緑フォーラム

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2011年12月緑フォーラム報告

竜宮神と日本
絶対悲劇を繰り返さないために歌で子らに伝える
−歌い語る海勢頭豊さん−

 12月25日、東京都北区の銀河実験劇場で緑フォーラムが開かれた。沖縄から反戦の熱い思いでかけつけてくれた海勢頭豊さん、娘さんの海勢頭愛さんのバイオリン、島田路沙さんの柔らかい歌声、ギターの弾き語りでのトーク&ライブ。深みのある歌声に感動した。
 
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 「私の父も靖国神社に奉られているが、私は徹底して沖縄の戦後を見ながら平和について考えてきた。心の問題、教育の問題なんですよ。愛国心というが、愛していい国を作るならいいが、今違う方向に向かっている。戦争前夜と言っていいくらい。今こそ私達は立ち上がらなくてはいけない。沖縄戦の前年、学童疎開船の対馬丸が沈没させられた。ただ天皇の下にひたすら戦争に突き進んでたくさんの犠牲者を出した。沖縄戦の悲劇を歌ってすむなら、皆悲劇を歌っていればいい。悲劇を起こす前に、絶対戦争をしてはいけないという決意がないなら、戦争の反省にならない」と、語り歌った「ああ対馬丸」。哀愁のある節が、子どもを死なせた無念さを思わせる。

 「沖縄の人は戦争するはめになり加害者となった。皇民化教育を受け入れ正しいと思っていた。収容所から出たら、土地を基地に取り上げられて帰るところがなくなった人もいた。戦後は落ちている砲弾とか戦車、沈没船などを引き上げて、くず鉄産業が盛んになり、これが朝鮮戦争に利用された。落とされた物をまた戦争に使った。二度と戦争は嫌だと思っていたのに。線上の傷痕を隠すように植えられたさとうきび。戦後天皇から解放され、母やおばあたちが伝統祭祀を復活させた。神女達の神歌を調べていくうちに竜宮神、沖縄の歴史、日本の歴史がわかってきた。ヤマトの騒乱を世直しする(平和運動)のために卑弥呼は沖縄を出発していった。各地にその習わしや地名、勾玉、三つ巴が残っている。武力で国を治めようとする男性天皇に代わり、平和的に祭りごとをし暮らそうという女帝。今も残る「赤椀の世直し」という神歌。

 沖縄全体が部落。まつろわぬ民だ。沖縄の価値観は絶対的、きよらな文化だ。“ちゅら”に美の字をあてるのは間違い。本土は相対的価値観。相手の出方によって戦争をやる考え方。

 「喜瀬武原」は米軍の実弾演習に抗議した闘いの歌。「月桃」は沖縄戦の事を子らに伝える為に作った歌。今では沖縄中の子どもが歌う。最後に歌ってくれた「月桃」は清らかな歌で、映画 「GAMA−月桃の花」の主題歌でもあり、全国に広まっている。荒野座の北野燕里さんも公演で歌ったことがある。戦争を伝え、二度と繰り返さない闘いを精力的に続ける海勢頭さんの語りと歌が心に残った。
2011年11月緑フォーラム報告
 
健康と自由、幸福と平和を実現する食と農について
農薬、放射能…命と生活を破壊するものに反対しよう

 
 11月26日、東京・北区の銀河実験劇場で緑フォーラムが開催された。講師は「日本を放射能被曝から守る会」会長の阿部一理さん。
 
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 阿部さんは「3.11は人類に物質文明がこのままでいいのか、とつきつけている。福島の原発事故は、非常に体に悪く恐ろしい。ただ日常の生活で健康に気をつければある程度は守られる。病気は生活習慣の悪さから起きる。2500年前にギリシャのヒポクラテスは『食べ物で治せない病気は、医者でも治せない』と言った。西洋医学はすぐ薬、手術で、人間の自然治癒力を無視する。人間の体は食べた物で作られる。今の医学では血は骨髄で作られると言っているが、腸のほうが正しいと言われている。腸内壁の絨毛という突起に食べ物が置かれると赤血球の細胞ができる。放射線があたるとその絨毛がだめになる。

