緑フォーラム

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2014年1月緑フォーラム開催報告


「受け継いだ干潟と上関原発」

お話: 上関シーカヤッカー・水辺教室講師 
  岡田 和樹 さん

 
1月緑フォーラムは、岡田和樹をお迎えして開催されました。広島から1昼夜をかけ、車でお越しいただき、大変恐縮いたしました。ありがとうございました。

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岡田さんの話は、まるで肩がこらない話し方です。純粋主観に貫かれているというのはこのこと。小学生の時、教頭先生が天然記念物であり、とても珍しい「ナメクジウオ」がいるこの海を大切にしなければならないと語っていたことをずっと覚えていて、高校生になって海岸線の調査をしていた時、偶然にも「ハチの干潟」を見つけ、そこで「ナメクジウオ」と運命的な出会いするのでした。自分の目の前で、幻に近い「ナメクジウオ」を発見した時、本当に胸が躍ったでしょうね(ナメクジウオは体長3〜5センチで天然記念物に指定されている。きれいな砂にしか住めない。脊椎動物の1歩前の生き物で進化の生き証人と呼ばれています。5億年も昔のままの姿ということで、進化の研究でとても大事な生き物です)。瀬戸内海にも自然な海岸は37%しか残されていません。干潟というのは、潮の満ち引きによって海の多彩な生き物が生息する場です。アマモ(海藻)はアマモ場を作り、潮流を和らげ小動物の生息地となり、「海のゆりかご」と、呼ばれているのです。護岸工事や海の汚染により、干潟は減少し、魚の産卵場所でもあったアマモ場も減少し、豊かな海であった瀬戸内海は危機的な状況になっています。その中になって、奇跡的に「ハチの干潟」が残っているのを発見し、岡田さんは、干潟の保存運動に取り組むことになりました。なんと産廃業者が「ハチの干潟」をヘドロの捨て場にしようとしていたのです。しかも名目は「藻場の造成」だったのです。
 
ここでちょっと歴史談義。岡田さんによると「ハチの干潟」の「ハチ」は江戸時代には、「波知」という漢字だったそうだ。「ハチの干潟」の沖合に、「波知岩」という岩があり、この岩がどのくらい沈んでいるかを見て、当時の人は潮の干満を判断したのではないかとのことでした。これとは別に、沖縄のノロ(祝女)に波知来加那志、出雲神社に波知神社、伊豆大島に波知加麻神社などがあります。波知は八で、日本武尊に平定されたとされる八族と関係あるのでしょうか?(編集部)
 
アマモ場のある場所をヘドロの捨て場にしようとする業者。岡田さんは立ち上がりました。観察会を開き、子どもたちに干潟のすばらしさを知ってもらう運動を2年間続けました。そして住民の半数の署名をなんと1ヶ月で集め、ついに市を動かして、干潟を守ることができたのでした。

(ハチの干潟調査隊―ハチの干潟写真館を参照ください)
http://www.geocities.jp/pipipopo227/

瀬戸内海の自然を守りたいという純粋主観と上関原発反対運動
 
ナメクジウオが結んだ縁は、カンナリウミスズメやスメナリという希少動物が棲む場所に計画された上関原発に反対する運動へと岡田さんを導きます。海を埋め立てて建設される上関原発。透明度15mというきれいな海に原発を建てるというのです。中国電力は、周囲の7漁港に125億円の補償金をばらまきました。ただひとつ残った祝島漁港。108000万円という補償金を拒否し、1982年から、もう30年もがんばりつづけています。祝島から上関原発予定地までは、4kmしか離れていません。137万キロワットという巨大な原発です。近くの原発というと四国愛媛県にある伊方原発があります。伊方3号機はMOX燃料を燃やしていますが、原発耐震度は全国最下位の危険な原発なのです。
 
20099月、中国電力の強行的な埋め立てに対して阻止行動が行われ、祝島漁港からは漁を休んで連日30隻以上が参加しました。中国電力は夜間にブイを設置するなど卑劣な手を使ってきました。さらに20112月、今度は600人以上の作業員と土砂を積んだ台船20隻を動員し、海上保安庁の船が漁船に体当たりするなど暴力行為を働きながら埋め立てを強行しようとしました。岡田さんもシーカヤックに乗り込み、命がけで抗議行動に参加しました。なんと中国電力側は、岡田さんを彼らの船の上で息もできないほどに抑え込み、岡田さんは4日間も入院を余儀なくされます。

