気まぐれ日記

気まぐれグランピーの世相やぶにらみ

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不思議なクニの憲法

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早稲田大学で「不思議なクニの憲法」の試写会と監督のトークがあるというので出かけた。http://fushigina.jp/
300名規模の教室はほぼ満員だったが、私のような中高年齢者が半数を占めていたので学生に圧倒されることはなかったが、本来は若い人にこそ見てほしい映画である。

映画は問う。国のカタチがなりふり構わず変えられようとしているのに、国家や政治家だけでなく、それでも無関心を通している国民の私たちも「ふしぎ」だよね?

そしてこの映画では国のカタチを表す憲法って私たちにとって実際にどういうものなのかを考えさせてくれる。幸か不幸か多くの国民は日本国憲法の事を意識せずに生活している。昨年以来「立憲主義」と言う言葉を耳にする機会が急速に増えたが、それでもその意味をかみしめて現実と見比べ、何事か感じた人、まして何らかの行動に移した人となるとまだまだ少ないと思われるが、この映画には、憲法と現実を照らし合わせて「変だ」「おかしい」と思って自分にできる行動をしているさまざまな人々が登場する。
自分の未来は自分で考えて自分で決めたいと思っている人たち。国民主権の権利と義務を果たすべきと考える人たち。

それぞれの生活基盤、持場が違うように、主張する内容は少しづつ違うところもたくさん残しながら映画はモザイク模様を描いていく。しかし全体像ははっきりと訴える。

安保法が施行された今、このまま政治に無為無関心の国民で良いの?

登場人物でひときわユニークなのが船田元氏(自民党憲法改正推進本部長代行)だ。「代行」となったところがミソであるが、ここでは痛々しく持論を展開している。恐らく船田氏が変わったのではなくて船田氏の背景にある自民党の基軸が変わってしまったことがここからも窺がえる。船田氏も焦っているように見える。

胸にグサリと来たのは、ジャズトランぺッターの顔も持つ伊勢崎賢治氏の言葉。
「9条をここまで空文化してしまったのに、護憲派と言われる人たちはいったいどう思っているんだ!」
日本の自衛隊は第3国ジブチに半永久的な軍事基地を作ってしまったそうだ。日米地位協定のようにきわめて現地に不利な地位協定も含まれるとか。
このうえ日本国憲法がノーベル平和賞なんてことになったらブラックユーモアの恥さらしものだと伊勢崎氏は言う。

それやこれや、映画に登場する魅力的な人々を見て、何か考えるきっかけになってほしいものだ。私のような年寄でなく若い人ほど見てほしい映画である。

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邦題が少しばかり癇に障るが、前から気になっていた映画をようやく観ることができた。
映画については公式サイトを。 http://www.anohi-movie.com/

この映画は名曲Speak lowのために作られたとしか思えない展開だった。最初にラストシーンありきで、そこから逆算して物語を作ったのだろう、と観終わってから思った。
ラストシーンで石のように固まってしまった登場人物を見ながら私も息を飲んでしばらく動けなかった。

それほど落差が大きかったからだ。
そもそも大手術で貌が変わってしまったからといって、妻だった女性を見て、声を聞き、軽く触れあってなお、わからないなんてことがあるだろうか。それに大整形手術をしても手術の形跡が窺がえないなんてあるものか、のようなごく現実的な事を思いながら、ふんふんと観ていたのにー。

それが最後の最後で、そんなことはこの映画ではどうでもいいことだったんだと気づいた。

この映画の宣伝文句で、夫ジョニーは妻ネリーを愛していたのだろうか、それとも裏切ったのだろうかそれが問題だ、みたいに投げかけているのもあるが、それすら二次的問題のように思えた。

これは言って見れば人間の「格」の違いを問題にした映画なのではないか。「格」と言って語弊があれば「ハク」の違いと言えばいいかもしれない。

ヒトラー政権時代を生きたジョニー(非ユダヤ人)は妻(ユダヤ人)を愛していたはず、ナチスから妻を一生懸命かくまったはずではある。ただし狂気の時代には限界があった。つまりジョニーは人間の弱さを併せ持つごく普通の男だったのだろう。
一方ネリーは悪夢のユダヤ人収容所から奇跡の生還を果たした、地獄の淵を覗いてなお生き延びた筋金入りの強靭な女である。

戦争は、ごく普通の夫婦だった男女の人間の格まで大きく変えてしまった。
二人はこの先元通りの夫婦に戻れるだろうか、、いや戻れるはずがないと私は思うが、ネリーの歌の最後の言葉は、たしか"I'll wait,"だったから、やり直す気持ちを暗示したのかもしれない。


Speak lowは大好きな曲。(この曲を作ったクルト・ワイルもユダヤ人で、迫害を逃れてアメリカに亡命した。)You Tubeでこの歌手がこんな風に歌っているのを見つけた。

しばらくぶりに境川サイクリングロードを走って藤沢から鎌倉に出て、小坪の「めしやっちゃん」の定食を食べてみたくなって、気合を入れて朝7時に出発した。最近は、と言っても1年以上前だが、電車にミニサイクルを積んで町田まで行って、境川からスタートする手抜きをしていたので、まだ自宅往復できるかどうか確かめるつもりもあって、自宅スタートにした。