 長崎原爆の爆心地から14㎞にあった病院の秋月辰一郎院長の食事指導で約70名のスタッフ・患者は死ななかった。秋月博士は幼少から心臓が小さく病弱だったが、ある時食事療法で心臓が人並みに大きくなり、医療に生かした。阿部さんは、秋月博士と直接会って話を聞き、「玄米食の素晴らしさを知った」と語り、具体的な食生活についてのアドバイスをしてくれました。

自分と未来を変えるために

 食事のポイントは、
①発酵食品を食べる。(無添加の味噌、ぬか漬けなど)
②食物繊維をとる
③冷やしてはいけない。(体温が1度下がると免疫は30%下がる)
④肉、牛乳、白砂糖は体に良くない。
⑤農薬、化学物質をとらない。(遺伝子組み換え作物、食品添加物等)

日本の元禄以前の食生活が望ましい、とアメリカの学者が研究し、海外ではそういう食生活をしている人もいるが、日本はジャンクフード、添加物、農薬があふれている。

 そして、過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられるのだから、健康な食事をし、命をだめにするものには反対していこう、とユーモアたっぷりに笑わせながら語った。

 阿部さんはお菓子屋に生まれた為、小さい頃から砂糖をたくさんとっていて、体重も27㎏しかなかったというが、食事に気をつけ、若々しく精力的に全国を回り講演している。世界でも一部の者の金儲けのための謀略と戦略により、人間の命が奪われているが、食料で儲けようという者にとって「自分の食べ物は自分で作る」ということが恐ろしいのだから、自然農法でそれぞれが食糧を作ることは大事、とも語った。

 農薬を使わずに食べ物を栽培し、添加物など取らない。放射能を取り込まないように、早く体内から出すべく食に気をつけ、健康な体で活動できることが幸福につながる。笑いながら、日常生活を見つめ生きていくことの大切さを学んだフォーラムでした。
 
2011年10月緑フォーラム報告

放射能と食べもののはなし
ゼロでない限り放射能の影響はある一ゆるい日本の暫定基準

 10月29日、東京・北区の銀河実験劇場で、食政策センタービジョン21代表の安田節子さんを講師に緑フォーラムが開催された。
 
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 安田さんは、「まず、この未曾有の原発事故は、台風などの天災ではなく、東京電力という一企業が起こした大公害事件であることを押さえてほしい。加害者東電が補償しなければいけない。原子力保安院は8月末に、セシウムは広島原爆の180個分に相当する、と発表したが、雑誌のネイチャーではその2
倍以上といっている。1時間に1億ベクレル出ている。爆発当時の400万分の1になったというが、つまり当時の放出がいかに大変だったか。各地にホットスポットが確認されているが、他は計測していないから出ていないだけ。これからも広がっていく。放射性のガレキを東京都でも引き受けるというが、『汚染は拡散しない』が原則。

 暫定基準は安全基準ではない
 
 体内に取り込むとどんなに微量でも、細胞のすぐそばで入っている分の放射線が出て遺伝子を傷つけ、必ず健康に被害を与える。放射能汚染された食品は出荷・販売されてはいけない。これを飲食してはいけない。食品添加物や農薬漬けの食品と放射性物質は、足し算でなくかけ算で体に影響するといわれている。カルシウムやカリウムなどと間違えて体が放射性物質を取り込む危険があるので、旬の食材など日頃から安全な食料を手に入れることが大事。
 500ベクレルという暫定基準は、政府もこれ以下なら安全という基準ではないと言っている。来春100ベクレルに下げると言っているが、ドイツ放射線防護協会では「成人は8ベクレル、こども、青少年は4ベクレル以下」と提言している。100でもとても高い。最近発表された「一生涯100ミリシーベルト」、わけがわからない。子どもの基準を全てに適用するのがいい。

