気まぐれ日記

気まぐれグランピーの世相やぶにらみ

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全113ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

「特定秘密保護法案」を何が何でも今国会会期中に成立させなければならぬ、と必死の安倍政権が見据える近い将来図にはいったいどのような絵柄が見えるだろう。
先の石破幹事長の「(デモ活動で)単なる絶叫戦術はテロ行為と変わらない」とする発言はもとより、その後の場当たり的撤回・訂正を聞くにつけ、石破氏の言う「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」という弁解をそっくりそのまま今「特定秘密保護法案」を無理やり成立させようとする石破氏始め現安倍政権にお返ししたい。

先日、ドキュメンタリー映画『レーン・宮沢事件』がよみがえる〜国家秘密体制の爪痕〜を見て、国家が国民を凌駕する社会の恐ろしさを改めて感じた。
http://mainichi.jp/select/news/20131118k0000m040127000c.html

これは72年前に秘密漏えいの疑いでスパイ疑惑をかけられた北海道帝国大(現北海道大)学生、宮沢弘幸さんが逮捕された冤罪事件だ。太平洋戦争開戦の当日(1941年12月8日)に逮捕された宮沢さんは戦後になって釈放されたものの、長期投獄という極悪環境は体を蝕み、1947年にわずか27歳で亡くなった。言論の自由が憲法で保証される戦後社会になっても宮沢さんの死後長い間、ご遺族を初め関係者の多くは、この事件について固く口を閉ざしていた。一度貼られた「非国民」のレッテルは、もがき、あがくほど毒薬が体中に回るような苦しみを伴うものなのだろう。しかしこの事件を忘れてはならないと執念を燃やした方々(上田誠吉弁護士ら)がいたおかげで、この映画や本が世の中に出ることになったし、宮沢さんの実の妹さんは今では積極的に冤罪の危険性を訴える活動などなさっているようだ。

この事件が今注目を浴びているのはいうまでもなく、今般の「特定秘密保護法案」の危険性からだ。自民党の町村元官房長官は戦前の「軍機保護法」と類似しているとの懸念について「日本を戦前のようにするんじゃないかと、どうして極端な話が出てくるのか。全く理解できない」と批判したそうだが、本当に「全く理解できない」にしても、理解できないふりをしているにしても、このように想像力が欠如した政治家、政権が作った「特定秘密保護法案」など恐ろしいの一言に尽きる。だって人間の本質なんてそんなに変わるものではないからだ。

「国益のため」なら問答無用で納得していいのか?
「国益のため」なのに反対したら非国民になるのか?
しかし「国益」=「国民の益」では無いような気がする。
それは一部の、富を持つ国民にとってはますます益となる「国益」であるかもしれないが、そのために多くの国民は目耳口を封じられたまま、ひたすら「国益」を生み出す道具にされる。


特定秘密保護法案は廃案に!!

秘密保全法案って?

イメージ 1

秘密保全法案って?

みなさん、「秘密保全法」 って知っていましたか? 

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO59415920X00C13A9EA1000/ 

と言う書き出しで藤原紀香さんがご自身のブログで書いている。

日本弁護士連合会「秘密保全法とは?」
http://www.nichibenren.or.jp/activity/human/secret/about.html


秘密保全法案についてのパブリックコメントを2週間のみの募集中で、締め切りがあさって17日に迫っている。

私は17日まで、、とぐずぐずしていたが、紀香さんに背中を押されて、この法案を危惧する一人の国民としてパブコメしました。
国民の知る権利や、報道・取材の自由が、今より狭まる危険性があると思うからです。

この法案についての報道も少ない中、知らないうちにとおってしまうことを恐れます。

以下からコメント送信できます。

イメージ 1

前評判も賑わっていたが、一般公開後の評判もうなぎ上りで、つい先日の日本禁煙学会からの苦言が逆に袋叩きに遇っているようだが、この映画を見ても今一つ気持ちが乗れなかった。
私は宮崎駿アニメのファンというほどではないにしても、過去の作品で大好きな作品はいくつもあるし、先ごろの憲法へのメッセージ(憲法を変えるなどもってのほか―「熱風7月号」)も力強く思っている。 

でもこの映画は正直のところ、掴まえどころがなかった、というか共感するところがあまりなかった。宮崎監督と主人公の飛行機(大空)への憧れが強すぎて、それが何よりも優先されているみたいで、底流にも「反戦」は感じ取れなかった。反戦ならOKと言う意味ではないけれど、無理やり「反戦」を嗅ぎ取って「反戦・平和」を訴えている映画などと言わないほうがいいと思う。

飛行機の事など全くわかっていない私が言っても何の意味もないかもしれないが、それでも乏しい知識の中で「ゼロ戦戦闘機」というのは乗り手の人間の命より戦闘機としての機能を優先した「非情」な飛行機だと思っていた。日本軍の命令でそれを設計した人の話だから、最初からこの映画に「反戦」は当てはまらないと思った。(宮崎監督も反戦がテーマではないと言っていたような気もする。)その意味では韓国からの抗議(この映画は戦争に協力した人の話だ)の方がわかりやすい。