漁民らの抗議行動で思うように作業ができない中国電力は、200912月、祝島島民2人、シーカヤックで抗議行動をしていた2人(そのうちのひとりが岡田さん)に対して4800万円の損害賠償裁判を起こしたのです。これはスラップ訴訟(SLAPP)と呼ばれる悪質ないやがらせ裁判なのです(現在、日本では3つのスラップ訴訟が行われており、ひとつがこの上関原発の反対運動に対するもの、2つ目が経産省前のテント広場に対するもの、3つ目が沖縄の辺野古のたたかいに対するものでいずれも不当なものです。編集部)。4年経過し2014年にいたるまで実に23回も弁論が行われました。たった5分の裁判でも、1日つぶして参加しなければばらないのです。おまけに中国電力の訴状は間違いだらけだったにも関わらず、裁判所は受理しました。その反対に、岡田さんが入院を余儀なくされるほどの暴力行為を働いた中国電力を訴えた損害賠償裁判では、いくら写真や診断書を提出しても、証拠不十分で不起訴にされてしまったのです。司法も不平等でした。中国電力へ情報公開を求めても、出して来る資料は黒塗りだらけで、そんな資料を40枚以上も平気で出してくるのでした。

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中国電力は、いつも「一次産業では暮らして行けなくなる」といやがらせをして来ます。生活できなくなるのは、一次産業だからではなく、生活の場である豊かな瀬戸内の海を中国電力が埋め立てしようとしているからなのです。原発に反対し、埋め立てに反対して、これからもともにたたかっていきましょう。



 (STOP!上関原発! も参照してください)
http://stop-kaminoseki.net/

広島から車で駆けつけていただきました岡田さんには、本当に感謝申し上げます。フォーラム後の懇親会にも残って参加していただき、参加者に熱い感動を届けていただきました。ありがとうございました。(文責、編集部)

11月緑フォーラム報告

11月 緑フォーラム報告
 
ドキュメンタリー上映&監督トーク


逃げ遅れる人々
        ―東日本大震災と障害者

監督:飯田基晴

11月緑フォーラムは、飯田基晴監督をお迎えし、「逃げ遅れる人々−東日本大震災と障害者」の上映とトークが行われました。

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2011.3.11は、福島原発事故を初めとする震災のあまりの大きさに、被災地の障害者のことを考える余裕がありませんでした。そんな時、「東北関東大震災障害者救援本部」から被災地の障害者のことを記録してほしいと依頼されました。
 被災地に入って気づいたのは、障害者の方々は逃げ遅れてしまうということです。津波被災で言い伝えられる「でんでこ(ばらばらに逃げる)」だけでは、問題は解決しないのです。また、自治体まかせでも解決しません。宮城県沿岸部での障害者の死亡率は、障害を持っていない人の2倍であったと言われています。

 自治体では、万一に備え、災害時の要援助者名簿を作っているところがありましたが、有効に機能しなかったのです。その第1の理由は、外部に名簿を公開しないからです。個人情報保護法や「自分の障害のことは話さないで」という個人の思いなどから、名簿が公開されませんでした。唯一、例外的に公開したのが南相馬市でした。第2に行政の職員も被災していることです。第3に安否確認がとれなかったことです。そのため、名簿だけあってもだめです。支援の計画を作る必要があり、「自助・共助・公助」の原則に立ち、名簿も含めて民間の団体にも公開できることが必要です。
 阪神大震災を教訓にして作られた「福祉避難所(高齢者や障害者、妊婦ら災害時に援護が必要な人たち(要援護者)に配慮した市町村指定の避難所。耐震やバリアフリーの構造を備え、介助員を置くことが必要とされる」)は、数も少なく、存在そのものが知られていませんでしたので、機能しませんでした。

 
 その中で、避難所に避難した障害者は苦難の日々を送ることになりました。ベットがないため、16日間も車椅子に座り続けなければならなかった女性がいました。トイレに行くこともままなりません。もう2度と避難所には入りたくないと話す方もいました。

 取材で驚いたことは、障害者の生活が地方と都会では全く違うということです。地方では家族が面倒を見ています。家族が面倒を見れなくなれば施設に入らざるをえません。でも都会では、ヘルパーさんがいます。女性の方であれば女性のヘルパーさんを希望することもできますが、地方では人材不足で、男性のヘルパーさんしかいない場合も多く、女性の希望通りにいかない場合も多いのです。
またヘルパーさんが障害について理解されていない場合もあります。人材不足の問題は大きいのです。