 亡国の政策・TPP参加は許されない
 
 政府は、魚も肉も野菜も全て流通するものは全量検査すべきだ。狂牛病の時は全頭検査した。データを表示して消費者が選択し買う。補償がないから生産者は生きられない。議論もなくTPP加盟を表明しようとしている。安い輸入農産物が入って来て国内の農業がつぶれ、農民の手放した土地にアメリカなど入って来て、東南アジアなどから安い労働力を連れてくる。それを許し、日本という国がアメリカに乗っ取られるのがTPPだ。反対し止めなければいけない」と熱く語った。
 
 そして、食生活では、汚染のない地域の物を食べる、水洗い、酢洗い、ゆでるなど処理して取り込みを防ぐ。体内に入った放射性物質の排泄を促すため、味噌など発酵食品、玄米、ペクチンの多い果物を取るなども有効だと具体的に説明してくれました
 
 参加者からも積極的に意見が出され、その後、会場から「原発反対」の意見を声に出して作り上げる「民衆劇」で盛り上がり、活力のある緑フォーラムだった。
 福島原発事故後データや被曝の危険を公表せず、被曝させた。そして今も子ども達が福島で被曝して
いる。原発推進政策も事故後の対応も命を第一に考えない政治の表れだ。命と生活をおびやかすTPP
参加、原発に反対し運動を広げていこう。

2011.9月 緑フォーラム
 
福島原発事故で飯館村に何が起きたか
原発事故を風化させない、差別のない社会を

 9月17日、東京・北区の銀河実験劇場で福島県飯館村の酪農家・長谷川健一さんを講師に緑フォーラムが開催された。
 
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 豊かな自然の中で牛を家族の様に育てていた長谷川さん達酪農家。事故後、搾乳はするがすべて廃棄しなければならない。子牛は手放し、乳牛は屠畜。無念の涙が流れる。ついに全酪農家は廃業した。
 長谷川さんの家は福島原発から43㎞の距離にある飯館村前田地区、長谷川さんは区長をやっている。貧しくてもいい、力を合わせていこうと南相馬市と合併せずに「までい」(ていねいに、手間ひま惜しまずに、心をこめて)の精神で村づくりをしてきた。「飯館牛」はブランドになった。しかし、福島原発事故の時、風向きは北西、まっすぐ放射能雲は飯館村に向かい、放射能の雨が飯館村に降った。3月14日夜、村の対策本部では線量を測っていた担当者が「45マイクロシーベルト超しているが、公表するな、村長に止められている」と言った。「何言ってる!」と長谷川さんは地区に戻り、すぐ住民を集め「外に出るな、出るならマスクして、帰ったら服は全部着替え風呂で身体を洗え、子どもは外に出すな、外に生えている物を食べるな、洗濯物は外に干すな…」と指示した。(実はその時ジャーナリストが測った前田地区は100マイクロシーベルトまで測れる機械のメーターが振り切れていた)
 行政、東電、御用学者がデータを隠し、「大丈夫、安心してください。マスクもいりません」とわざわざ飯館村に言いに来た次の日(4月11日)飯館村は計画避難区域と発表された。行政から、牛の移動、牛乳の出荷、補償など一度も指示はなかった。その中、長谷川さんは酪農家を集め会議を開き、「廃業でなく休業し、補償させる。その金はいつかまた酪農を再開する時の資金にする」と決定した。避難先の仮設住宅にしても区の人がまとまって住めるよう奔走した。
 
 長谷川さんが見事な決断力と行動力で住民を守ろうとしたのと、国や行政、東電の態度は命を第一に考えず、あまりにも違うと思った。

酪農家の自殺と差別
 
 「原発さえなかったらと思います」と書き残して無念の自殺をした酪農家と長谷川さんは友人だった。102歳の老人が「足手まといにならないように」と自殺した。93歳のおばあさんが「私は放射能のないお墓に避難します」と自殺した。女子高生は「私達は結婚できない、子どもを産むことはできない」と話しているという。「福島の子ども達は一生放射能被曝を背負って生きなければいけない。差別のない社会を作ってほしい、原発事故を風化させないでほしい」と長谷川さんは訴えた。
 
