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6月緑フォーラム開催報告
「低線量被爆のリスクと
20ミリシーベルト帰還政策の問題点」 講師:高木学校メンバー
医学博士 崎山 比早子さん 高線量汚染地域への帰還政策が強制的に推し進められている福島県。その線量はなんと20mSv。福島原発事故以前は1mSvが基準だったものが、原発が核爆発を起こすやいなや、100mSv以下なら健康には問題ないという極論までまき散らされている。100mSvで問題ないなら、20mSvなんて全く問題ないというわけだが本当だろうか。
今回は、このような私達の疑問に答えていただく形で、元放射線医学総合研究所主任研究官の崎山先生に講演していただいた。会場には若い人達も多かったため、崎山先生は、放射線の基礎的なことからわかりやすく説明してくれた。
「放射線には宇宙から降り注ぐ自然放射線もあり、私達はそれで健康被害を受けることはないのだから、低線量被爆なんかは問題ないと聞かされることが多い。しかし、自然放射線によるDNA障害は、1本鎖のみの切断が多いが、原発などによる高エネルギー放射線は2本鎖を切断してしまうため、DNAの修復がうまくいかない結果、細胞死やがん化を引き起こしてしまうのです。放射線の危険性は、DNAの変異が細胞に蓄積していき、発がんにつながることなのです」
「人間は7シーベルト浴びると必ず死にます。1個の細胞に250ヶ所の2本鎖の切断が起きると、どんな手段を使っても助けることができないのです」 日本で放射線の安全ばかりが強調されるのは、日本に大量の原発を建設するための布石だったのである。その中には「NPO法人 放射線教育フォーラム」などという御用機関もあり、日本人は「わずかな放射線を恐れて、原子力の需要が進まず、エネルギー問題の観点から日本の前途が危うくなる」と日本人に、放射線安全教育を施してきた組織もある。そのおかげで、日本には54基もの原発が建設され、原子力産業に巨大な利益を供与したのである。その中には、高速増殖炉などと銘打った福井県の「もんじゅ」があり、建設に2兆円もかけたのに、発電はゼロという怖ろしく無駄で、税金の浪費の施設まである。「夢の増殖炉」がキャッチフレーズだったが、とんでもない悪夢だったわけである。しかし、廃炉作業もまた1種のビジネスだそうだから、まだまだ税金の無駄遣いは続くのである。
それでは、100mSv以下で発がんが優位に証明された疫学調査はあるのだろうか。崎山先生は、2003年から2015年までに報告された6つの海外の論文を示し、その危険性を明らかにした。その中には、2008年のドイツの報告、「ドイツ原発周辺での5才以下の小児白血病」では、原発から5km以内では、5km以遠の2倍の小児白血病の発生があるというのである。(いったい日本ではどうなっているのであろうか。このような調査研究は聞いたことがない。調査しないから、問題点が明らかにならない。だが、問題点が明らかにならないから、問題がないことにはならない) ところが日本では、政府の「放射線汚染物質対策顧問会議」の中に、さらに「低線量被ばくリスク管理に関するワーキンググループ」というものがあり、その2011年の報告書では、「100mSv以下の被ばく線量では発がんのリスクを明らかにするには至っていない」と結論しているのである。しかし、崎山先生が示したように、2012年以降も新しい報告が相次いでおり、、「100mSv以下の被ばく線量では発がんのリスクを明らかにするには至っていない」どころの話しではないのである。 それでも、福島原発賠償裁判では、国側の意見書には著明な学者達が17名も名を連ね、「崎山意見書」の非をあげつらっている。いわく、
「福島原発事故以後、我が国では、国際機関で合意されている低線量放射線影響の科学的常識から外れて、低線量放射線健康影響のリスクが大きいとみなすごく一部の「専門家」の影響で、必要以に被ばくを怖れ、不安にかられている人々が大勢でたことは、今こそ推進すべき福島の復興を阻害する不幸な事態である。「崎山意見書」で主張されている内容の多くは、正に不必要に低線量被ばくを危険視するもので、良識ある専門家には受け入れられないものである。我が国の訴訟において、国際的に合意の得られている範囲を超えて、低線量放射線の被ばくに健康影響があるとの判断がなされることがあれば、福島の復興が遅れ、コミュニティの再建に大きな影響を及ぼす。これは被災地住民の希望に反することである。加えて、健康影響に関する国民の不安感が益々増大し、患者の診療に不可欠な医療放射線の利用に対してまで不安感が広まり・・・」
自分達のことを「良識ある専門家」と自画自賛しているのには笑ってしまう(ニコニコ笑っていれば放射能の影響は来ないそうなので)。