 
 いつ災害が起きるかはわかりません。私達は身の周りの人を守れるでしょうか。高齢者・障害者・子ども達は逃げ遅れる人々です。特に原発は、経済のために必要だと言われますが、誰のための経済なのでしょうか。「原発は回り回って社会を良くする」と信じられています。でも、生きているひとりひとりが押しのけられてしまうのです。一番困るのは弱者です。災害はそのことを顕著に表します。防災というのは、暮らしやすくなるようにするものです。みんな生きる権利を主張できるのです。 

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講演後の質疑応答で、参加者から、「いわき市の避難所では、多動障害と言われる子が物置に縛られていた」などというショッキングな体験談も話されました。
また、今回も講演後、飯田監督には残って頂き、懇親会を開催させていただきました。「この映画はいい映画だから、ぜひ緑フォーラムで上映会をやったら」と推薦してくれた方、相馬市に親戚がいる方などに参加していただき、交流を重ねることができました。ありがとうございました。

10月緑フォーラム報告

10月緑フォーラム報告



日本の平和と安全を福島と沖縄から考える
憲法を守り、生かすことが平和につながる
 
 講師 東京沖縄県人会名誉会長・昭和女子大名誉教授
    川平朝清さん

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1026日、東京都北区の銀河実験劇場で、東京沖縄県人会名誉会長・昭和女子大名誉教授の川平朝清さんを講師に緑フォーラムが開催された。
 
 来賓あいさつで緑の党・対馬テツ子党首は、「日本が今どう進むか問われている。東電福島原発事故の汚染水は海へ垂れ流し、放射能被害は深刻。被ばく線量が高く、労働者が不足し、収束作業が緊迫だ。飯舘村は“までいの村”で団結があったが、帰村を重視する中、命を守ろうとする長谷川健一さんは反村長派とレッテル張りされている。沖縄では、新基地は建てさせないと県民の意志をまとめているのは前進だ。基地のない日本、原発のない日本で安心して暮らせる。ところが政府は、秘密保護法を進めている。原発は国家機密、オスプレイが欠陥機であるという情報を集めるのも処罰となる。これはアメリカの意向もある。実際を見て戦争のない社会を作っていきましょう」とあいさつした。
 
 
 沖縄・福島の共通点
 
 
 川平さんは、「中学3年の女生徒に沖縄戦のことなど話し平和学習をする。憲法の前文の後半部分に“恐怖と欠乏から免れ…”とあるが、恐怖におびえたり、衣食住が十分でない人もたくさんいる、日本は平和か、と考えさせる。
 
 17歳の時、学徒動員で兵隊となった。戦争で300万人の日本人が死んだ。戦死した兵士270万人のうち130万人は餓死。もう少し早くポツダム宣言を受諾していれば原爆もなかった。
 
 “アメリカの核の傘の下、米軍基地が沖縄にあるおかげで平和が保たれている”という神話、“原発は安全で経済的だ”という神話が崩れた。どちらも、補助金、交付金漬けに依存させられている。しかし、今保守も革新もないオール沖縄で基地をこれ以上作らせないと闘っている。そして原発事故があり反原発の市民運動は盛り上がってきた。
 
 アメリカ主導の日本
 
 敗戦後、連合国により禁止された原子力研究は1955年アメリカに従うということで原子力基本法が成立し再開。19631026日(ちょうど50年前)初めて発電した。日本中に原発が54基もあり、原発がなくても、沖縄・横須賀には原子力空母や原子力潜水艦が来て危険だ。
 
 1945年8月、米軍に沖縄は占領され、本土から基地と米軍がどんどんやってきた。日本の戦後復興は朝鮮戦争、ベトナム戦争でもたらされた。戦前からの強制連行、侵略の歴史からしても、朝鮮半島の犠牲の上に復興があった。在日朝鮮人に対する卑劣なやり方はしてはいけないことだ。EUはドイツとフランスが和解し、若者たちが交流して統一した。50年になる。日本も中国、北朝鮮、韓国と和解し、若者の交流・友好を築き、東アジアの共同体を作るべきだ。日米安保により日本は主権と人権を失った。海兵隊が沖縄米軍基地の7割を占める。犯罪が起きても主権がない。イラクは日本の現状から学び、イラク戦争の後、占領したアメリカにイラクの主権を要求し、裁判権をもち、イラク周辺国への攻撃を認めず、駐留期限をつけ撤退させた。核や汚染物質の持ち込みを認めず、出入国の管理、管轄もイラクが持った。日本はアメリカの意のままで、航空権も米国がもち、税金も減免され、財産権も米国にある。無権利である。日米安保は10年で期限が来るのだからやめればいいだけ。日米原子力協定も2018年に期限が切れるから終了すればいい。
 