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 参加者からも意見が出され、地震当日福島第一原発4号機で働いていたという方が、原発内部のしくみや4月1日になると年間被曝がゼロからスタートすること、東電の幹部は天下りで原発のことはわからない、など具体的に説明した。
 福島の人々の命と生活を狂わせてしまった原発事故。原発は全て廃炉にするしかない。
2011年8月緑フォーラム報告
 
写真家・樋ロ健二さんを迎えて
原発被ばく労働者を追って−被ばく労働なしには動かない原発−
 
8月20日、東京・北区の銀河実験劇場で「原発被ばく労働者を追って」のテーマで、写真家の樋口健二さんを講師に招いて緑フォーラムが開催された。
 
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 樋口さんは撮った写真をスクリーンに映しながらレクチャーした。1966年から四日市ぜんそくの公害病患者を取材した。亜硫酸ガスが四日市コンビナートの煙突からモクモクと排出される近くの学校で体操する子どもたち。住民の体は蝕まれ、苦しみ、死んでいった。長い裁判闘争も取材し続けた。

 事実の裏にある真実を

 「私は売れない写真家」と樋口さんは言ったが、『反社会的写真家』『反国家的写真家』とレッテルを貼られたという。政治屋、財界、御用学者、情報化産業、司法に守られているのは真実を伝えない。
 福島第一原発事故により、労働者の被爆が問題となり、樋口さんの写真が注目され、たくさんのマスコミやジャーナリストが勉強させて下さいと来たという。絶版だった本も出版された。

 1974年敦賀原発を相手に岩佐さんが、わが国初の原発被曝裁判を起こした。非常に精神力の強い岩佐さんも、膝の放射線皮膚炎で苦しみ、時に樋口さんにも辛く当たったが、それでもまた通って取材した。"もうやめよう、でもここでやめたらますます原発労働者が苦しみ死んでいく"と考えて通い、自らも被爆しながら何と原子炉内の写真を撮らせてもらった。それはどこの公害病患者の時もそうだったが、何度も通い話しかけるうち、病室に泊めてくれたりしたという。「これはもしかしたら自分の姿だ」という樋口さんの心が伝わったのだと思う。
 
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 日本に54基も原発があることが問題であり、それは差別の上に成り立っている。原発(電力メーカー)→元請け(日立・東芝・三菱)→下請け→孫請け→ひ孫請け→人出業(親方)そして最底辺に、農漁民、被差別部落民、元炭鉱マン、寄せ場、労働者がいる。被曝するのは最底辺の人々である。(今回東電が社員を500人事故対策に投入したのは今までありえないことで、マスコミ受けのため)危険を知らされずに被曝労働させられ、何年か後には白血病やガンになり死んでいく。労働者を踏みにじって豊かさを追って生活していいのか、と問いかけた。「原発を取材するとコンピューターが並びそれを操作する技術者がいる制御室を見せられるが、被爆しながら炉内の床を拭いたりパイプを点検する労働者がいなければ1日たりとも原発は動かない。40万人以上被曝労働者を生み出し、労災が認められたのはたった10人、闇に葬られている。それをぜひ皆さんが変えていってください。今変えられなかったら大変なことだ」と樋口さんは呼びかけた。

 参加した一人の男性が「原発で働き4年間で60ミリシーベルトあびた。3分間で3ミリシーベルト被曝したがまだ生きている。福島第一、第二、浜岡、女川、東海、柏崎、伊方も行った。原発労働者の年間被曝量基準を下げるのは正論だが、低くすると下請け労働者は仕事がなくなるから被曝のごまかしなど闇の部分が増えるから下げないほうがいいんじゃないか」と発言した。樋口さんは「この位は大丈夫、というのは捨てた方がいい。50ミリだって多い」と言った。他の参加者が「そういっても仕事のない現実をどうするのか」と発言し、女性の参加者が「私は青森の出身だが、青森に来る予定だった企業も原発事故で逃げていき、農民も漁民も生きられなくさせられている。農業や漁業で生きられる社会がいい」と発言した。

 これ以上被曝労働者が増える事に反対し、全ての原発を廃炉にするために訴え続けていこう。

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