最後に崎山先生は、福島小児甲状腺がんの過剰診断論の破綻と放射線の影響は考えにくいか?という点について、データを示して講演を締めくくった。
当時の福島県立医大外科の鈴木眞一教授の145例の手術所見(第50回日本甲状腺外科学会)のデータでは、大きさが4㎝以上もあるようながんが見つかっているのである。それが手術を受けた子どもの約半数弱に及ぶのである。リンパ節転移があるものも70〜85%に及ぶ。少しがんに詳しい者なら、これが早期発見でないことはすぐわかる。もっとしっかりエコー検査を進めるべきであると思うのが自然である。鈴木眞一教授も「過剰診断ではない」と断言している。ところが政府や県は、学校に出向いて何を言っているのかと言えば、「健診を受けない権利」を強調しているのである。その結果、甲状腺検査を受ける権利がある当時18才以下の子どもたち38万人が、第1回目30万人、2回目27万人、3回目21万人に減少してしまっているのである。政府や県は、さらに細胞診を行う率を減らして、甲状腺がんの発見を遅らせているのである。 さらに最近では、福島県全域に設置された「空間線量計」を撤去しようとしているのである。東京オリンピックに向けて、福島の人々の人権は一層ないがしろにされ、高線量地域への帰還が強制されて行こうとしているのである。福島を初め、日本の子ども達を守れ。(文責 編集部)
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報告
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2月緑フォーラム開催報告
「地球市民皆農 みんな一粒百姓にな〜れ!」
一粒のタネから、生きる自給率 「1年1人1%Up」の暮らしをはじめよう
講師:一反百姓「じねん道」 斎藤 博嗣さん 「もじゃもじゃ農法でも、金髪農法でもいいんじゃないですか」 百姓は、生活に関わる百の仕事をする者のこと。屋根に登って修理もすれば、木にも登る。井戸も直す。車検まで自分でしてしまう。まさに現代版百姓なのである。じねん道は、「百姓」とは、換金農作物を作るだけの「農業」ではなく、生き方のベース(基盤)に‟農”を置く、「農的」という視点を重視した職業・暮らし方の「農的ワークライフバランス」マネジメントを実現する家族農業が私たちにとっての「百姓」です、と言う。この「生き方のベース(基盤)に‟農”を置く」という考え方が大事なのである。人間の不幸の根源である貨幣経済からの脱却は望むところであるが、資本主義社会に生きている我々にとって、それはできない相談。どうしてもお金がなければ、生きられないようになっている。だから先人は、「土地に杭を打たれても、心に杭を打たせない」とがんばって来たのである。
ではどうするのか。そのひとつの回答として、「生き方のベース(基盤)に‟農”を置」け!ということなのである。心まで壊れるのをなんとしても防ごうということなのである。
国連は、「緑の革命」の失敗を認め、農業人口の9割、世界の食料生産の8割を担っている家族農業の大切さを、2014年の国連の国際家族農業年、そして+10の運動として推し進めている。日本では、この動きを支持する運動として、小規模・家族農業ネットワーク・ジャパン(SFFNF) を立ち上げ、支持しているのも、じねん道さん達なのである。 子育てについても、「自然は無教育にして最大の教育者。 子育てと農的暮らしの両立は、私たち夫婦に親として生きる力を授けてくれます。 子どもたちは、自然の中で自分自身を育てる力を身につけます。 「三つ子の魂百まで」未来の世代の心と体の故郷「原風景」は自然の中にこそ委ねるべきだと思います、と述べる。かつて、「子どもにどう教えるか」と問うた時に、「教えることなんかできないよ(子どもが学ぶんだよ)」と答えた恩人を思い出す。 交流会も楽しく、遅くまでお引止めしてしまった。斉藤さん、ごめん。講演でわかりやすく解説してくれたPARC(特定非営利活動法人アジア太平洋資料センター)事務局長のゲルさんもありがとうございました。 じねん堂さんの種も売れたが、「世界のFUKUOKA」の福岡正信さんの本も売れた。「なかなか福岡正信さんの本は売れませんよ。緑フォーラムさん、すごい!」と言っていただきました。(文責 編集部) |
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日本に勝利した
中国民衆の抵抗
―私が中国で見たこと、聞いたこと―
講師:山邉 悠喜子 さん 731部隊遺跡世界遺産登録を目指す会 会員
