|
参院選挙の前に、止むに止まれずこれまで政治がらみの話をしたことがなかった知人らに、言葉に気を付けながら、選挙の争点の最重要事項は国のカタチを変えることの是非が問われていること、野党に投票してほしいことをメールで訴えた(電話は苦手)。 私はたとえば地元の選挙で「〇〇さんに投票して」のような応援はできても、〇〇党はダメ、〇〇党に投票を、みたいなことは苦手であった。逆に自分が言われたらむしろむかつく。だから露骨に現政権を批判する言葉は避けたので、私の気持ちがどれほど伝わったかと反応を気にしていたが、返事をくれた人はほぼ一様に現政権の独裁的な手法を怒っていたが、、 しかし、選挙の結果は改憲発議ができる2/3を超える議席を与党に与えてしまった。 三度の与党の勝利も、巧妙な選挙制度、投票率の低さ、腰の引けたメディアが成せる業だろうと思う反面、今回ほんの少しではあるが知人とのやり取りから垣間見えたのは、現政権の政治手法を批判し、けしからん、と立腹しながらも、その程度は人さまざまで、一貫性が無かったり、党より人柄で選ぶとしたり、彼らの批判、怒りの矛先は必ずしも投票(選挙区と比例区)に直結していないのではないかという疑問だ。 平たく言えば危機感が薄いのではないか。私のメールにおおかた同意の返事をくれた人たちも、そこには「おとな」の社交辞令じみた気配もあって、怒りも批判もどこか他人事。その甘さが毎度毎度の結果を招いているのではないだろうか。 今日、ネット上の以下のツイートを目にした: 「長谷部恭男さんは、人々は日常や生活設計を楽しみ悩むべきで、日々憲法について考えなければならないのは不幸だと言った。憲法を忘れての幸福追求を可能にする立憲主義を壊させないことが、そうした不安から解放される早道だと。」 多くの私たちはこれまで憲法には無意識に暮らしていた。危機感が薄いのは平穏の裏返しかもしれない。憲法を忘れていられるほどほどの国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3原則に守られた世の中だったからだ。しかし今それを失くすため、形骸化するために、憲法を変えようとする力がある。 空気のように、無くして初めて現憲法の価値がわかるのでは遅い。
今こそ、危機感を持って憲法と向き合わねば。 |
TOP
[ リスト ]







