を盛り土して行きます。これは除染ではなく、遮蔽です。住宅に関して言えば、ぺーパータオルで拭いているだけのものです。 黙っていれば満足していると見なされる
今は1人月10万円が支払われていますが、それは生活費込みの慰謝料です。とても生活再建できる額ではありません。だが、かならずいつかそれも中断される時が来ます。その時、村の人はどうやって生きていけばいいと言うのだろう。飯館村としては、ADRに申し立てをしないと言っていました。浪江町は人口2万人のうちの1万5千人を町が代理としてADRに申し立てをしました。どういう声を上げたらいいか、眠れない夜が続きました。福島県では76戸の酪農家が、仕事ができなくなり、ようやく再開にこぎつけたのが13戸です。飯館村の人口は6000人を切り、本来なら650人いるはずの小中学生が300人しかいません。また幼稚園・保育所に入るはずの子どもが46人いるのですが、今の申し込みは15人です。
山下教授たちは当時、飯館村からは放射能のせいで癌になる人はいないと言いました。村は村民の健康調査を独自にするべきですが、県に丸投げしているだけです。帰村と言っても水道は簡易水道で沢の水を浄化して各家庭にひいています。除染しない森林から流れて来る水は大丈夫なのでしょうか。こんな状況を、村や県、国がなんとかしてくれるのではないかという期待は、勘違いだったのです。
長谷川さんは最後に、約3000人の村民が参加した集団申し立てを通し、東電や国、県、村を動かす力にして行くと述べ、これからの支援を訴え、講演を終えられました。 |
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2015年01月25日
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