 憲法は、戦争放棄、国民主権、基本的人権の尊重の3つの柱がある。主権、人権のある国にして、戦争を起こさないよう語り部としてこれからも伝えていきたい」と語った。

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 川平さんは86歳になると言っておられたが、実に明快で、平和への想いが伝わってきた。
 
 参加者から「母の実家がある沖縄に中学生の頃行ったが、米軍機の騒音で1週間しかいることができなかった。学校のすぐそばに基地があった」「学生時代憲法の前文を暗記させた教師がいたが、今思えば大事なことだった」「自民党の憲法草案に天皇を元首とし…と出て驚いた。戦中、御真影を掃除するときなど最敬礼で見てはいけなかったが、子どもだから隠れて見ていた。軍国少女で教育され今思えば悔しい」と活発に意見が出された。
 
 アメリカの言いなりで戦争に向かう危険な社会ではなく、憲法を生かして、原発のない、米軍基地のない平和な社会に向かって歩いていこう。(日本新聞より転載させていただきました)
 

8月緑フォーラム報告

 
2013年8月 緑フォーラム
「朝鮮学校支援の必要性と
             差別の構造」
  講師:一橋大学名誉教授 田中 宏 さん



8月緑フォーラムは、一橋大学名誉教授の田中宏先生をお迎えして開催されました。残暑厳しい中、先生および参加者の皆さんには厚くお礼申し上げます。
 
 
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田中先生は、「私を朝鮮人の手先のように言う人がいるが、私は朝鮮の人たちのために話しているのではない。日本がもっと良い国になるようにと願って話しているのだ」と自分の立場を明確にし、話してくれました。朝鮮学校がなぜ必要か。それは、日本は朝鮮を植民地とし、朝鮮人から言葉を奪ったのだ。日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏した。ポツダム宣言はカイロ宣言を前提としており、その中に「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものとする」とうたわれ、日本は朝鮮を原状回復する義務を負っている。日本は朝鮮民族を消滅させようとし、言語を奪った。朝鮮学校こそ、奪われた言語を回復する場なのである。下関条約で台湾を併合することから始まった日本の植民地政策は、カイロ宣言をもって、中国・台湾と朝鮮への支配が終わったのである。
日本が、朝鮮人の子ども達が朝鮮語を話せるように、朝鮮学校での朝鮮語の教育を保障することは、日本の義務なのである。それが、カイロ宣言とポツダム宣言を受け入れて、無条件降伏した日本がかならずやらなければならないことなのである。

 
 日本人とアジア人では、歴史への向き合い方がまったく違う。私はかつてマレーシアからの留学生に、「日本は今度新しい千円札に伊藤博文の肖像画を採用したけれど、薄気味悪いですね。朝鮮の人もこの札を使って買い物をするんでしょう。ずいぶん残酷なことをするんですね」と言われたことがある。(伊藤博文は初代の朝鮮総督であるが、そのことを圧倒的に日本人は知らない。編集部)アジアでは、近代史をきちんと教えているが、日本では教えていない。日本では今、北朝鮮バッシングが教育を捻じ曲げている。拉致問題を出して、北朝鮮バッシングすると受けるようになっている。しかし、国連から警告されている。韓国でも関心が高まり、それが映画「ウリハッキョ」やモンダンヨンピル(ちびた鉛筆)の活動に現れている。1936年のベルリンオリンピックで日本選手として出場したソン・ギジョン(孫 基禎)選手は、金メダルを獲得した。朝鮮の新聞「東亜日報」は、ソン・ギジョン選手の胸の日の丸を消して新聞に載せたため、記者が逮捕され、同紙は発禁処分とされた。ソウルオリンピックの誘致の時、ソウルと名古屋が争ったのだが、そのソン・ギジョン選手が前面に立って、ソウルへの誘致を訴えた。名古屋の人たちは、ソウルに負けるわけがないと高をくくっていたが、ふたを開けるとソウルに決まり愕然としていた。これはひとつの例だが、今、東京オリピックを誘致するために東京都知事らが宣伝しているが、その一方で「朝鮮人を殺せ」などというヘイトスピーチを放置している。歴史がいかに大事かなにも学んでいないのである。
 
