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表題のテレビ番組を見た。 死刑制度に対して日ごろ確とした意見を持っているわけではない。 理不尽で極悪卑劣(と自分が感じる)犯罪が起きれば、犯人は死刑も当然と思ったりするが つい先ごろの鳩山法相時代のように、ベルトコンベア状態で死刑囚が刑場へ送られたニュースを聞けば 本能的に恐ろしさを感じ、死刑容認派が85%とのアンケート結果に、ちょっと待ってよ、、と、 異論を挟みたくもなる。 裁判員制度が始まって早や1年。市民裁判員自らが死刑を下す裁判も、今後ありうるという。 そうした中、この番組は観念論の「死刑」でなく、実際の「死刑」とはどんなものなのかを、 考えるきっかけを与えてくれた。 いわば「血の通った」生身の死刑囚と、彼を取り巻く担当検事、弁護人(家族)など関係者を登場させ、 視聴者が感情移入しやすい構成になっていた。しかし安っぽいお涙頂戴の話ではなく、 関係者の述懐も極めて冷静沈着で、事実からなるべくバイアスがかからないような配慮が伺われた。 (被害者については敢えて一切触れていなかった。焦点が2つになることを恐れたのだろう。 その手法でよかったと思う。) この事件の犯人の「死刑」が妥当な判決であったのか、なかったのか、 それにはどこまでいっても正解はない。 しかし正解ではなくても、いろいろな「比較」はできる。 また、死刑を回避できたとしたら、それに足りなかったいくつかの点を、番組では明らかにしていた。 裁くのも裁かれるのも人間なのだから、感情や先入観など、さまざまな不確定要素で判決が左右されていく、などと私は素人だから、簡単に言ってしまうけれど、法曹専門家は、そんなことは言えないだろう。 だからこそ、この番組の中心的登場人物であった最高検察庁元検事、土本武司氏の苦悩は大きいのだ。 彼の中の「検事」と「人間」―ふたつの人格が心の中で葛藤を続けていた。 「鬼(検事)にはなれなかったのですよ。」と言葉少なに語る元検事はとても人間的に見えた。 彼は死刑囚を救おうと身を挺して闘ったヒーローなどではなく、 ある時は組織の中の個人として、またある時は法治国家の番人として、心が揺れ動くままであった。 死刑に立ち会うことも検事の任務の一つだというが、それを避けたがる検事が多いのが事実だという。 別の死刑の立会いを志願したことがある土本氏だが、その時の証言を基に、スタジオに刑場が再現され、死刑の手順がなまなましく伝えられた。 死刑判決を下した裁判官、執行命令を下した法務大臣、死刑を容認するマジョリティ市民、は、刑場の空気(音やにおい)をどれほど理解しているのだろう。 実際に立会い、何らかの係わりを義務とする職業の人(読経僧、検死する医師、看守、刑務官など)との温度差はどれほどだろう。 番組を見ているうちに、人間は犯罪の被害者にも加害者にもなりうるものだ、 なりたくなくてもなりうるものだ、当たり前のことを思った。 死刑について、他人事として軽はずみな考えを持ってはならない、と考えさせる番組であった。
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「休暇」っていう映画では生々しく死刑執行の様子が描かれて良かったです。立ち会いたくない、という気持ちは理解はできますね。でも制度としてあれば、誰かが執行しなければならないわけだ。
2010/6/9(水) 午後 11:28 [ BORA ]
ボラさん、「休暇」と言う映画のこと全く知りませんでした。劇場公開終了のようなのでビデオがあったら観てみたいと思います。小林薫は好きな俳優だし、、。世の中には辛い職業というのがたくさんあるもんですね。
2010/6/10(木) 午前 0:54