主人公が憲兵から追われて身を隠していたというエピソードも無理やり挿入されているようで結局よくわからないままだった。ゼロ戦を設計していた重要人物なのだから身辺護衛されるならわかるが、なぜ追われていたのだろうか。その辺も映画を曖昧にしていた。

しかしタバコの描き方は逆にこの主人公を表すのに上手に使われていたと思う。   
 そう、この主人公は優しくないのだ。たとえば重病の愛妻の枕元でタバコを当たり前に吸っているのは当時としては普通の風景だったにしても、私には主人公の温かみの無さを伝えるのに充分だった。飛行機の機械的なところ(夢や空想も含めて)ばかりが目立ち、人間の内面の優しさとか温もりが余り感ぜられなかったところが、この映画に共感できなかったひとつかもしれない。

映画の終盤でゼロ戦の無残な残骸が野ざらしになっているシーンが、戦争の結末を表しているが、そこにはもう主人公はどこにもいなくて、回想シーンだけに登場しているのも、何か分断させられた感じだ。ゼロ戦の残骸とこの映画の主人公とは関係性を持たせたくなかったのかもしれないが、妻の命と引き換えにしたともいえるゼロ戦の最後を見つめる主人公の眼も見て見たかった。

結局私は特別の感動もないまま映画を見終えてしまった。
平成25年長崎平和宣言
長崎原爆の日:68回目 被爆国の原点に返れ 政府の核政策、批判
毎日新聞 2013年08月09日 西部夕刊
 長崎は9日、68回目の「原爆の日」を迎えた。長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれ、田上富久・長崎市長は平和宣言で、核兵器の不使用を求める各国の共同声明に署名しなかった政府の核兵器廃絶に対する姿勢や、海外への原発輸出政策を批判。憲法前文を引用し、2度にわたって「政府に被爆国としての原点に返ることを求める」と訴え、被爆地から政府の姿勢をただした。


長崎 宣言文の中の言葉
 
核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人 ひとりにもできることがあります。
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和 を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。


福島の原発事故処理の道筋もまだまだ見えない中、各地の原発再稼働へ向けた諸般の動きを見ても、「被爆国の原点に返れ」との指摘は的を得ている。

 以下のサイトに宣言文全文が出ている。

 宣言に賛同できる方は以下のページの最後をクリックしてください。
集団的自衛権の有識者会議報告、大綱に反映へ
読売新聞 8月4日(日)21時10分配信 

小野寺防衛相は4日のNHK番組で、集団的自衛権を巡る憲法解釈見直しを検討している政府の有識者会議の報告を、年末にまとめる新たな「防衛計画の大綱(防衛大綱)」に反映させる考えを示した。

小野寺氏は「防衛大綱の前提として政府の様々な方針ができて、それで初めて大綱を作れる。そのスケジュール感は(政府内で)共有している」と述べた。
政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」は、9月にも議論を再開し、憲法解釈見直しに向けた議論を加速する構えだ。

小野寺氏は同番組で、集団的自衛権行使の必要性に関し、現状では日本防衛のため派遣された米艦船が公海上で攻撃を受けても自衛隊が防護できないと指摘した上で、「こういうことがあったら日米同盟は決定的におかしくなる。議論はしていただきたいという思いはある」と強調した。

上の記事にあるNHK日曜討論を見たが、防衛大臣は「この国を守るためだから」を繰り返していた。だが守る目的の「国」とは、具体的になんだろう? 広義の意味では国民の命、生活も含まれているのだろうが、ここで思い出すのが、今提案されている自民党の憲法改正草案の中で、個人の自由が公の秩序より下に位置づけされている点である。

国を守るため、国益のため、と聞けば、つい納得させられてしまいそうだが、これが個人の自由自尊に先んじて独り歩きしていく危惧はないだろうか?

また、集団的自衛権は権利であって義務ではない、我が国の利益にならないのであれば行使する必要はない、というのもマユツバに感じてならない。


2003年のイラク開戦当時、日本に集団的自衛権があったら自衛隊は米軍とともに戦闘行為にも参加していただろうと思う方が自然ではないか? そして戦闘行為に参加していたら戦死者が出ていたことは間違いない。 そして後になってみれば、世界中の多くの国がイラク戦争はまちがっていたと認識している。


国を守る(具体的には何を守ろうとしている?)ための戦闘で、実戦に参加して命の危険にさらされるのは誰か? 具体的に想像してみよう。

日曜討論で防衛大臣は「米艦船が撃墜・撃沈されるのを日本は黙って見ているのか、、」などと言っていたが、日本が黙って見ていても、米艦船が無抵抗で攻撃されるままになっているはずのないことぐらい誰だってわかる。同じように日本を守るために米艦船が派遣されているのではないことぐらい誰だってわかる、はず。なのに「ぼうえいだいじん」ともあろう人がどうしてこんな表現を使うのか。

先制攻撃はない、などといくら言われたって、先制攻撃と、自己防衛だと主張することの違いなんて紙一重であることぐらい、歴史がいくらでも教えてくれている。


ハイリスクの下でのハイリターンなど私は絶対要らない!

全113ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事