 今、高校無償化から朝鮮学校を除外することは差別だと裁判を各地でたたかっている。朝鮮学校の問題は、日本の植民地支配と密接に関わっている。我々がその歴史とどう向き合うかが問われている。


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 講演後、会場からたくさんの質問意見が交わされ、その後の懇親会でもたくさんの方が発言してくれました。遅くまで残っていただいた田中宏先生には、厚くお礼申しあげます。ありがとうございました。

3月 緑フォーラム報告

3月緑フォーラム  映画上映&島田恵監督トーク
 
 
「福島 六ヶ所 未来への伝言」
 
― 原子力といのちは共存できない ―
 
 
板橋区のハイライフプラザいたばしで、3月の緑フォーラムが開催された。今回は、核燃料サイクル事業が進められる青森県六ケ所村を20年間撮り続けた写真家の島田恵さんが初めて製作した映画の上映とトークの企画。実行委員を中心に板橋区内で反原発の署名活動をし、ビラを配り、会場にはたくさんの方が見えた。  
 
 
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福島の母親、農家、六ケ所村の漁師の生の声 
 
島田監督はチェルノブイリ原発事故後青森県六ケ所村を訪れ、核燃施設建設に猛烈に反対し闘う農業者漁業者に衝撃を受け12年間は村に住み取材。結局、核燃サイクル基地は建設されるが、激しく闘った歴史を未来に伝える為映像で残したい、と映画制作を開始したのが2011年初め。 そして3.11の東日本大震災と原発事故が起き、福島も撮影し、映画ができた。福島県大熊町の田辺さん一家は東京都内の都営住宅で避難生活を送る。新築の家で小さな子どもを育てながらの生活は一転。「自分は東京にいてあまり被ばくを心配しないでいいが、福島にはまだたくさんの友達が子どもと暮らしている」と涙を流す母親。郡山に住む佐藤さんの小学生の子は「学校のブランコは放射能がついているから乗らない」とマスクをして登校する。夏休みの保養で、妹と外で思いきり遊び楽しそうだ。福島で高くても県外産の野菜を買って日々気を使い生活。「福島に家族と住みたい。でも…」泣きながら苦悩し、新潟への母子の避難を決めた。 郡山市の有機野菜農家の中村さんは、「息子にいい土を残したかったのにすまない」と言いながら、放射能の影響に苦しみながらも米を作り続ける。長年の消費者も涙を流し苦しい選択をしていた。 六ケ所の漁師の滝口さん一家の核燃反対闘争当時と現在の映像が映された。「私たちのやったことは間違っていない。子や孫にきれいな山と海を残したかった」とお母さんが語る。そしてお父さんは「わずかの金で皆落とされた。必要なら大都会に原発作ればいい。田舎の人をバガにしてる。バガにされたの。情けねぇ」と語る。  
 
原発問題はエネルギー問題でなく利権 
 
 
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上映終了後のディスカッションで初めて参加した青年が「都会で使う電気なら都会に原発作ればいい、という言葉が心に残った。原発問題をどのように解決したらいいと思うか」と質問した。島田監督は、「原発はエネルギー問題でなく利権問題だ、と考えている。経済というなら、この事故で相当の大損害だし、命の危険にさらされている。にもかかわらず、なお再稼働しよう、というのはそれで儲ける企業があるから」と答えた。 漁師の滝口さんは、マダラからセシウムが出て出荷停止になったため、せっかく息子と獲った魚を海に捨てる。その苦渋の顔が目に焼きついて残る。福島だけでないが、農家、酪農家、漁師、林業、故郷がゴーストタウンと化し家に帰ることのできない人、「避難する、しない」で家族がバラバラにされた人…。この実際を見てもまだ原発稼動を選択し、未来に引き渡すのか。自然の中で人間が生かされていること、命ということを深く考えさせられた。原発は廃止しかないし、命より金が大切にされる社会を変えるために力を合わせていくことが大事である。 (日本新聞より転載させていただきました)

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