多摩水道橋から町田駅向こうの境川に出るまで1時間半。天気予報は確か晴れだったのに曇天が広がったが、境川サイクリングロードはいつ来てもお手頃に走りやすい道だ。走り覚えのあるコースを順調に進んだ。ところどころ川べりが再整備されていて、湘南台近くの相鉄いずみ野線の高架線路を見上げるように新しい橋が架かっていた。
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めしやっちゃんには予定通り11時15分ごろに到着した。開店前の店先には開くのを待っている客たちで賑わっているのも相変わらずだ。私も順番待ちリストに名前を書いて、あと15分あるので逗子マリーナを一回りしてきた。
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めしやっちゃんの店内が一部拡充されていたのも道理で、ますます繁盛しているようすだった。俳句の吟行で来たというシニアの一団に出会ったが、シニアとサイクリストが交差する面白い店だ(私はもちろんシニアの括りだけど)。いつ来ても、店の主人のきびきびとした客捌きに感心する。客に媚びを売ることなく、客を大事にしているのが伺えて気持ち良い。

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鯵と生シラスの定食を食べて、そのあと鎌倉美術館と分館へ回ってみたが、どちらもあいにく展示替えのため休館中だった。仕方なく再び海岸線に戻って江の島まで海を見ながらのんびり進んだ。天気予報が外れたのか、鈍色の空が広がり、心持ちもどこか浮かない。

それから江の島まで橋を渡ってみたが、どこもかしこも人だらけ。3連休の初日だからね。
ガラス玉のアクセサリーの店を見て、おまんじゅうを食べて、早々に橋を引き返した。

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帰路も3時半には藤沢を通過して、藤沢橋近くのお寺を覗いてみたり。

同じ道を帰るのはあまりおもしろくないのだが、結局往きと同じコースをなぞって戻ってきたら8時になっていた。久しぶりだったし、今回は往復完全走破ということで満足できた1日だった。。

おでんエンブレム

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晴れてこのおでんエンブレムも使えるようになるのかなあ?

五輪エンブレム撤回のゴタゴタを見て、遥か昔にラジオの百万人の英語だったか、で初めて聞いたフレーズを思い出した。

 Everybody's business is nobody's business. =連帯責任は無責任

新国立競技場白紙撤回も、原発事故も再稼働も、然りだな〜


以下はおふざけにすぎなくて初めから謝りますけど、あのデザイナーの佐野さんという人のお顔は、上から見ても下から見ても顔にみえる顔のおじさんのような顔だなあと、テレビを見ながら思った。
人の視覚の錯覚?につけ込んだおもしろ画に似ていると言うのも、なんか変におもしろいなあ。

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安保関連法案に反対して国会周辺に集まった人の数

     主催者発表:12万人

     警察発表:3万人

警察発表の3万という数字は一体何時の数字だろう。意図的に午後2時から4時を外した時間の測定のように思える。

東京ドームの収容人数は5万5千人だという。
上に東京ドームと国会周辺の地図とを比較してみた。大雑把には違いないが、面積的には国会周辺の方が広域だ。(赤色は人で埋め尽くされている部分を表しているつもり)


私が午後2時前に国会議事堂前駅に着いてみると、改札口は朝のラッシュ時どころではない人、人、人が押し寄せ、地上へ出る階段もぎっしり人で埋まり、熱気でむんむんしていた。かたつむりの歩みのようにしてようやく地上へ出ると、こちらもすごいことになって、どこもかしこも人で埋まっていた。今まで見たこともない人数だった。一方通行だけ認められていたので、人並みについてゆっくり進む。国会正門前を目指したかったが、財務省上の交差点で足止めを食らって、一度日比谷公園方面へ迂回してからまた上がって来るように係りの人や、おまわりさんに言われた。
日比谷公園までは行かなかったので、そちら側にどれほどの人出があったかはわからないが、それから押され押されてようやく、正面に国会議事堂が見えるところに来た。

この日の特徴は、あちこちのニュースで報じられているように、個人参加者が塵も積もった感じで、ひっきりなしに、しかしてんでんばらばらにあちこちでコールの声が上がっていた。マイクを持って自分の思いを訴える人あり、それに拍手する人あり、歌で抗議する人あり、疲れてへたり込んでいる人あり、だった。

戦争法案絶対反対! というコールに揃えて声を上げながら少し進むと、別のコールの輪の中に来て、安倍はやめろ! という具合だ。

新聞、テレビの報道ではほとんど国会前の画像しか見られなかったが、この日は国会正面前に広がる庭園内全体も大勢の人が埋めていた。その横の憲政記念館の中も周りも。

4時に主催者から「12万人集まった」という発表を聞いて、そろそろ帰ろうとして地下鉄永田町駅入り口に向かったが、歩道は詰まり詰まって進めず、迂回せよとの案内に導かれ、私は半蔵門駅まで歩いて、地下鉄に乗った。

警察発表の3万人というのは、東京ドームを考えても過小評価に過ぎると思う。

また「たったあれだけの数で国家の意思が変わる、、云々」を言った人は、そこしか見えない3歳児ということか。
全国各地で規模の大小はあれ、このような抗議集会、デモが行われていたことは、多くの人が知るところだ。

さらにまた、視聴率1%が現す実数、新聞/テレビなどへの1本の電話、メール、投書の重みと同じように、国会前に足を運んだ人の背後には同じ意志の、その何十倍もの人がいることぐらい常識ではなかろうか。

安保法案を自分事として捉えだした人が増えてきたのだと、私は思う。

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