東北民主連軍で3年間、鍛えただけのことはある。鍛え方が違う。残念なことに東北民主連軍に加わった日本人の方々は、皆亡くなり、一番若かった山邉さんが最後の語り部として、貴重な体験を教えてくれた。 ハルピン市の平房区にある731部隊の跡地には、「謝罪と不戦平和の誓い」の碑がある。これを募金によって建てたのがABC企画委員会という団体である(山邉さんは元副代表)。「ABC」は核兵器( Atomic weapon ) 生物兵器(Biological weapon )と化学兵器(Chemical weapon )の英語の頭文字から取っている。現在は中国ハルビン市平房区の「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」を世界遺産に登録させることや細菌戦と毒ガス戦による中国人被害者支援などの運動をしている。山邉さんもその一員である。
1941年、お父さんの赴任先である本渓湖市へ12歳で渡っている。中国で敗戦を迎え、両親が帰国する中、青年らしい衝動から、東北民主連軍へ参加するという貴重な経験をされた。帰国は1953年である。3ヶ月だけの予定が、実に8年(16〜24歳)にわたり東北民主連軍に参加したのである。その活動の中で、夫となった日本人男性と巡り会い、生まれた子を連れて、8年後に帰国し両親と再会する。まさか実の娘が生きて帰って来られるとは思っていなかったのであろう、父親は「中国の方々にお礼を言って来ただろうな」と言ったそうである。中国では1946年から1949年まで、激しい国共内戦が起きていたのである。しかし、帰国した山邉さんを待っていたのは、人民が力を合わせて国作りに立ち上がる新中国とは正反対の、女性が生きて行くためにアメリカ兵に媚(こび)を売って生きなければならない社会であった。アメリカ兵の豪邸、軒を連ねるトタン屋根の日本人の家々。山邉さんは再び中国に向かった。
山邉さんは、戦後を生きる者は、日中両国の歴史を認識し、理解しなければ、その生き方は不完全かつ一面的にならざるをえないと、書いている。中国への侵略戦争、日本人が中国で何をやったか、この戦慄の歴史を理解するということなしに、日本人としての解放はないということだ。私自身で言えば、撫順戦犯管理所のことや中国人養父母のことを長らく知らずに生きて来た。つい知ったのは訪中した去年のことであった。どうして戦犯を人間として扱うことができるのか、どうして苦しい戦後の生活の中で、敵国の子どもを育てることができるのか。驚きの連続であった。中国人養父母のことで言えば、我々はあまりに無頓着でいすぎた。3000世帯、4000人とも言われる養父母がどんな気持ちで、孤児たちを育て、別れたのか。別れたあと、どんな生活をしていたのか、日本にはあまりに資料がない。資料がないのは無関心の反映なのである。 山邉さんは、2016年、「難忘一家人——一個日本籍中国人民解放軍戦士的真実記録」という本を出版し、東北民主連軍に参加した自らの歴史を振り返ってどう思うかとの質問に、「中国の革命に参加したこと、青春を中国にささげたことを誇りに思う」と明確に答えている。我々もかくあらん。
ネット上にある山邉さんの記事を挙げておきますので参照してください。 http://japanese.beijingreview.com.cn/ztjl/txt/2010-12/09/content_318158.htm http://www.chinalaborf.org/wp/wp-content/uploads/2017/04/yamabey1703rep.pdf https://www.amazon.co.jp/私は中国人民解放軍の兵士だった |
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2015.1.24
謝れ、償え、かえせ ふるさと飯館村 講師: 原発被害糾弾 飯館村民救済申立団 団長 長谷川健一
1月24日、福島県飯館村から長谷川健一さんをお迎えして、今年最初の緑フォーラムが開催されました。
長谷川さん達は今、河合弘之弁護士を初め、95人の弁護団とともに放射能汚染による損害賠償を求めて原子力損害賠償紛争解決センタ−(ADR)へ申し立てを行っています。その数、約3000人。飯館村の人口が6000人なので、村人の半数が申し立てに参加していることになります。長谷川さんによると、長谷川さん達とは別にADRに申し立てしている人々もいるので、実に村民の3分の2が申し立てをしていることになるそうです。「みんなどうして黙っているのだろう」と残念に思っていた長谷川さん。当初は多くて1000人かなぁ、と思って始めたら、またたく間に参加者が増え、「やっぱりみんな怒っていたんだよな」と手ごたえを感じ、集団申し立ての機会を作って良かったと思ったそうです。
