気まぐれ日記

気まぐれグランピーの世相やぶにらみ

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年末に映画『ハンナ・アーレント』 http://www.cetera.co.jp/h_arendt/
を観て以来、「悪の凡庸さ」について頭から離れない。アイヒマンを捕えてみれば、悪の権化のイメージとはかけ離れた、あまりにも小粒のどこにでもいそうな小市民であった。すなわち、ユダヤ民族撲滅を図った史上最悪の罪業といえども、それを引き起こしてしまったのは一人の特異の極悪人(ヒットラー)がいたからではなく、それを支えた無数の普通の人々がいたからだとする考え方である。
裁判にかけられたアイヒマンは言う、自分は上官の命令に従っただけだ。たとえば自分が命令に従わなかったとしても、代わりの誰かがそれを遂行したであろう。それだけのことだ、、、。
そのありふれた開き直りを聞いて、「それは通常の上司の命令とは問題のレベルが違いすぎる話だろう」と簡単に捨てておけるであろうか。いったいどこまでが通常の命令で、どこからが尋常ではないと判断できるのか。それに尋常ではないとわかっていて、人はどこまで上司の命令に背くことができるだろうか。しかも戦時であればなおさらのこと。

また「悪の凡庸さ」と関連して考えてしまうのは「無関心ゆえの加害」である。
いったい私は無関心であってはならないことに対して無関心であるがゆえの加害者に、どれほどなっているだろうか―。
「無関心であってはならない事」は時々に変わるかもしれないし、人それぞれで大きく異なることではあろうが、それにしても「悪の凡庸さ」と関連して「無関心ゆえの加害」を考えてしまうのは、目の前のどんな社会状況にも思考停止で無関心になってしまうことの恐ろしさを自戒を込めて思うばかりである。

もう少し具体的な話をするなら、昨年12月6日にあのように強引に秘密保護法を成立させてしまったこと。また沖縄の基地問題で、あるいは福島原発被災地で、多くの人の苦悩をよそに、それをどこ吹く風で暮らしている現在の日本の多数派。(私ももちろんその一人なのだが、、。)
そのような現状を見て、今の「思考停止」が「凡庸の悪」と重なるところ、重ならないところ、など考えると無能の頭ではますますもやもやしてしまうのだ。

身近な引き合いを出すと、私は選挙のたびに自分の子供などに投票を促し、その理由も簡単に説明している。秘密保護法案審議の時も注意喚起した。
しかし私よりもっともっと将来影響を受けるはずの世代者であるのに、関心は薄く、のれんに腕押し状態だ。ただし明らかなのは、彼らは毎日の生活で精一杯だということ。それ以前に考えることをしないのも確かではあるが。

そういう無関心層は、今後ますます息苦しい時代が来たとしても自業自得と言って諦めるべきなのか?
それとも鈍重な無関心層はどこまで行っても無関心を通して、息苦しさにも無感覚でいられるのだろうか。そのような人間は馬鹿なのか、小利口なのか、幸せなのか、不幸せなのか、、、

などなど、現状と絡めて、また自分と絡めて、「悪の凡庸さ」とそれを思い通りにする見えない力の存在を感じて、もやもやは晴れない。

2月9日には都知事選が待っている。

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