飯館村に生きる人々の悲痛な叫びが心に響きます。4000ページに及ぶ申立書をADRに手渡し、長谷川さん達の新たなたたかいが始まりました。
原発事故前、長谷川さんの家族は、3世代同居でしたが、今は3か所に分かれて暮らしています。福島第一原発から飯館村の最も近い所まで直径で30km、遠い所で45kmです。爆発からまもなく4年が経とうとしていますが、福島第一原発と飯館村との距離よりももっと遠く離れた地域でも、そこの山菜からは昨年も政府の決めた許容量以上の放射能が検出されています。まして原子雲の直撃を受けた飯館村は、いくら政府・県・村が除染、除染と言っても、とても住めるものではありません。第一、政府は森林の除染は行わないと断言しているのです。飯館村の田畑と住宅を除染したら、除染完了宣言して避難を解除しようとしているのです。政府は当初、当然のことですが、年間1mSvを目指すと言っていました。ところが、村がそれまで待てない、年間5mSvを目指すと言ったら、政府もそれに便乗して1mSvを目指すが、当面5mSvを目指すと方針を変更しました。とんでもないことです。 村民を被爆させたのは、国・県・村と一体となった「放射能安全神話」の押しつけ
原発が爆発して飯館村の不安が広がる中、4月1日には長崎大学の山下俊一教授、4月10日には近畿大学の杉浦紳之教授(子どもの教育と放射能をテーマに講演会を開催)が訪問し、飯館村は安全だと安全説法していました。それを聞いた村長は「ありがとうございます。安心しました」と言っていたのです。そのため、早い時期に避難したのは村民の5%に過ぎなかったのです。これが、村民の初期被爆を大きくした原因です。今中先生は、独自の測定により、「恐ろしいことだ。こんな線量の高い所に人が住んでいるなんて信じられない」と話し、測定データを公表しようとしたのですが、村長に拒否されたのです。杉浦教授の講演会の翌日、なんと飯館村は突如として「計画的避難区域」に指定されたのです。
飯館村の役場前に文科省が設置した放射能のモニタリングポストがあります。毎日、飯館村の空間線量を全国に発信していますが、この値が実際にその場で測った空間線量よりかなり低いものとなっています。その理由は、自衛隊が来てモニタリングポストを置く場所の土を剥ぎ取り、その上に新しい土をかぶせて遮蔽したからなのです。その低い値が毎日全国に飯館村の線量として流されているのです。飯館村には23か所のモニタリングポストがあります。長谷川さんは、モニタリングポストの値を信用せず、自分で測定し記録し続けています。それは将来、村民が病気になった時、国は線量が低いのだから放射能とは関係ないと言うに決まっているからだと憤っています。「本当のことを隠す」行政の隠ぺい体質に長谷川さんはいつも抗議の声を上げています。
いつまで続ける、形だけの「除染」
飯館村のあちこちに広がる黒いフレコンバッグ(大きなビニールの袋のようなもの)。田畑の表土を剥がした土を詰め込んで、2段、3段、4段と積み上げていますが、月日が経つにつれ、下のほうは破れ、汚染土が出てしまっています。5㎝を剥ぎ取って除染としていますが、今中先生は15㎝までセシウムが入っていますよと話していました。表土を剥ぎ取り、その上に新しい土を盛り土して行きます。これは除染ではなく、遮蔽です。住宅に関して言えば、ぺーパータオルで拭いているだけのものです。 黙っていれば満足していると見なされる
今は1人月10万円が支払われていますが、それは生活費込みの慰謝料です。とても生活再建できる額ではありません。だが、かならずいつかそれも中断される時が来ます。その時、村の人はどうやって生きていけばいいと言うのだろう。飯館村としては、ADRに申し立てをしないと言っていました。浪江町は人口2万人のうちの1万5千人を町が代理としてADRに申し立てをしました。どういう声を上げたらいいか、眠れない夜が続きました。福島県では76戸の酪農家が、仕事ができなくなり、ようやく再開にこぎつけたのが13戸です。飯館村の人口は6000人を切り、本来なら650人いるはずの小中学生が300人しかいません。また幼稚園・保育所に入るはずの子どもが46人いるのですが、今の申し込みは15人です。
山下教授たちは当時、飯館村からは放射能のせいで癌になる人はいないと言いました。村は村民の健康調査を独自にするべきですが、県に丸投げしているだけです。帰村と言っても水道は簡易水道で沢の水を浄化して各家庭にひいています。除染しない森林から流れて来る水は大丈夫なのでしょうか。こんな状況を、村や県、国がなんとかしてくれるのではないかという期待は、勘違いだったのです。
長谷川さんは最後に、約3000人の村民が参加した集団申し立てを通し、東電や国、県、村を動かす力にして行くと述べ、これからの支援を訴え、講演を終えられました。 |


